魔王は、黒輝の勇者を

「……どういう意味だ?」


 質問の意味を、問い返す。

 魔王はふわりと笑って、指を二本。ぴんと張った。


「ジェミニは悪魔だったけど……あなたが今触れているのは人間の心でしょう?」


 おれの魔法は、殺した相手の名と魔法を奪う。

 そんな、今さら説明するまでもない事実を、魔王はわざわざ再確認する。


「あなたのその力は、わたしを倒すための魔法だった。世界を救うための魔法だった。あなたは……けど」


 それは、誘惑に近い。

 それでいて、試練にも似ている。

 甘い声音は、いやになるほど自信に満ちていて。


「でも、今は違う」


 重ねた否定が、いやにはっきりと響いて。


「わたしはもう、あなたが生きる世界にはいない」


 澄みきった瞳は、こちらを試すようで。


「ねえ、勇者。世界を救い終わった勇者さん。今だからこそ、もう一度問うわ。あなたは本当に、その魔法を正しく使えるの?」

「当たり前だ」


 おれは、即答をした。

 勇者を試す、魔王の問いに即答を返した。

 魔王は、驚かなかった。表情を変えないまま、おれの顔をじっと見詰めていた。

 懐かしい。昔はよく、二人きりでこういう問答をしたものだ。

 交わす言葉は平行線のままで、結局おれたちは最後まで対立することしかできなかった。思い返してみれば、おれはいつも彼女の問いに対して、満足いく答えを返すことができていなかったように感じる。

 だから、リベンジをさせてもらおう。


「おれの魔法も、おれの心も、おれのすべては……お前を殺すためにあった」

「ええ、そうね。だって、それが勇者だもの」


 コイツの言葉は、たしかに正しい。

 きっと、おれという勇者は、魔王を殺すために存在していた。


「でも、今は違う」


 先ほどの言葉を、そのまま借りて使わせてもらう。

 魔王を倒して、世界を救って、名前を奪われて。

 おれという勇者の物語はそこで一度、たしかに終わった。

 何をすればいいのか、わからなかった。この世界に、もう魔王はいないのに、出会う誰もがおれのことを『勇者』と呼ぶ。

 それが、恐ろしかった。自分にもう名前がないことを突きつけられているようで、怖かった。

 ただ『勇者』という記号が存在証明の代わりになって、おれという個人の存在が、少しずつ擦り減っていくようで。名前を知る人たちと連絡を断ち、関係を絶って、その事実から目を背けて、逃げ続けて生きていた。

 だけど、あの日。追われている女の子を助けて、止まっていた時間がまた動き出した。


 勇者さん、と。


 助けた女の子からそう呼ばれた時、どこか心が軽くなった。

 それ以外に名乗る名前がなかったから、仕方なくそう呼んでもらっただけだったのに。でも、記憶も名前も何もないと告げる彼女からそう呼ばれて、そこからまた新しい冒険がはじまった。

 もう一度、パーティーのみんなに会うことができた。


 賢者ちゃんには、小言を言われて。

 騎士ちゃんと、お酒を酌み交わして。

 師匠からは、頭を撫でられて。

 死霊術師さんに、抱きつかれて。


 名前を失っても。

 何も、変わってなんかいなかった。


「お前がいなくなっても、おれは勇者なんだ」


 それが、とても多いことをおれは知っている。

 それが、とても熱いことをおれは知っている。

 それが、変わらないことをおれは知っている。

 それが、美しく在ることをおれは知っている。

 なによりも……それが、鮮やかな色合いであることを、おれはよく知っている。


 だからきっと、最初から迷う必要なんてなかった。


「愛されてるのね。あなたは」


 色のない魔王は笑った。


「……ずるいなぁ」


 それはやはり、少し寂しそうな笑みだった。


「そんな風に、いろいろな愛に彩られて……あなたって、本当にずるいひと」

「ヤキモチか?」

「うん。嫉妬しちゃう」


 ならば、その嫉妬は甘んじて受け入れようと思った。

 仕方ない。モテる男はつらいのだ。


「ねえ、勇者。最後に一つだけ聞かせて」


 最後、と言われて。

 ああ、もう話すのは終わりなのか、と。そう思った。


「救い終わった世界に、勇者は必要?」


 いじわるな質問だ。

 しかし、胸を張って答えなければならない問いだった。


「何度でも言う。お前がこの世界にいなくても……おれは、勇者で在り続けるよ」

「……そっか」


 寂しそうな微笑みが、ほんの少しだけ。

 嬉しそうな微笑みに変わった。


「じゃあ、気をつけて」


 胸に、手が触れる。やわらかく体を押されて、おれの意識は薄れていく。

 ずっとこちらを見詰めていた瞳は、


「がんばってね。わたしの勇者」


 最後の最後まで、優しいままだった。

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