過去の宿敵。今は味方
それは、彼女がまだ、勇者の仲間になる前の話。
魔王軍四天王第二位、リリアミラ・ギルデンスターンは、戦いにおいて敗北の経験がなかった。
第一位、トリンキュロ・リムリリィには「死んでも生き返る魔法とかすっごく気持ち悪いね! ボクも真似した〜い!」と何度かちょっかいを掛けられ、殺し合いになったものの、殺されても普通に生き返ったため、決着はお預けとなった。
第三位、ゼアート・グリンクレイヴには出会い頭に一撃で殺されたが、その後何事もなく生き返った様子を見て「命を賭けない勝負の、何がおもしろい」と鼻で笑われた。それ以降、老戦士から興味を持たれることはなかった。
第四位のアリエスとは普通に仲が良かったため、主の写真を肴に「この魔王様、いいよね……」「いい……」と二人で茶をしばいたりしているのが常だったので、そもそも殺し合うような事態になったことはなかった。
不死とは最強。
最強とは不死。
敗北の二文字を知らなかったリリアミラが、自身の魔法に絶対の自信を持つのは必然であり、その必然が当然として罷り通るほどに、リリアミラ・ギルデンスターンの悪名は広く轟いていた。
そんな四天王第二位に、はじめて敗北を突きつけたのは、世界を救った勇者──
「四天王第二位。これでもう、お前は動けない」
「さすがです! 師匠!」
──ではなかった。
リリアミラは、絶句していた。正しく、本当の意味で、言葉を発せない状態に陥っていた。言葉どころか、指一本すら体が言うことを聞かない。
「っ……ッ……!」
動けない。動かない。
その幼い少女に指一本触れられただけで、リリアミラ・ギルデンスターンのすべては静止していた。
「どうだ、死霊術師! これがウチの師匠の力だっ!」
「馬鹿弟子。勝ち誇るの、よくない。次からは、ちゃんと自分一人で勝った方がいい。でも、魔法は相性差が、結構ある。こいつに、わたしの魔法が有効だと、きちんと分析できたのは、えらい」
「はい。ありがとうございます! 師匠!」
少女の言葉通り、その魔法はリリアミラに対して極めて有効だった。
殺せないなら、殺す以外の方法で無力化してしまえばいい。
今までもリリアミラの
それはリリアミラが経験する、はじめての明確な敗北だった。
「ランジェ、この馬鹿弟子の、治療をお願い」
「はいは〜い。ムーさんは大丈夫〜?」
「問題ない。わたしは無傷」
「うはぁ〜。最強だ〜! じゃあ今日もかわいい勇者くんをランジェ色に染め上げてくるね〜」
「痛い痛い痛い。ランジェさん。おれ、自分で歩けるから引き摺らないで……」
「これ見て〜。さっき見つけたカブトムシ〜」
「話聞いてよ!?」
片手にカブトムシを持った聖職者が、ボロボロの勇者をずるずると引き摺っていこうとする。
リリアミラを負かした少女は、触れていた指先をそっと放した。
「っ……ふっ……はぁ、はぁ……」
「何か、言いたいこととか、ある?」
「ふふっ……まさかこのわたくしが、こんな幼い子どもに負けるとは……不覚を取りましたわ」
「子どもじゃない。こう見えても、わたし、千歳超えてる」
「……はあ?」
何を言っているのか、よくわからなかったが。
しかし、言われてみれば。落ち着いた言動。小揺るぎもしない表情。勇者が「師匠」と呼ぶ強さ。そして、なにより
若いのは外見だけで、中身は千歳を超えている、という少女の発言は、奇妙な実感が伴っていた。
「お前と、わたしの相性は、最悪」
「……ええ。そのようですわね」
「お前の魔法は、わたしの魔法の前だと意味を失う」
「はい。頷くしかありません」
「だから、諦めたほうがいい」
「やれやれ……まさか、わたくしにこんな天敵がいたとは。今からでも遅くありませんから、魔王軍に来るつもりはありませんか?」
「興味ない。それに、その勧誘なら昔に受けてる」
「まぁまぁ。フラれたあとでしたか」
それなら、ご機嫌を取る必要はない。
這い蹲った姿勢のまま、リリアミラはその少女を見上げて、薄く笑った。
「では、一つだけお伝えしておきましょう」
「なに」
「次は必ずあなたを殺します。覚えておいてくださいませ……クソババア」
言った瞬間に、リリアミラの顔面は悲鳴を挙げる間もなく、幼女の足で踏み砕かれた。
「馬鹿弟子。ランジェ。この女、砕いてミンチにして四角に固めて、持ち運んでもいい?」
「やめてください、師匠。それだとおれたちが魔王軍になっちゃいます」
「残酷過ぎて神様がお許しにならないかも〜」
◆
「この揺れは何事だ!?」
「ご、ご報告します! サジタリウス様! 上層階に侵入者です!」
黒服の報告を受けて、サジタリウスは天井を見上げる。
「……フフ、なるほど。勇者の仲間……いや、タイミング的にそちらではなく、先日に仕留めた騎士団長の行方を追ってきたか? いずれにせよ、もうここを嗅ぎ付けてきたとは、手が早い。それで、相手の数は? 襲撃してきたのは、騎士か? 魔導師か? それとも……」
「い、いえ。侵入者は、一人だけです! 剣も魔術も使用しておりません!」
「……なに?」
黒服の言葉に、サジタリウスは固まった。
剣も魔術も、使用していない。たった一人だけ。
では、この地響きのような激しい破壊音は、何だというのか?
