世界を救った死霊術師の死
勇者と死霊術師・ファーストコンタクト
服が好きだ。
重ねれば重ねるほど、醜い自分を覆い隠してくれるように感じるから。
魔王軍四天王、第二位。リリアミラ・ギルデンスターンは、一糸纏わぬ己の裸体を鏡で確認して、軽く息を吐いた。
衣装棚に収められた服を眺める。
元よりそこまで重要な拠点ではないとはいえ、それなりに長い期間滞在していたので、持ち込んでいた衣服の量も相応のものになっている。気に入っている服も何着もあるのだが、すべて持ち出すのは難しいだろう。
「ご報告します! リリアミラ様」
「着替え中です。手短にお願いします」
「し、失礼いたしました」
カーテン越しに、翼が畳まれる気配がした。
比較的頭がよく回る……という理由で重用している上級悪魔の一体が、膝を折って小さくなる。
「勇者が率いる軍勢の勢いは、我々の想像を遥かに上回っており……防衛線が突破されつつあります。恐れながら、ギルデンスターン様にもご出陣願いたいと……」
「グリンクレイヴの増援はどうなっているのです? もう到着していてもおかしくないはずでしょう?」
選び取った黒の下着を穿きながら、リリアミラは部下の悪魔に問いかける。
新進気鋭の勇者とやらが、この拠点を目指して進行してきている情報は事前に入手していた。故に、事前にこちらの戦力が削られることを見越して、同じ四天王の第三位には増援を要請してある。
しかし、返事の歯切れは悪いものだった。
「そ、それが……」
「なんです? 報告は、はっきりなさい」
「は。実は、グリンクレイヴ様からは、先ほど連絡がありました。文面はこちらに……」
カーテン越しに差し出されたそれを、リリアミラは手に取った。
嫌になるほどの達筆に、上品な便箋。しかし、中に記されたメッセージは、とても短かく簡素だった。
──貴様もたまには、前線に出て働け。
──引き籠もってばかりで、胸と腹の重さが気になって来た頃だろう?
「……クソジジイが」
一つ。舌打ちをして、リリアミラは手紙とも言えない紙切れを握り潰した。
白く長い……皮肉にもたしかに自分自身、肉付きを気にかけるようになってきた……脚をタイツに通しながら、四天王は思考する。
リリアミラが前に出れば、損耗した戦力の補充はいくらでも効く。だが、この拠点に集めてある手駒の質は、あまり高くない。グリンクレイヴからの増援が望めないのであれば、お互いに決定打のない泥仕合に成りかねない。勇者の善戦を聞きつけて、有力な魔法使いが駆けつけてくれば、それだけで詰みだ。
「例のものの持ち出しはどうなっています?」
「問題ありません。シャイロック様が敷設にご協力してくださった転送魔導陣で、ほぼ完了しております」
「結構。ならば、関連する資料はすべて廃棄しなさい。痕跡を残してはなりません」
ブラウスを羽織って、前を閉じる。こちらもまた少し、サイズがキツくなったかもしれない。
リリアミラは魔石が嵌め込まれたタイを手に取って、襟元で締めた。ベストを着込み、その上からワンピースの構造になっている軍服を身に着ける。以前、主と揃えて仕立てたお気に入りのものだ。
ベルトを腰でまとめ、ブーツを履き込む。腰まで届く黒い長髪をバネッタでまとめ、帽子を被る。カーテンを開けると、配下の悪魔は何も言わずにリリアミラの肩に厚手のコートを掛けた。
「では……リリアミラ様」
「この拠点は破棄します」
「よろしいのですか?」
「元はと言えば、増援を寄越さないグリンクレイヴが悪いのです。魔王様も、お怒りになることはないでしょう」
私室から、階下の大広間へと降りる。
扉を開けた瞬間に、慣れ親しんだ腐臭が鼻を突いた。充満しているのは、ねっとりとした血の香り。リリアミラの事前の指示通り、前線で殺された魔物や悪魔たちが、一箇所に集められていた。
それらの死体を薄目で、リリアミラは見下ろす。炎熱系の魔術による肉体の損壊と、刺し傷のような裂傷が、特に目についた。
死体は、情報の塊だ。
それらの死に方を観察すれば「どうやって死んだか」が、一目でわかる。
とはいえ、リリアミラの魔法の力をもってすれば、本人たちからその死因を聞くことができるので、あまり意味はないのだが。
「あなたは残存戦力を取りまとめて、離脱しなさい。殿はわたくしが務めます」
「で、でしたら私もお供を……」
「撤退の指揮を執る人間がいなくては困るでしょう? 気遣いは結構です。早くお行きなさい。わたくしを誰だと思っているのです?」
「はっ……どうか、ご無事で」
悪魔にしては珍しく、忠誠心の厚いその声には、ひらひらと左手を振って応えて。
リリアミラは逆の左手で、死体に触れ始めた。
四秒。
それだけの時間があれば、息絶えていようと、原型を留めていない死体であろうと、全ての死者は再び動き出す。
蘇った魔物と悪魔たちは、眼前に立つリリアミラを見て状況を理解し、深々と頭を垂れた。
リリアミラ・ギルデンスターンは、純粋な人間である。アリエス・フィアーのように十二の使徒から四天王の地位に引き上げられた最上級悪魔でもなければ、ゼアート・グリンクレイヴのように人間でありながら自身の武力を以てして魔族を従える戦闘狂でもなく。ましてや、トリンキュロ・リムリリィのようなイカれた突然変異でもない。
にも関わらず、リリアミラが魔王軍の中で深い尊敬を一心に集める理由は、唯一つ。
生き物は、自分の命を救ってくれた存在に、心の底から感謝の念を抱くからだ。
醜悪な魔族であろうと、人間を嘲笑う悪魔であろうと、それは変わらない。
「さて」
死人に口なし、ではなく、死人に口あり。
蘇生の魔法の前では、使い古された下らない表現も、簡単に書き換わる。
「敵は勇者ですね? 戦い方。使用する魔法、武器。なんでも構いません。情報を教えなさい。あなたたちは、どうやって殺されました?」
「恐れながら、ギルデンスターン様」
人語に造詣の深い個体なのだろう。一体が前に進み出て、滑らかに言葉を紡ぐ。
「発言を許可します。続けなさい」
「はっ……我々は、勇者とはじめて相対しましたが、あれは」
人間を簡単に喰い殺すことができる、鋭い牙。それを覗かせる口元は、しかしはっきりとわかるほどに小刻みに震えていた。
「あれは、バケモノです」
直後のことであった。
大広間の天井が、音を立てて崩壊した。豪奢なシャンデリアが、粉々に砕け散って落ちる。
魔物たちは自ら進んで盾になるように体を重ねてリリアミラを守った。そして、覆い被さった魔物たちの体の隙間から、リリアミラはそれを見た。
着地する人影。決して大きくはない、自分たちよりも遥かに小さいその人影に、魔物も悪魔も、恐れ慄いたように距離を取る。
城壁を超えて?
屋根を破って来た?
空でも飛んできたのか?
「ほら見ろ。やっぱり上からの方が早かった」
それは、敵地の中央に飛び込んできたとは思えない、呑気な声音だった。
本来は、闇を溶かし込んだような色合いなのであろう漆黒の鎧は、返り血で赤く染まっている。
片手に長槍を。もう片方の手に戦斧を。細身でありながら、それは両の手に身の丈を超える武器を軽々と構えていた。
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