勇者と死霊術師・愛の逃避行

「勇者さまと二人っきりのラブラブ逃避行生活! スタートですわーっ!」

「いやだーっ!」


 おれは素っ裸の死霊術師さんを抱えたまま、頭を抱えたくなった。物理的に両手が塞がってるから、抱えられないけど! 

 この死霊術師、社会的地位も身分も失って、世間的な立場としては完璧に殺されたのに、まったくへこたれる様子がない。ちょっと元気過ぎる。

 とりあえず哀矜懲双へメロザルドの転移で逃げてきたものの、先輩には魔眼もある。本気で探されたら、きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。しかしながら、全裸の死霊術師さんをお姫様抱っこしたままでは、あまりにも目立ち過ぎる。路地裏から表通りに出た瞬間に、おれが違う意味で捕まりそうだ。

 どうやって逃げようか真剣に頭を悩ませていると、死霊術師さんがお姫様抱っこされたまま、その細い指先を斜めの方向に向けて言った。


「あ、勇者さま。そこの路地を左です」

「え。あっちは何もなさそうだけど。ていうか、行き止まりじゃない?」

「大丈夫です。下にあります。あ、そうそう。そこの石畳みですわ。それをずらしてみてくださいな」


 死霊術師さんの担ぎ方をお姫様抱っこから、肩に土嚢を担ぐような形に切り替えて、言われた通りに一見何の変哲もない石畳みを開ける。下水道に降りろということだろうか?

 しかし、下水のいやな臭いが漂ってくるかと思いきや、そんなことはなく。はしごの下には、どこかに繋がってそうな雰囲気の通路が見えた。


「なにこの非常時に使える脱出用の地下通路みたいなやつ」

「さすがは勇者さま! お目が高い! ご覧の通り非常時使える脱出用の地下通路です!」

「なんでこんなものがあるの?」

「それはもちろん、このベルミーシュの街の再開発をしたのはわたくしですので!」

「あっはい」


 それが答えだった。

 いざという時のために、地下に避難用の通路を作っておいたのだろう。抜け目がないにもほどがある。そういえば四天王やってた頃もあの手この手で逃げられていたなぁ……と。なんだか遠い目になってしまう。

 死霊術師さんを抱えたまま下に降り、地下通路をしばらく進むと、さらに驚くべきことに小さな部屋のようなものまであった。中に入ると、ランタンにクローゼットやベッドまで備え付けられており、数日間ならここで生活ができてしまいそうである。

 丸出しのケツをなんとか長い黒髪で隠しながら、死霊術師さんはいそいそとクローゼットの中を漁り始めた。


「なるほど。ここで服を着替えて、変装して街の外に出る、と」

「いえ、今日はもう寝ます」

「寝るの!?」

「はい」


 最低限、肌を覆う紫色のネグリジェに着替えた死霊術師さんは、そのままどーんとツインサイズのベッドへダイブした。

 バタバタと、白い素足が子どものようにシーツの上を泳ぐ。


「どうせこの場所のことを知っているのはわたくししかおりませんし。この地下通路はそのまま街の外縁部まで繋がっていますから、最も警戒が厳しい今出て行くよりも、翌日に警戒が緩まった段階で抜け出した方が遥かに安全です」

「いや、まぁ。それはそうかもしれないけど……」


 困った。思っていたよりも理由がちゃんとしていて、反論が難しい。

 死霊術師さんは、枕を自分の胸元に抱き寄せて、微笑んだ。


「ですので、勇者さまも……今晩は、わたくしの隣で安心しておやすみください」

「いやいや、おれはさすがに起きてるよ。何があるかわからないし」






 結論から言えば、熟睡してしまった。

 翌朝。地下室なので、朝になっているかはわからないが、体の疲れの取れ方的に、多分もう朝である。

 おれはボサボサになった頭を、がりがりとかいた。


「…………ふーっ」


 いや、べつに何かしやましいことがあったわけではないし、本当にただ並んで寝ていただけなのだが、しかしそれはそれとして寝ずの番をするはずだったのにあっさり寝落ちしてしまったという事実に関しては、曲がりなりにも世界を救った勇者としてちょっと思うところがあるというか、おれも老けたかなというか、もう若くないなというか……。


「あれ?」


 起きてみると、隣には既に死霊術師さんの姿はなかった。わりと朝が遅くて、宿屋の朝食などでは最後に降りてくるタイプなのに、めずらしい。

 昨日は確認もせずに寝てしまったが、地下室の中にはまだ扉がある。うっすらと水が流れる音がしていたので、そちらを開けてみると、中は簡素な洗面所になっていて、死霊術師さんが顔を洗っているところだった。


「ゆ、勇者さま!?」

「おはよう。死霊術師さん」

「お、お、おはようございます……」


 狭苦しい洗面所の上には、おれには何が何やらわからない化粧道具が細かく広げられている。女性は朝の支度が多くて大変だ。

 慌てた様子で振り返った死霊術師さんは、髪をタオルでまとめていて、まだ化粧もしていなかった。そういうところを見るのも、なんだかめずらしい。


「おれも顔洗っていい?」

「は、はい。もちろんです」

「あ、急かしてるわけじゃないから、大丈夫だよ。ゆっくりやって。後ろでまってるから」

「……えっと」


 どうしたのだろうか。

 いつもなんでもあっけらかんと言い放つはずの死霊術師さんが、もごもごと言いにくいものを含んでいるかのように、口ごもっている。


「申し訳ありません、勇者さま。その、なんといいますか……朝の支度をしているところを見られるのは、少し恥ずかしくて……」


 アイラインを引いていなくても十分過ぎるほどに大きな瞳が、動揺を隠しきれずに左右に泳ぐ。

 手を合わせた、口元。そこから覗き見える頬が赤くなっているのは、寝起きでぼんやりとしている頭にも、よくわかって。


「……あー、ごめん。外で待ってるね」

「はい。お願いいたします」


 扉を閉めて、おれはまた深く息を吐いた。

 人の家の洗面所に、すっぴんでずかずか入ってきて、一緒に歯を磨く騎士ちゃんとか。

 小さい頃は普通に一緒に寝起きするのが当たり前だった賢者ちゃんとか、そもそも最初から身の回りの世話をぶん投げてきた師匠とか。

 そういうのに慣れきって、すっかり忘れてしまっていたが。


「そうだよなぁ……普通の女の人なら、あれが当たり前の反応だよな」


 己に向けて再確認するように。絶対に死霊術師さんに聞こえない小さな声で、おれは呟いた。

 とはいえ……そう、とはいえ、だ。


「素っ裸は恥ずかしがらないくせに……こっちは恥ずかしがるんだもんなぁ」


 歳上の、大人の女性。

 それが、おれの死霊術師さんのイメージだったし、事実としてそうだったわけだが。


 朝、お化粧をする前の姿を見られて、こまったように顔を背ける。


 そういうところに、普段は全然意識しなかった死霊術師さんの、女の子っぽい部分を感じてしまって。

 そういうのは、ちょっとずるいな、と。おれは思った。

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