「敵は、身一つで地下階層に侵入しようとしています!」
「馬鹿な。なら、なぜお前たちで対処できない?」
カジノの警備を任されている黒服たちは、裏稼業を主な仕事とする手練れの魔術使いや、冒険者くずれで構成されている。騎士団長クラスの実力者を倒せるとは欠片も思っていないが、それでも少しの時間稼ぎもままならないとは、考えにくい。
「とにかく、早くお逃げください! サジタリウス様! 敵は……」
みしり、と。
サジタリウスは、音を聞いた。
響くような震動ではなく、自分のすぐ近くで、何かに亀裂が入る音を。
「────敵は、幼女です!」
奇しくもそれは、宣言の直後だった。
腹の底に叩き込まれるような轟音と共に、天井が割れる。
吊り下がっていた豪奢なシャンデリアが落下し、粉々に砕け散る。
同時に、きらきらと輝く物体が、雨のように降り注いだ。
「……豪勢過ぎるシャワーだな、これは」
避けながら、サジタリウスは呟く。
それは、金貨だ。
この裏カジノでは、汚れた金の流れを洗うために、紙幣の金への交換も行っている。違法賭博で稼いだ金の、字面通りの意味の『換金』も、運営側の仕事の一つである。故に、地下には大量の物理的な
そんな黄金の雨の中から、一人の少女が顔を出す。黄金が貯蔵された金庫を、魔術に頼らない拳のみで打ち抜いて。無理矢理に地下へと侵入した化物が、静かに降り立つ。
その手段は粗暴極まる。しかし、美しい拳だ、と。サジタリウスは思った。欲望に塗れた金塊などよりも、遥かに洗練され、磨き上げられた、一つの技。
「ククク……なるほどな」
納得があった。
なるほど、これは黒服如きで、止められるわけがない。
「何者だ?」
悪魔が問う。
「ムム・ルセッタ。武闘家」
幼女が答えた。
サジタリウスは、横目で金貨をいそいそと拾い集めているリリアミラを見る。
「ギルデンスターン。貴様が言うオレの相手とは……この幼女か?」
「ふふっ……ええ。わたくしもかつては、敵として大いに苦しめられました。ですが今は、頼れる味方です」
汚れた黄金を踏み越えて、武闘家は一歩前へ。
待ち望んでいた援軍の到着に、死霊術師は笑顔の花を咲かせた。
「あらあら! 助けに来てくださったのですね! ぶとうかさ、ぐはぁああああああ!?」
一撃、であった。
言葉はなかった。無言だった。
ただ無造作に振るわれた小さな拳が、リリアミラ・ギルデンスターンの整った顔面に突き刺さり、鼻筋を叩き折り、その細い身体を吹き飛ばした。
即死、であった。
「よし。すっきりした」
無表情のまま、ムムは満足気にそう言った。
「ククク……こわすぎる」
今は頼れる味方? いや敵じゃん……と。サジタリウスは吹っ飛んで死んだリリアミラを見てそう思った。
流れる冷や汗が止まらない。それはどこからどう見ても、明確な敵に対して、相手を殺すために振るわれた拳だった。どう考えても、仲間に向けて振るっていい拳ではない。
リリアミラ・ギルデンスターンが殴り飛ばされたところで、ようやく事態に対して理解が追いついたのか。檻の中で絶望に暮れていた勇者が、顔を上げて叫ぶ。
「し、師匠!?」
「あ、勇者。よっ」
軽く片手を挙げて、ムムは檻の中の勇者に手を振った。
そして、あどけない表情のまま、首を傾げた。
「……どうして、捕まってるの?」
「いやちょっと……色々ありまして」
「困ってる?」
「はい」
「助けてほしい?」
「はい」
「うむ。わかった」
平気で勇者を見捨てる人でなしの死霊術師と違って、最強の武闘家は愛弟子を決して見捨てない。
丸く、可愛らしい瞳が、最上級悪魔に対して、静かに向けられる。
「お前を倒せば、馬鹿弟子を解放してくれる?」
「ククク……いいだろう。幼女よ。ゲームはできるか?」
「まかせて。とらんぷは、得意」
「それは良い。オレの勝負を受けるか?」
「受ける」
「了承した」
再び。
最上級悪魔を中心に、あらゆる暴力を禁止する、魔導陣が展開される。
サジタリウスは、両手を広げた。
その黄金の拳には、一人の悪魔として敬意を払おう。
しかし、この世で最も原始的な拳という武器で雌雄を決する気は、毛頭ない。
今ここに、世界を救った武闘家の拳は、すべて封じられた。
「さあ、席につけ。ゲームをはじめよう」
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