黒輝の勇者は、人々に愛されている
王宮の庭園には、夥しい数の群衆が集まっていた。
「すごい数だな。よくもまあ、これだけ駆けつけたものだ」
庭園を一望できるテラスに立ち、ユリンは呟いた。
女王陛下が、勇者の健在を国民に知らせる。
文字にしてしまえば、たった一行。ただそれだけの知らせのみ。
しかし、そんな知らせだけで、王宮の庭園は、数え切れない人々で埋め尽くされていた。
人々のざわめきと不信。それらが、塊となって渦巻いているようだ。眼下の国民を見て、ユリンはそう思った。
「では、陛下」
「うむ」
拡声魔術を仕込んだペンダントを、ユリンはシャナから受け取った。
「皆、よくぞ集まってくれた」
女王の一声に、瞬間。人々のざわめきが、嘘のように静まり返る。
ユリン・メルーナ・ランガスタは、王になるということを。決して軽く考えていたわけではない。
それでも、いざこうして人前に立つ時。数えきれない人々の視線に晒される時。ユリンは、すべてを投げ出してどこかに消えてしまいたくなることがある。
まだ十二歳の少女には、重すぎる圧力。それを背負いながら、ユリンは毅然と声を張る。
「まずは、詫びさせてほしい」
第一声には、謝罪を選択した。
王は、民に対して声を震わせてはならない。
王は、民に対して不安を見せてはならない。
故に、それはどこまでも、堂々とした謝罪だった。
「この数ヶ月。勇者の不在がまことしやかに囁かれていたのは、余も預かり知るところである。隣国のキドン、アイアラスとの情勢が不安定な今、国民の皆に心配をかけてしまったこと。一人の王として、心より謝罪したい」
ユリンは、幼い王だ。
経験が足りない。知識が足りない。威厳が足りない。
何もかも足りない幼い王が、玉座でふんぞりかえっているだけでは、誰もついてこない。
だからユリンは、共感という感情を用いる。己の外見が、愛らしいものであることを、平然と活用する。
幼い王が、懸命に声を張り、呼びかける姿。それを見て、群衆の感情は、少しずつ王に寄り添っていく。
「だが、何も不安に思うことはない!」
その寄り添いを、ユリンは一声でまとめあげた。
視線を、感情を。すべてを自分に集めた上で、手を掲げて、それらを別の一人に誘導してみせる。
高らかに手を掲げて、ユリンは指し示した。
「見よ! 我が国が誇る勇者は、健在である!」
声に合わせて、彼は人々の前に姿を現した。
漆黒に金の装飾が入った、式典用の鎧。
やや長いくすんだ赤色の髪は丁寧に結い上げられ、まとめられている。
先ほど気の抜けたやりとりをしていたのと、同一人物とは思えない。王国が誇る、世界を救った勇者が、そこにいた。
ざわり、と。
彼が出てきただけで、人々の波は大きく揺れた。
──勇者さまだ。
──勇者様だ!
──本物だ!
──本当に勇者様がいらしゃった!
ざわめきが、段々と大きくなっていく。
勇者様だ、と。その小さな呟きがはじまりとなって、民衆に少しずつ広がり、伝播していく。
熱狂。声援。歓声。一つの大きな爆弾となって、火が点きかけたそれを、
「……」
世界を救った勇者は、無言のまま制した。
溢れかけたコップの水を、ぎりぎりのところで止めるように。幼子に、静かにしなさいと諭すように。
人差し指を、唇に当てて見せることで。自分の登場によって爆発しかけた熱狂を、指一本のみで押し留めてみせた。
それはまだ、ユリンにはできない芸当であった。
「……勇者よ。こちらへ」
ユリンは、彼の歩き方が好きだ。
背筋が伸びていて、背中に一本の芯が通っている。
ユリンは、彼の横顔が好きだ。
やわらかく、人を安心させる顔つきは、彼が持つ一つの武器だから。
ユリンは、彼が自分に向けて膝を折るのが嫌いだ。
一緒に旅をしていたあの頃の関係に、もう戻れないのを否が応にも理解させられてしまうから。
しかし、女王であるユリンは、自分に向けて臣下の礼を取る勇者の姿を、国民に見せなければならない。
頭を下げる前に、彼の口が、ユリンにだけわかるように声を発さずに動いた。
──さあ、どうぞ。
己の中に渦巻く感情を振り切って。
幼い女王は、高らかに叫びをあげる。
「誇れ! 我らは、世界を救う星の盾! 世界から魔を打ち払った守護者の国である! 黒輝の勇者が共にある限り、世界は知ることになるだろう! 我がステラシルドの繁栄は、永遠であると!」
英雄が、英雄であるために、理由は必要か?
不要である。人々が彼を既に英雄として認識していること。それこそが、既に彼が英雄である証明に他ならない。
英雄が英雄であるために、言葉は必要か?
不要である。ただそこに在るだけで、人々が熱狂する存在。それが英雄なのだから。
「……」
声は発しない。
腕を掲げて、民に応える。
たったそれだけの所作のみ。そんな小さな動作だけで、留めて、留めて、留め置いていた歓声が、遂に爆発した。
無言のまま、あくまでも王を支える一人として。
その姿勢を崩さないまま、国民を沸かせる彼を見て、ユリンは思う。
──ああ、やっぱりお兄ちゃんには敵わないなぁ。
勇者は、そこに在るだけで、誰よりも勇者だった。
◇
「あー、疲れた。肩凝る。動きたくない」
ぐでーっと。
式典用の無駄に重くて豪華な鎧を脱ぎ捨て、おれは脱力した。
大勢の前に出るのは、やっぱり気を張るし疲れる。これを日常的にやってる陛下は本当にすごいと思う、うん。
「勇者さんは疲れるほど何もしてないでしょう? 一言も喋らなかったじゃないですか」
やはり賢者ちゃんがちくちくと言ってきたので、首だけ回して応戦する。
「いやいや、あの場ではおれが喋る必要はないでしょ。引退した勇者の演説なんて、誰も聞きたくないだろうし」
それに、おれは世界を救った勇者であって、王様ではない。
「あの場の主役は、あくまでも陛下だよ」
尊敬も、信頼も。おれではなく、国王である陛下に向けられるべきだ。おれは、そのための手伝いができれば、それで良い。
赤髪ちゃんが、感心したように呟いた。
「勇者さんも、いろいろ考えてるんですね」
「そりゃあね」
あの子を王にしたのは、おれだ。当然、その責任がある。
だから、頭を下げろと言われれば下げるし、剣を掲げろと言われれば掲げる。
あの子が国王である限り、おれはその命令に従うことになるだろう。
なによりも、一緒に旅をしたかわいい妹の頼みは、なかなか断れないのだ。お兄ちゃんとしては。
「ほほう。それは殊勝な心がけだな」
と、演説を終えた陛下が戻ってきた。
「心に残るお話を、ありがとうございました。陛下」
「世辞は良い。それよりもお前、今……なんでもすると、そう言ったよな?」
「え? いや、なんでもするとは……」
「言ったよな?」
「あ、はい」
明らかにめんどくさい流れだったので、おれはもう頷くしかなかった。
「では、かわいいかわいい妹から、一つお願いをしよう。同時に、この国を統べる王として、臣下である勇者に命じる」
妹として。王として。
持てる立場と権力を最大限に振り翳しながら、陛下は告げる。
「婚活をせよ」
「……なんで?」
「そんなの、決まっているだろう」
不敬極まる疑問の声に、この日一番の笑顔で、女王陛下は言い切った。
「兄の幸せを願うのは、妹として当然であるからな!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます