黒と紫は断ち切れない

「な、なな……なにしてんの!?」

「なにって……武器です」

「仲間じゃないの!?」


 勇者の終わっている倫理観にツッコミを入れてから、イトはふと気付く。そして、しまったと思った。

 自分の『蒼牙之士 ザン・アズル』で、彼女の身体を『断絶』してしまった。

 イトの目的は、あくまでもリリアミラ・ギルデンスターンの確保だ。殺害ではない。

 勇者の仲間を殺してしまったかもしれない。その事実に、イトは顔を青くして。


「勇者さま! わたくしを武器にするなら前もって言ってください!」

「ごめんごめん」


「……え?」


 まるで何事もなかったかのようにしている、リリアミラ・ギルデンスターンの身体を見て、言葉を失った。


「……なんで」

「あら? どうかしたのですか。騎士団長さま。お顔の色が悪いようですが」

「……ワタシは今。たしかにあなたを斬ったはず」

「ああ、なるほど。ええ、ええ! たしかにわたくし、先ほどの瞬間に完膚無きまでに一刀両断されました。されましたが、しかし……」


 元魔王軍四天王は、妖艶に微笑む。


「あなたの、蒼の魔法の一振りであっさり断たれるほど、わたくしの『紫魂落魄エド・モラド』は安くないのです」


 死霊術師は、告げていた。

 お前の『断絶』という概念より、自分の『蘇生』という概念の方が上なのだ、と。

 同じ色魔法だったとしても。お前のその魔法よりも、自分の魔法の方が、格上で、より色濃いのだ、と。


「先輩の魔法は、たしかに強いです。でも、死霊術師さんの魔法は、ですよ?」


 その宣言の説得力を、補強するかのように。

 リリアミラ・ギルデンスターンという人間棍棒を担いで、勇者が笑う。


「おれが殺せなかったのに……先輩に殺せるわけがないでしょう?」


 ぎりり、と。

 イトは、くやしさで歯を食い縛った。

 勇者と死霊術師。

 二人の間に、自分の知らない、目に見えない繋がりと深い信頼があるようで。

 それが、たまらなく不愉快だった。

 この感情に、嫉妬という名前をつけたくない程度には。


「……わーかったよ」


 イトは腰の愛刀を引き抜いた。


「じゃあ、ワタシの魔法で斬れるまで、お望み通り斬って斬って斬りまくってあげるよ」

「え? いやべつに斬られまくりたいわけではないのですが……」

「ふっ……望むところですよ、先輩」

「いや、勇者さま。ですからわたくし、べつに望んで斬られたいわけでは……いぎゃぁああ!?」


 イトが、愛刀を振るう。

 勇者が、愛すべき仲間を振るう。

 それらが激突するたびに、リリアミラの身体だけが一方的に切断され、鮮血が飛び散る。

 とても、世界を救った英雄が戦っているとは思えない。あまりにも凄惨でひどい、喜劇のようなチャンバラだった。


「うぅ……いっそ殺してください……!」

「いや殺しても死なないでしょ」

「それはそうなのですがーっ!」


 馬鹿なやりとりをしている勇者と人間棍棒(リリアミラ)を見て、しかしむしろ先程よりもやりづらいな、と。イトはそう思った。

 人一人分の重さを振るっている分、スイングスピードは圧倒的に落ちているが、接触する面積が広い。なにより、いくら斬っても蘇生するので、武器として使い減りすることがない。

 リリアミラ・ギルデンスターンという人間棍棒は、イトの『蒼牙之士 ザン・アズル』と正面から打ち合うのに、最も適した武器だった。

 それでも結局、イトの有利は覆らない。


「……やっぱり、先輩は強いなぁ」


 その強さを噛み締めて、味わうように。勇者はなおも笑っていた。

 イトは、目を細める。

 脳天を直接突き刺すような、違和感と危機感。

 肉片が、切り裂かれて宙を舞う。

 瞬間、勇者の体が、イトの目の前から、かき消えた。


「──哀矜懲双へメロザルド


 否、より正確に言うのであれば。

 宙を舞うリリアミラの肉片と、勇者の位置が、転移の魔法によって、入れ替わった。

 その仕掛けを理解していても、ほんの数秒、反応が遅れてしまう。

 取られた背後。勇者の手が、無遠慮に前へ。

 触れたものを、何もかも斬る。文字通り抜き身の刃に等しいイトの手のひらに、勇者の指先が伸びる。

 切られることを、一切恐れず。まるで、最初から斬られないことがわかっているかのように。勇者は自分から、イトに触れに来た。

 そして、互いの指が、絡まる。


「あ。先輩の手って、やっぱりちょっとちっちゃいですよね」

「ちょっ……」


 恋人繋ぎだった。

 斬り断つ蒼は、触れたすべてを切り裂く。

 ただし、自分が切りたくないものは、切れない。

 なによりも……大好きな人は、絶対に斬れない。

 自分の顔が、赤くなるのを、イトは自覚した。自覚してしまった。


(やばい……触られた。魔法が、来る)


