本物の魔王

 理屈も理由も常識も。

 すべてを超越した魔の斬撃が、石のヒトガタたちを切り捨てていく。

 圧倒的、という言葉では生温い。美麗、という言葉でもなお、表現が不足している。

 世界最強の斬撃が、おれの前で踊り出して止まらない。

 極限まで突き詰められた、切断という概念が、腹の中から内蔵そのものを掻っ捌いていく。


「やめろ……やめろぉ! 私をっ! 私を斬るなぁ!?」


 叫びが聞こえた。おそらく、この迷宮の、心の声が。

 遂に痺れを切らしたように、おれたちが立つ地面そのものが隆起して、形を変え、大口を開けて飲み込もうと蠢き出す。


「先輩!」

「うん。わかってるわかってる」


 声音は、冷静だった。

 おれの前に立つ剣士は、左右で色の違う瞳で、それを一瞥する。

 今までの斬撃は、すべて片手だった。

 しかし、単純な理屈として……剣は、両手で振るった方が、強い。

 はじめて、先輩は両の手のひらで刀の柄を握り締めた。


「多分、この下かな?」


 大上段の、振り下ろし。

 力強い一閃が、地面を両断した。

 それはもはや、物体に対する斬撃でも切断ではない。地層そのものに対する割断に等しい。

 真っ二つに割れた、足元の下。濃密な魔力と、蠢く心臓のような核が、視界に入った。しかし、敵も馬鹿ではない。すぐに核をカバーしようと、地面が壁の如く動いて、また再構成をはじめる。


「逃げられるよ!」

「逃しません」


 警告に応えて、おれは割れた地面の中に飛び込んだ。

 距離がある。まだ届かない。故に、懐から取り出した小さな石を、それに向かって全力で投擲する。

 無論、そんな石の礫で、迷宮の核が破壊できるわけもなく。


「────哀矜懲双へメロザルド


 だからこれは、最初から攻撃ではない。

 距離を詰めるための、一手だ。

 ジェミニの魔法を、使用する。

 投げた石と、自由落下するおれの体が魔法によって入れ替わる。一瞬で、距離が縮まる。

 それは、核を守ろうとする迷宮の計算を狂わせるには、十分過ぎる隙だった。


「捕まえた」


 片腕の手のひらで掴めるほどの、小さな核。

 それに触れた瞬間。目の前が、真っ暗になった。



 ◆



「……む。またか」


 やれやれ。

 何回、精神攻撃をすれば気が済むのだろうか。

 迷宮の核を砕くために、直接手を触れた結果。

 どうやらおれはまた、魔法が作る夢の中に引きずり込まれてしまったらしい。

 おれの目の前には、一人の少女がいた。

 ついさっき、おれがパイとケーキを顔面に直撃させた少女だ。


「何度やっても無駄だってわからないかね」

「ええ。わたしもそう思うわ」


 やはり、さっきと同じ声がした。

 いい加減、この手の精神攻撃はおれに通用しないことを学んでほしいものだ。

 再び目の前に現れた魔王の幻影に向けて、指を突きつける。


「なんだよ。またパイを顔にぶん投げてほしいのか?」

「え! パイを顔に投げてくれるの!? うれしい! それ、食べていいってことでしょう!?」

「……」


 ちょっとした間があった。

 食い気味にこんなことを言ってくる女を、おれは一人しか知らない。


「……なんて言えばいいんだろうな、こういう時」

「ひさしぶり、でいいんじゃないかしら」

「そうか」


 目を合わせて、顔を見る。


「ひさしぶりだな。魔王」

「ええ、また会えてうれしいわ。勇者」


 ふんわりと笑うその表情が。

 上品に緩む口元が。


「で、パイはどこ?」

「ねぇよそんなもん」


 そしてなによりも、その恐ろしい食い意地が。

 夢幻の類いではなく、目の前に立つ彼女が本物であることを、おれに正しく認識させた。

 絹のような髪を横に揺らしながら「甘いもの、食べられると思ったのに……」と、しょんぼり肩が落ちる。そこには、魔王の威厳は欠片もなかった。


「……なんで、いるんだ?」

「なんでって言われても、ほら。わたしはあなたの中にずっといるわけだし」

「呪いとして?」

「そう。呪いとして」


 つまり、さっきおれがパイとケーキを顔面に直撃させた女は、敵が魔法によって生み出した偽物で。

 現在進行形でおれの目の前でしょんぼりと肩を落としている少女は、本当の意味でおれの中に呪いとして残っている魔王なのだろう。


「じゃあ、なんでさっきは出てこなかったんだ?」

「幻のわたしに振り回されるあなたを見るのもおもしろいでしょう?」


 なんて重い女だ。勘弁してくれ。

 頼むから早くおれの心から出て行ってほしい。本当にお願いだから。


「それにね」


 と、魔王は言葉を繋げてはにかむ。


「前はあの子とも喋ったし……良い機会だから、今回はあなたとお喋りしておこうかなって」


 あの子、というのが赤髪ちゃんのことを指しているのは、なんとなくすぐにわかった。


「お前、赤髪ちゃんにいじわるなこと言ってないだろうな?」

「失礼ね。わたしのやさしさを信用できないの? わたしと一つになって、復活してみないかって。そう提案しただけよ」


 コイツ、生き返る気満々じゃねぇか。


「でも、フラれちゃった」

「当然だ」

「あなたのパーティーの人間、わたしのことを絶対拒むのよね。どうして?」

「そりゃ魔王を倒すために集めたパーティーなんだから、拒むに決まってるだろ」

「わたしが誘惑すれば、ほとんどの人間はいちころなのに……」

「残念だったな。お前の誘惑に引っかかるアホな人間なんて、うちのパーティーにはいないんだよ」

「ひどい。そういういじわる言うんだ」


 すっと。

 彼女の指がおれの胸に触れた。


「でもさっき、わたしのニセモノに怒ってくれたでしょう?」

「……」

「どうして?」

「…………」

「ねえ、どうして?」

「…………うるさい」


 くすくすくすくす、と。

 口元に手を当てて、こちらを上目遣いに見上げて、彼女は笑った。


「いじわる返し、効いた?」

「効いてない」

「効いてるくせに」

「……早く用件を言え」

「そうね。まあ、用件と言うほどではないけれど。一応、忠告しておこうかと思って」


 くるり、と。

 長い髪と細い体が、おれの前で回って。

 透き通るような瞳が、心を見透かすように射抜いた。


「黒の魔法。使って大丈夫?」

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