我らの勇者に祝杯を
「おちたか?」
「おちましたね」
数十分後。
床に大の字になって動かなくなった勇者を見て、グレアム・スターフォードとレオ・リーオナインは頷きあった。
「よし……ギルボルト」
「はい、承知しております……ああ、私だ。状況終了。会場の撤収作業を開始しろ。想定通り、備品に被害が出ている。修繕費はユリシーズ団長宛で、第三騎士団につけておけ」
メガネの騎士団長……もとい第四騎士団の団長であるギルボルト・ヴァノンは、通信魔術でテキパキと指示を出す。とてもメガネが割れているとは思えない、冷静な手配であった。
「あっ! お待ち下さい! お開きにするのであれば、最後にもう一杯いただけますか!?」
「本当にお強いですね、レディ」
「さすが、勇者パーティーを支えた死霊術師殿ですな。リリアミラ・ギルデンスターン嬢」
勇者が寝落ちした今、名前に関する気遣いは必要ない。
この日はじめて、グレアムから名前を呼ばれて、リリアミラは微笑みながらグラスを掲げた。
「良いお酒は楽しまなければもったいないでしょう」
「それはそうだ。で、如何でしたか、今夜は?」
「ええ。楽しいパーティーでした。わたくし自身がいろいろなお酒を飲めて楽しかったのはもちろんですが、こんなに楽しそうにお酒を嗜む勇者さまを見たのは、一年ぶりです」
それは、彼が名前を失ってからの時間だ。
目を細めるリリアミラに釣られて、グレアムも口が緩くなる。
「リリアミラさん。こいつは、俺の教え子だ」
「ええ。存じております」
「勇者になる、と言って王国から出て行ったこいつは、本当に魔王を打倒して、勇者になって戻ってきた。だが、帰ってきた時にはもう、誰もこいつの名前を呼べなくなっていた」
「……ええ、存じております」
「どうして代わりに背負ってやれなかったんだろう、と。そう考えることがある」
だから、ぽろりと。
本音が、漏れた。
グレアムは、先ほどのやりとりを思い出す。
────親友、キミの本命は誰なんだい?
レオの問いかけに対して、勇者は困ったように笑うだけだった。
────まともに名前を呼ぶことすらできないおれに、女の子を幸せにすることはできないよ。
きっと彼は、世界を救ったことを後悔しているわけではない。
きっと彼以外に、世界を救うことはできなかった。
それでも、世界を救った彼が幸せになれないのは……勇者になる前の彼を知る者として、とても納得できるものではない。
世界を救った勇者には、救い終わった世界で、幸せになる義務がある。
グレアム・スターフォードも、レオ・リーオナインも、そしてユリン・メルーナ・ランガスタも、そう考えている。
「俺たちは結局、こいつの呪いを解いてやる方法を、まだ見つけられていない。もっと楽にしていい、と。えらそうなことを言って、気休めにこんな場を設けても、救ってやれないままだ」
それでも、少しでも。
彼がこれから幸せになる手伝いをできたら、と。
願わずにはいられないのだ。
「ですが、あなたが彼の代わりになることは、絶対にできません」
リリアミラはグレアムの葛藤を、穏やかに否定した。
「グレアム・スターフォード団長。わたくしが世界を救うことになったのは……そこで呑気に寝ている方が、勇者だったからです。仮に、もしもあなたが勇者だったとしたら、わたくしは最後まで、世界を滅ぼす側にいたでしょう」
「……ははっ。これは手厳しい」
グレアムは苦笑する。
元四天王に、これ以上なくあっさりとフラれてしまった。
リリアミラは、言葉を続ける。
「勇者さまに、代わりはいません。勇者さまの、代わりになることもできません。わたくしたちが考えるべきは、勇者さまの抱える荷物を肩代わりする方法ではなく……その荷物の重さを、軽くしてあげられる方法です」
「……そのわりには、あなたもこいつに背負われているように見えるが」
「はい! だって、良い女というものは、決まって重いものでしょう?」
「……やれやれ」
そこまで開き直られては、もう何も言い返せない。
「それに、今夜は楽しかったでしょう?」
「……ああ、そうだな。酒も飲めないガキだった教え子が、一緒に酒を飲める歳になった。教える側ってのは、それだけでうれしいもんです」
「そういうものですか」
「ええ。そういうものですよ」
リリアミラは散らかった室内を見回す。
主役はもう潰れてしまったが、積もる話はまだまだありそうだ。
中身が少し残っているボトルを、死霊術師はこれ見よがしに持ち上げて見せる。
「では、まだまだ飲み足りませんわね」
「お?」
「みなさま、素面のようなものでしょう? 如何ですか? 今夜はとことん、思い出話に花を咲かせるというのは。わたくしの語る勇者さまのお話は……長いですよ?」
なにせ、波乱万丈ですので、と。
リリアミラは騎士団長たちに向けて、笑いかけた。
かつては、命を奪い合う敵だった者同士。けれども、それがこうして、酒を酌み交わす日がやってきた。
そういう未来を作ってくれたのは、他でもない。今は酔い潰れている、一人の勇者だ。
グレアムとレオは顔を見合わせて、それから大きく笑った。
「いいですなぁ。ならば、二次会と洒落込みましょうか!」
「朝までお付き合いしますよ、レディ」
「まったくあなた方は……」
「そう言うな。美女の誘いは断れん。なあ、ギルボルト」
「はぁ……」
リリアミラは微笑んだ。あきれた声を出しながらも、ギルボルトもノンアルコールを手に取るあたり、やはり騎士団長たちは全員ノリが良い。
大の字で寝転がったままの英雄に向けて、彼らはグラスとジョッキとコップを掲げる。
「それでは……」
「ボクたちの勇者に」
「ええ。わたくしたちの勇者さまに」
二度目の乾杯の音が、静かに。けれど、軽やかに響く。
満月の光はやわらかく、開け放した窓から流れる風は、どこまでも穏やかだった。
すっかり泡が抜けてしまったビールを飲み干して、グレアムは笑う。
良い夜だ。
今夜は本当に、酒が美味い。
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