勇者と死霊術師・愛の包囲網
人間という生き物は、本当に焦った時、全身から冷や汗が吹き出るものらしい。
「あわ……あわわわわ」
あと、本当に「あわわ」って言っちゃうものらしい。
「あら、まだ固まっていらっしゃったのですか? そんな風に穴が空くほど記事を見詰めても、内容は何も変わらないと思いますよ」
なぜか少し上機嫌な様子の死霊術師さんは、口元に両手をあてて、うふふと笑う
紙面いっぱいに力強く踊る文字たち。
具体的には『駆け落ちの相手は、勇者さま!? 熱愛発覚か!?』というくそみたいな見出しを一言一句再確認して、おれは膝から崩れ落ちた。熱愛、の部分がやたら目立つ字体で、クエスチョンマークは小さめに印字されているのが、またなんとも腹が立つ。
「大丈夫ですか、
正体を隠している都合上、外で大っぴらに「勇者さま」という呼称は使えないので、違う呼び方をしてくる死霊術師さんが、おれの隣にぴたりと寄り添ってくれた。呼び方には特に深い意味はないと思う。ないと信じたい。本当に。
「だ、だいじょばない。ぜ、全然大丈夫じゃない」
「うふふ、そうでしょうね。わたくしはちょっとうれしいですが」
「お、おおぉ……」
どうしてこうなるのか。
おれは死霊術師さんを守るために行動しているのであって、べつに駆け落ちしているわけではない。
というか、あの秘書子さんは「社会的に死霊術師さんを殺す!」と言ってたが、これで死ぬのは死霊術師さんではなくおれの方である。死霊術師さんじゃなくておれを殺す気なのか? 殺す気だろこれ。まじでふざんけんなあのメガネ女。
こんな記事を賢者ちゃんや騎士ちゃんや師匠や陛下に読まれでもしたら……いや、もう確実に読まれていることはほぼ確定事項なので「読まれでもしたら」などという希望的観測は何の意味もないのだが……とにかく、死霊術師さんと一緒に身を隠している状況なのも相まって、何の言い訳もできないのが非常にまずい。
「しかし、これではっきりいたしましたわね」
「何が? おれが死ぬってこと?」
「もちろんそれもありますが」
「もちろんそれもあっちゃだめだろ。否定してくれ頼むから」
「やはり今回の一件。裏で糸を引いている人物がいるようです」
すっと死霊術師さんが取り出したのは、メモの切れ端。流れるような達筆で記されているのは、いくつかの数字と街の名前だった。
「これは?」
「貴方さまが号外記事を読んで硬直し、役立たずになっている間に、少々、伝手を頼って情報収集をして参りました。わたくし、できる女ですので」
まるでおれが使えないでくの坊みたいな言い草である。そもそもどうしてこんなことになっているのか、そのデカい胸に手をあてて考えてほしい。
とはいえ、特に目的地もなく馬車を乗り継いでいたのかと思いきや、きっちり頼りになる人間がいる宿場町に向かっていたのは、流石というべきだろう。社会的に殺されても、ただでは死なないのが死霊術師さんである。
「もう少し詳しく調べてみないと、詳細は掴めそうにないのですが……あの子の周辺では、以前からあやしい金の動きがあったようです。わたくしの目を掻い潜って、どこからか資金を調達し、一部の幹部を買収。株式の買い上げなどに手をつけていたみたいですわね」
「簡単に言うと、秘書子さんは裏で資金を調達していて。そのお金で役員を釣っていた、と」
「はい。そういうことになります」
「じゃあもう、こっちも札束で叩き返してやれば? お金持ってるでしょ、死霊術師さんは」
「いけませんよ、貴方さま。死霊術師さんではありません。たっぷりと愛を込めて……お前、もしくはハニーと呼んでくださらないと」
「お前調子に乗るなよ」
思わず声に怒気が乗ってしまったが、それはともかく。
毒を持って毒を制す。金でやられたなら、金でやり返す。
我ながら黒い提案だと思うが、しかし我がパーティーの中で懐に最も小金を溜め込んでいるのは、間違いなく死霊術師さんである。賢者ちゃんは宮廷魔導師だし、騎士ちゃんも腐っても地方領主なのでまとまった金額は動かせるとは思うが、それでも死霊術師さんには敵わないだろう。
余談になるが、パーティーの中でいつも金欠に喘いでいるのは師匠だ。年下ぶって普通に弟子にたかってくることがあるので、たちが悪い。
「金で奪われた信頼なら、また金で取り返しちゃえばいいし。そのあと、裏切った人達をどう処分するかは、死霊術師さんの自由なわけだしさ。大体、そういうの得意でしょ」
「やってやれないことはないのですが、今は無理というのが正直なところです」
「なんで?」
「わたくしの口座、凍結されております」
おれはまた頭を抱えた。
まさか、社会的に殺す、という秘書子さんの言葉が間違っていなかったことを、この段階になって痛感することになるとは……。
「というわけで貴方さま、ちょっとお金貸してください」
「この期に及んでおれにたかるとか面の皮が厚いにも程がない!?」
「でも、でもわたくし……貴方さましか、頼れる人がいなくて……」
「あー、もうわかったわかった! だけど、おれも手持ち貸すくらいしかできないからね!?」
「はい。ありがとうございます。百倍にして返しますわ」
それはクズでヒモな男のセリフなんだよなぁ。
おれからお札を十枚ほどふんだくった死霊術師さんは、いそいそとそれらを懐にしまって、踵を返した。
「では行きましょうか」
「行くって、どこに?」
「もちろん、あやしい金の出処を叩きに行くのです」
死霊術師さんは、情報収集をしていた、と言っていた。心当たりは既に掴んでいるのだろう。
守るよりも攻めるべし。実に死霊術師さんらしい、アグレッシブな提案だった。
「えぇ……反撃しにいくのはいいんだけどさ。まずは賢者ちゃんとか騎士ちゃんと合流しない?」
「いいえ、貴方さま。こんな記事が出回っているということは、相手はわたくし達の居場所をまだ掴めていないということです。敵の懐に飛び込むなら、今を置いて他にはありません」
「いやでもほら、みんなと合流した方がいろいろやりやすいだろうし」
「なんですか貴方さま。そんなにわたくしと二人っきりのままなのがいやなんですか?」
「そうだよ」
「なにやら理屈を捏ねていらっしゃいますが、早くこの記事の誤解を解きたいだけでしょう?」
「そうだよ」
断言した。当たり前である。そんな答えがわかりきっている質問をしないでほしい。
「ふふっ……いやです」
「いやです、じゃないんだよ」
おれが死んじゃうんだよ。
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