勇者は死霊術師さんを見捨てない

「では、ご同行願います。リリアミラ・ギルデンスターン様」


 そう言われて、リリアミラははっと我に返った。

 勝ち誇るようなルナローゼの宣言とは真逆に、部屋に踏み込んできた騎士たちを束ねる分隊長の声は、至って平坦なものだった。


「あなたにかかっている嫌疑に関しては、先ほどグランツ嬢が申し上げた通りです。抵抗の意志を示される場合は、力尽くでの連行となります。それは我々にとっても本意ではないことを、どうかご理解いただきたい」


 対するリリアミラも、長い髪の先を指で弄りながら、問い返す。


「その言い草。わたくしを連れて行くのに十分な証拠は既に出揃っているのですか?」

「我々の所属は第三騎士団です。この意味が、わからないあなたではないでしょう」

「……なるほど。ですか」


 王都に存在する五つの騎士団は、要人の護衛やモンスターの討伐など、民を守る騎士として共通する職務の他に、それぞれの部隊ごとに特色とも言える役割を担っていることで知られている。

 王国最強の騎士であるグレアム・スターフォードが率いる第一騎士団は、王都の守護を。

 黒騎士、ジャン・クローズ・キャンピアスを頂点に据える第二騎士団は、大型モンスターの討伐を。

 そして新鋭、イト・ユリシーズが旗印となった第三騎士団は、悪魔の討伐とそれに関わった人間の審問を主な任としている。

 第三が動いた。その時点で、容疑者の抵抗は無意味と言ってもいい。


「致し方ありませんわね」

「……死霊術師さん」

「あらあら、そんな顔をなさらないでください、魔王さま。大丈夫です。ここは、わたくしが連れて行かれれば丸く収まるのですから、そのようにいたしましょう。今すぐに殺されるわけではありませんし、殺しても死なないのがわたくしという女です。でも、わたくし寂しがり屋ですので、面会には早めにいらしゃっていただけると助かります」


 任意の同行を求められたのだから、それに従う。

 リリアミラの判断は至って真っ当で正しく、常識的なものだった。周りの人間を巻き込まないように、という配慮に基づいた行動だった。


「では、手錠を」

「はい」


 その常識的な行動を、止める手があった。


「これは、なんのつもりでしょうか? 勇者様」

「見ての通りです」


 普通ではない勇者が、それを止めた。

 あくまでも表情を変えないまま、壮年の分隊長は勇者を見る。


「勇者様。抵抗される場合は、反抗の意思ありと見なします」

「隊長さん。死霊術師さんは、おれの仲間です。目の前で仲間を黙って連れて行かれて、はいそうですかと。指をくわえて見ているわけにはいきません」


 丁寧語で、やわらかな口調で、淡々と。

 勇者は、騎士たちに語りかける。


「勇者様、ここはどうか、ご理解いただきたい。率直に言って、我々はあなたを敵に回したくはありません」

「そうでしょうね。だからこうして、抵抗しています」

「ギルデンスターン様には、まだ容疑が掛かっているだけです。世界を救ったパーティーの一員として、釈明の余地は残されています」

「でもそれは、おれが今ここで死霊術師さんを見捨てる理由にはなりません」


 武装した騎士たちが、動き出す。


「最後の警告です。退いてください」

「最初から、答えは変わりません。無理です」

「……致し方ありませんな」


 交渉は、決裂した。

 勇者が人の名前を認識できない呪いを浴びた、というのは一般的に周知されている事実である。

 第五騎士団団長、レオ・リーオナイン著『勇者秘録』に記されているように。あるいは、公的な場で記録された勇者本人の言動からも、察するに余りある。

 同時に、複数の魔法を駆使する勇者が、その全盛期の力を失って弱体化している事実も、大っぴらに公言されることはないとはいえ、多くの騎士たちに認識されている情報の一つであった。

 勇者の手に、武器はない。撮影所の中に踏み込んだ騎士たちの数は、一個分隊、十二人。完全武装した十二人の騎士を、正面から単騎で相手取ることは、普通に考えればまず不可能である。


「すいません」


 世界を救った英雄だけが、その不可能を現実にする。

 一人目。峰打ちの要領で、鞘ごと振るわれたロングソード。その大振りを重心の移動だけで避け、勇者は鎧の隙間から手刀を叩き込んだ。

 二人目。倒れ込んだ仲間の死角から、タックルを掛けるように掴みかかってきたその勢いを、勇者は避けずに受け止めた。


「は?」


 鎧も含めた自身の全体重を掛け、勇者を押し倒そうとした騎士は、その体幹の強さに絶句する。

 動かない。床に根を下ろしているかのように、勇者の体は微動だにしない。木の幹か、何かのようだった。

 そのまま首筋に肘打ちを食らって、二人目が白目を剥く。

 三人目は、鞭のように唸るハイキックで沈黙した。四人目は、一本背負いの要領で、床に叩き伏せられた。


「ぶ、分隊長!」

「抜剣を許可する」

「はっ!」


 遂に、白銀に輝く刃が抜き放たれる。

 五人目の一閃を、勇者はあろうことか手のひらで止めて、白刃を取った。同時に、ブーツのつま先が一人目のロングソードを蹴り上げて、その柄が滑らかに勇者の手の中に吸い込まれる。曲芸に目を見張る五人目と六人目の顔面には、拳を一発ずつ。背後をうまく取った七人目には、後ろ回し蹴りで応じる。

 凄まじい蹴りの威力に刀身が叩き折れ、八人目はうめき声すら漏らすことなく地面に沈んだ。

 九人目が、魔術用紙を懐から引き抜く。仕込まれているのは、目潰しの閃光魔術。その動きを見て取った瞬間に、勇者は撮影機材の一つだった遮光板を掴み取って、盾にした。

 魔術用紙が起動、そして起爆。

 背後に立つルナローゼの目を庇い、外套で覆った分隊長は、光が晴れたその先に目を凝らしながら、呻いた。


「……やれやれ。どこの馬鹿だ。勇者は弱くなったなんて、ホラを吹いたのは」

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