かくして勇者も酒にのまれる

「では、私は少し酔ってしまったので、このあたりで失礼します」

「みなさんはどうぞごゆっくり」


 えっほえっほ、と流れるように酔った自分自身を飲み会からサルベージし、賢者ちゃんは消えていった。

 おそらく、自分が酔って粗相をしでかさないように、最初からどこかで監視していたのであろう。本当に便利な魔法である。

 と、そこで潰れていたもう一人が顔を上げる。


「勇者くん」

「あ、騎士ちゃん。起きた?」

「勇者くん。座って」

「いや、とりあえずお水……」

「座れ」

「あ、はい」


 お姫様には逆らえない。

 座れ、と言われたのでおれは騎士ちゃんの隣に腰掛けた。

 こわい。なんかもう完全に目が座っている。


「勇者くんはさぁ」

「はい」

「あたしたちに気を遣いすぎなんだよね」

「いやそんなことは」

「気を遣ってたから。あたしたちから距離を置いてたんでしょ?」

「……」


 痛いところを突かれて、押し黙る。

 しかし、騎士ちゃんは相変わらずこちらを睨むような上目遣いで、言葉を続けた。


「ごめんね……」

「え?」

「あたしがもっと……もっとごはんに誘っていれば……」

「なに?」

「うぅ……今度、ハンバーグ作ってあげるね」

「本当になに?」


 話に脈絡がない。

 いや、酔っぱらいだから話に脈絡がないのは当然といえば当然なのだけれど。

 それはそれとして、わりとしっかり怒られる準備をしていたので、拍子抜けしてしまう。


「あのー、騎士さん?」

「うっ、う……」


 泣き上戸、と言えばいいのか。

 いつもの騎士ちゃんはどちらかといえば笑い上戸なのだが、今日に限っては何か変なスイッチが入っているらしい。

 アイスブルーの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れる。

 怒ってから、わんわんと泣く。

 子どもかな? 


「後輩」

「どわぁ!?」


 泣きはじめた騎士ちゃんをどう宥めるか考えていたせいで、反応が遅れた。

 背後から、体重がのしかかる。

 いつの間に、ケツを突き出したオブジェから復活していたのだろうか。

 音もなく背後に回られた先輩に、おれは押し倒された。そう、完全に押し倒された格好になってしまった。


「先輩……!? ちょ、ま……」

「後輩……」

「なんですか?」

《b》「飲もう」《/b》

「もう飲んじゃってるでしょ、あんたは!」


 おれの上にがっつりと体重をかけて伸し掛かる先輩の体は……案外重い。こんなことを口にしてしまえば間違いなく殺されてしまうのだが、悪い意味での重さではなく、しっかりと筋肉がついていることがわかる重さだった。

 片方だけの目が、こちらを見下ろす。

 唇の先から、ちろりと赤い舌が覗く。

 それは、捕食者の瞳だった。


「おー、慌てちゃって。かわいいかわいい」

「……いや、べつに慌ててはいませんが」

「おめでとうおめでとう。キミには、なんと……ワタシの眼帯を捲る権利をあげよう」

「だから本当になに?」


 何の権利なんだよそれは。


「ワタシの……ワタシの眼帯が捲れんのかっ!?」

「め、めんどくさ……」

「じゃあ飲もう」

「一周してるんだよ」

「飲もう飲もう。飲んでいやなこと忘れよ」

「だから……」

「眼帯が捲れないなら……ふむふむ。そうか、スカートか?」

「先輩?」

「ワタシの割れた腹筋が見たいなんて……」

「止まってくれ頼むから!」


 人間とはこんなにも会話ができない生き物だったのだろうか。

 おれが先輩に押し倒された結果、必然的にもう一人の酔払いである騎士ちゃんの相手はお留守となる。


「先輩、ずるい。また先輩だけ」

「あの、騎士ちゃん?」

「よかろうよかろう! このワタシが後輩にまとめて胸を貸して差し上げよう!」

「貸してるのはおれなんですけど……」

「差し上げられる!」

「騎士ちゃん!?」


 おれの胸の上に、二人分の体重が乗る。

 重い。物理的にも重いし、向けられる視線も重い。


「せっ……せんせい! 先生ーっ!」

「なんだね。両手に花の勇者殿」

「助けてください!」

「断る」


 ちくしょう! 

 人が困っているのを酒の肴にしやがって! 


「でも、楽しいだろう?」

「いやいや。だからって、なにを呑気に……」

「楽しんでいいんだよ、お前は」


 不意に、声のトーンが落ちた。


「名前が呼べなくても、名前を呼ばれなくても。それでも案外、酒はこうして楽しく飲めるもんだ」


 先生が生徒に言い聞かせるように。

 まるで昔に戻って、諭すかのようにそう言われて、おれは口をつぐんだ。

 いつの間にかまたおかわりしていたビールを飲みながら、ひげ面が笑う。


「そこの姫騎士さまと、騎士団長さまの言う通りだ。抱え込まなくていい。背負いすぎなくていい。いやなことがあれば、気楽に飲んで騒いでもいい。これからのことは、酒でも楽しみながら考えりゃいいんだ」


 それを聞いて、なんとなく陛下が今日の飲み会をセッティングしてくれた理由がわかった気がした。

 早く身を固めろ、だの。お前がふらふらしたままだと困る、だの。それらしいことをいろいろと言っていたが。

 なんてことはない。おれの知っている妹分の女の子は、おれのために……おれが昔馴染みの仲間たちと楽しく飲める席を、こうして用意してくれたのだ。

 たしかに、今日の夜は楽しかった。

 みんなで、お酒を飲んで話しながら、馬鹿騒ぎをする。そういう夜を過ごしたのは、本当にひさしぶりだ。


「合コンでもただの飲み会でも、なんでも構わん。お前が酒を飲みたくなったら、俺たちはいつでも付き合うさ」

「そういうこと。だからもう少し、気軽に誘ってほしいものだね。親友」


 両手に花を抱えながら。

 むさい男二人にそう言われると、こちらとしてはもう笑って、こう言うしかない。


「……ありがとうございます」


 二人は、とても満足気に頷いた。


「……よし。じゃあ俺たちはお邪魔みたいだから、一旦退散するか」

「え」

「そうですね。また後で来るよ、親友。ああ、安心してほしい。潰れたあとで介抱はきちんとしてあげるから。今日はとことん、心いくまで飲んでほしい」

「いや、ま……」


 去っていく騎士団長たちの背中に、伸ばそうとした手を。

 がっしりと、掴まれる。

 それは濃密極まる、アルコールの気配だった。


「勇者くんさぁ……」

「全然、飲んでなくない?」


 あっあっ……いやーっ! 

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