勇者は死霊術師さんには勝てない

「ていうか、死霊術師さんはいいの?」

「良いとは、何がです?」

「その、なんというか……なし崩し的に秘書さんと敵対することになってるけど、大丈夫なのかなって」


 きょとん、と。

 虚を突かれた表情から、さらにくるりと変化して。

 おれの質問に、死霊術師さんはさっきまでとは違う種類の笑みを浮かべた。


「貴方さまはおやさしいですわね。お気遣い、痛み入ります。ですが、今までどんな忠犬だったとしても、噛み付いてきたのならば……躾が必要でしょう?」


 その微笑みに、思わず苦笑する。

 こういうところは、つくづくブレない人である。


「なら、よかった。秘書さんに裏切られて、ちょっとショック受けてないかなって心配してた」

「え? 勇者さま、わたくしの顔をちゃんとご覧になってますか? 今も大変ショックを受けておりますし、昨晩も涙で枕を濡らしておりましたが」

「嘘つくんじゃないよ」


 白々しいにもほどがある。


「まあ、正直に言えば……驚いたのが半分、嬉しさが半分、といったところでしょうか」

「うれしい?」

「あの子には、秘書としてすぐ側でわたくしの仕事を見させてきました。仕込めるだけのものを仕込んできたつもりですし、あの子に何かを教えることに関して、わたくしが手を抜いたことはありません。そういう意味では、わたくしとあの子の繋がりは、勇者さまと武闘家さまの関係に近いと言えるでしょう」


 師弟の間柄。おれと、師匠のような。

 そう言われると、なんだかしっくりくるものがあった。


「でも、師匠はおれが裏切ったらめちゃくちゃキレてくると思うんだけど」

「でも、あの人勇者さまと戦うことになったら、それはそれで嬉々として拳を構えてきそうだと思いませんか?」

「……」


 おれは押し黙った。

 そんなことない!と即座に否定できないのが、なんというか悲しいところであった。


「あの子は、わたくしを殺そうとしてくれています。勇者さまとは少し違うやり方ですが……世界を救い終わったあとに、わたくしが積み上げてきたものを、奪い取ろうとしています」


 死霊術師さんは、常識人だ。

 いつもニコニコとやわらかい笑顔を浮かべ、物腰はやわらかで。

 常に周囲をよく見て、必要な時には適切な助言やフォローを行って。


「わたくしをここまで本気で、殺そうとしてくれるのです。嬉しくて嬉しくて仕方ありませんし……その想いに応えないのは、嘘でしょう?」


 けれど、生命に関する価値観だけは、歪んでいる。

 薄い薄い笑顔の外側を、一皮剥いたところに、覗き見える狂気が埋もれているのだ。


「ですから、勇者さまもそんなにご心配なさらなくても、大丈夫です。賢者さまに魔術でふっ飛ばされても、騎士さまに剣で焼き切られても、わたくしがきちんと生き返らせて差し上げますから」


 いやもうほんとに歪んでんなぁ! 


「なるほど。死霊術師さんの意見はよくわかった」

「ご理解いただけてよかったです!」

「でもまずはみんなと合流しよ?」

「なんですかそんなに死にたくないんですか?」


 普通の人間は死にたくないんだよ。当たり前だろうが。


「まったくもう……仕方がありませんわね」

「なんでおれが駄々こねてるみたいになってんの?」

「では、ここは潔く、コインで決めましょう。話し合っている時間も惜しいですし。表が出れば、勇者さまの方針で合流。裏が出れば、わたくしの方針に従って二人で動く、ということで。如何ですか?」

「わかった。もうそれでいいよ」

「ありがとうございます。それでは……」


 キィン、と。

 指先が、コインをはじく高い音が響いた。



 昔の話である。

 簡潔に結果だけを言うのであれば、勇者はリリアミラ・ギルデンスターンと戦場ではじめて出会い、正面から戦い、そして敗北した。


「とりあえず、よくがんばりました、と。褒めてあげましょうか。あの魔導師の女の子だけでも逃がすなんて、大したものです」


 倒れ伏した少年を見下ろして、一糸纏わぬ姿のリリアミラは、形だけでも称賛の言葉を投げかける。

 お前を殺す、と。そう息巻いていた勇者は、もはや疲労で指一本動かすことすら叶わない様子だった。


「本当に、悪くはありませんでしたよ。最初はただ突っ込んでくるだけのバカだと思っていましたが、わたくしの魔法を戦いながら分析し、対応策を練る頭もある。なにより、魔王様が気にかけていらっしゃった黒の魔法……それを活かした、複数の魔法の組み合わせと応用が、すばらしい」