 魔法に備えた、そのイトの思考を。


「では、もう一発。哀矜懲双へメロザルド


 勇者は、異なる魔法の選択によって、塗り変える。

 転移の連続使用。

 手を繋ぐほどの近距離にいたイトの体は、一瞬で勇者から引き剥がされる。具体的には、部屋の入口まで。

 単純な話。相手が瞬間移動するよりも、自分が方が、人間は混乱する。


(意識を奪う魔法はブラフ……? 最初からこっちを確実に使いたかった? 幻惑や幻術の類いは、ワタシに斬られて解除される可能性があるから!? でも……!)


 その『哀矜懲双へメロザルド』という魔法を使い慣れていない限り、位置関係の把握、飛ばされた距離の確認、混乱する思考を取りまとめるのに、どうしても時間を要する。


「こんなんじゃ、時間稼ぎにもならな……」

「死霊術師さん」

「はい」

「首出して」

「仰せのままに」


 残された最後の一振り。

 その刃を振り向きもせず、無造作に振るって。

 勇者は、守るべき仲間であるはずのリリアミラの首を、一切の躊躇すらなく、両断した。


「は?」


 常軌を逸した勇者の行動に、イトの思考は静止する。

 稼いだ間合い。稼いだ時間の、有効活用。


「よし。軽くなった」


 剣を放り投げた勇者は、片手で生首を。もう片方の腕で、首を失って鮮血を撒き散らしている体を、無造作に持ち上げて、見比べて。


「じゃあ、こっちはあげます」


 イトに向かって、ぶん投げた。

 頭だけが切り取られた、人間一人分の死体。投げて寄越されれば、それは立派な質量攻撃に成り得る。

 イトは、ほとんど反射で居合いを放った。

 魔法を用いて、投げられたそれを、一刀両断する。どうしても、投げられたそれを迎撃のために切断する、というアクションで、足が止まる。


「くっ……」


 生首を抱えた勇者は飄々と、開いた窓に足をかけて、告げた。


「すいません。ここは、逃げます。この埋め合わせは、いつか必ず」


 それだけを言い残して、勇者の姿が転移によって消える。開いた窓には、何が起こったのかわからないという顔でけたたましく鳴く、一羽の鳥が残された。

 今日は、良い天気だった。空を飛ぶ鳥と転移でことも、もちろん可能だろう。


「このっ……!」


 逃げられる。まだ、間に合うか?

 眼帯を外し、魔眼を起動。愛刀を構え、イトは距離に縛られない拡張斬撃を撃ち放とうと──


「やめてください」


 ──して、目の前に立ちはだかった赤髪の少女に、刃が当たる寸前で、イトはそれは押し留めた。


「……やあ、アカちゃん」

「こんにちは。お姉さん」

「きれいなワンピースだね。よく似合ってるよ」

「はい。ですので、と、助かります。わたしもこの服、お気に入りなんです」


 イトの魔法の威力は、理解しているはずなのに。いや、理解しているからこそ。

 欠片も物怖じする様子を見せず、赤髪の少女は両手を広げて、イトの前でにこりと微笑んでみせた。

 その真っ直ぐな赤い瞳に見据えられると、もうどうしようもない。


「……やれやれ」


 キン、と。

 刀を鞘に収めて、イトはまるで子どものように、床に大の字になった。


「ダメだダメだ。こりゃワタシの負けだね」


 強くなったと思っていた。

 魔法を磨き上げ、勇者よりも強く、鋭く、すべてを斬り裂く力を得た、と。

 まだ眼帯を外していなかった、とか。殺さないように立ち回っていた、とか。言い訳はいくらでもできるが、それらは結局ただの言い訳に過ぎない。

 自分は捕まえるつもりで対峙していたのに、実際はこの様なわけで。

 何よりも一つの事実として、イト・ユリシーズの『蒼牙之士 ザン・アズル』は、リリアミラ・ギルデンスターンの『紫魂落魄エド・モラド』を断ち斬ることができなかったのだ。


「まだまだ青いなぁ……ワタシも」


 己の未熟を嘆くイトの表情を、赤髪の少女が覗き込む。


「でもお姉さん、さっき顔赤くなってましたけど……」

「…………アカちゃん、うるさい」

「あいたっ!?」


 生意気なことを言うその額に、騎士団長のデコピンが突き刺さった。

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