 ただし、と。

 長い黒髪が地面につくのも構わず、腰に手をあてたまま上半身を折り曲げ、頭の後ろから、囁くように。


「戦う前から、勝負はついていました。最初から、相性が悪かった。そう言う他ありません。などと。そんな浅い希望を抱いていたのですか?」

「……」


 リリアミラの問いかけに、少年は答えない。

 相手を殺すことが究極的な勝利条件である戦場で、リリアミラ・ギルデンスターンの『紫魂落魄エド・モラド』という魔法は、すべての敗北を塗り替える。

 対して、勇者の『黒己伏霊ジン・メラン』は、殺した相手の魔法を奪う。しかしそれは、相手を殺した、という結果があって、はじめて成立する魔法である。

 故に、リリアミラ・ギルデンスターンは、極めて単純な事実を勇者に突きつける。


「あなたの黒では、わたくしの紫色しいろは塗り潰せない」


 『黒己伏霊ジン・メラン』は『紫魂落魄エド・モラド』には勝てない。


「理解できましたか? 坊や」

「……ああ、理解できないよ。おれは、馬鹿だからさ」


 裸の足の裏に、頭を踏みつけられて。

 それでも、勇者は不敵に笑った。


「────次は勝つ」



 ◆



「……裏だね」

「はい。わたくしの勝ちですわね」


 なんとなく、こうなる予感はしていた。

 昔から、おれは、死霊術師さんには勝てない。

 しかし、こんな簡単な賭け事ですら負けてしまうのは、どうにかならないものか。


「そう気落ちされることはありませんよ。わたくし、こういったギャンブルは強い方ですから」


 朝の支度を見られて、頬を赤く染めていたかわいいお姉さんの横顔は、どこへやら。

 妖艶に微笑んで、をくるくると回して見せる死霊術師さんは、とても悪い女の顔をしていた。


「あのさぁ……それはずるじゃない?」

「何を仰るのです。はじめる前に確認をしていれば、逆に貴方さまの勝ちでしたよ? わたくしを信じて、コインを投げさせたのが良くなかったですわね」


 いけしゃあしゃあと、そんなことを言いながら。

 死霊術師さんは、人差し指でおれの額を小突いた。


「その素直さは、貴方さまの美徳ですが、もう少し腹芸も覚えていただかないと……ずっと坊やのままですわよ?」

「……ここは、花を持たせておくよ」

「ふふっ……では、そういうことにしておきましょう」


 ひどい自惚れになるかもしれないが。

 賢者ちゃんも、騎士ちゃんも、師匠も。おれが仲間に引き入れたパーティーメンバーは、その全員がおれと出会うことで、少しずつ変わっていった。

 この人だけだ。

 この人だけが、敵だった頃と変わらない笑みのまま、おれの隣に立っている。


「行きましょうか。わたくしに、良い考えがあります」








 目的地にたどり着いたのは、夜になった。

 炎熱系の魔術によって彩られた、きらびやかなネオンの光。

 明らかに普通のものとは異なる、熱気に満ちた喧騒。

 金を賭け、金を稼ぎ、そして金を失う危険な場。

 そこは俗に『カジノ』と呼ばれる場所だった。


「……え、マジでここ?」

「はい。マジでここです」

「ここに入るの?」

「ここに入ります」

「……百歩譲って入るのはいいとして。その馬鹿みたいな衣装はなに?」

「もちろん、潜入のために用意いたしました」


 黒のタイツで美しいラインが強調された、肉付きの良い脚。

 見るからにふわふわとした、純白の尻尾が踊るお尻。

 ただでさえ大きい胸元を、さらに大胆に際立たせるその衣装は、俗に『バニーガール』と呼ばれるものだった。


「お金の流れを探りつつ、カジノでがっぽがっぽと稼いで、足りない資金を調達! 一石二鳥の潜入調査の開始ですわ!」


 得意気な顔で宣言するバニーガール死霊術師さんを見て、おれは心の底から思った。


 ────かえりてぇ。



 ◇



 そして、奇しくも時を同じくして。


「ククク……今宵も、欲に塗れた人間どもを、狩るとするか……」


 人ではない最上級悪魔もまた、夜の賭場に足を踏み入れようとしていた。

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