とある魔法使いと四天王の昔話
どこにでもある、なんの変哲もないお話。
昔々、あるところに、一人の魔導師がいた。彼はとても優秀な魔術の使い手で、魔物が多く現れる地域に滞在し、それらを狩り尽くしては次の場所へと向かう。根無し草のような生活を送っていた。
とはいえ、住む場所や着るものに困っていたわけではない。腕の良い魔導師である彼を、魔物に脅かされる村の住人たちは好意的に歓迎した。人々からは感謝され、多くの場合、定住を求められた。しかし、彼はそれらの温かい申し出を断り、一箇所への滞在は長くても数週間に留めた。
「きみっておもしろいよね。ボク、きみのことがもっと知りたいな!」
だから、彼が彼女と知り合ったのは、偶然だった。
彼は今まで共に旅をする仲間を持ったことすらなかった。しかし、なぜか自分にくっついてくる彼女だけは、邪険にすることができなかった。
中性的な風貌の、変わった魅力を持った少女だった。自分のことはこれっぽっちも話そうとはしないくせに、相手のことはとても知りたがる。ニコニコと話を聞いて、本当に嬉しそうに目をキラキラとさせて。
冒険者は、自己中心的な性格の人間が多い。聞き上手、と言ってしまうのは簡単だったが、話していると不思議と心地良い彼女の魅力に、彼はいつの間にか惹かれていった。
「なあ、リリィ」
「なぁに?」
「俺と、一緒にならないか?」
彼から彼女への、シンプルな告白。
けれど、それはあっさり裏切られた。
「ごめん。それはできないんだ。ボクは人間のことが大好きだけど……キミのことが好きなわけじゃないから」
「……そうか」
なんとなく、告白する前から振られることはわかっていた。
なので、彼はそれ以上彼女に縋るような、情けない真似はしなかった。
「じゃあ、仕方ないな」
なので、告白とは別の方法で、彼は彼女を自分のものにすることにした。
「……え?」
手を触れた彼女の体から、力が抜ける。目から生気が抜け落ちる。
彼は魔導師であるのと同時に、魔法使いだった。
そして、自分の欲望を叶える為なら躊躇いなく魔法を使う人種であった。
「いいさ。今から、お前を俺に惚れさせてやるから」
彼が持つ魔法の名は『
その魔法効果は、触れた対象への幻惑である。
一度、触れてしまえば、その人間が望む光景を。あるいは、恐怖の対象を。自由自在に、意のままに見せることができる。それが魔法である以上、魔術で防御も解除も不可能な強力な幻術。悪辣極まる、精神攻撃。
この魔法があれば、触れた相手に刷り込みを行い、思うがままに操ることすら容易い……
「そっか! なるほど! そういう魔法か!」
「あ?」
容易いはず、だった。
「即死効果こそないけど、なかなか良い魔法だね! ちょっと効果範囲が狭いのが難点だけど、色々と応用が効きそうだし、便利な魔法だと思うよ! ボクは好きだな」
いつものように。
彼女はキラキラと目を輝かせて、彼の瞳を覗き込むようにして語りかけてきた。
魔法は、たしかに発動させたはず。
それなのに、なぜ?
「きみが誰とも仲を深めようとしないのは、その魔法が原因だよね? 触れてしまえば好きなように相手を惑わせることができるから、根本的に人を信頼してないのかな?」
「やめろ……」
「自己嫌悪、とでも言えばいいのかな? きみは、手が触れるような距離感の親しい人間を作りたがらない。もしかして、好きになった女の子って……ボクがはじめてだったりする? うわ、だとしたらごめんね。悪いことをしちゃった」
「やめろ……」
「そういう魔法を持っていたから、そういう心を持つようになったのか。それとも、そういう心を持っていたから、そういう魔法が形作られたのか。興味が尽きないよ。やっぱり、人の心はおもしろいね」
「やめろ、と……!」
「やめないよ」
細腕の、片手一本の、枝のような指先。
たったそれだけで、首を絞め上げられる。彼は、潰れる前の蛙のようにもがくことしかできなかった。
懐いていた感情が、白と黒のように裏返る。彼が彼女に対して抱いていた親しみは、一瞬で純粋な恐怖に塗り替わっていた。
「うーん……きみみたいな彼氏を作って持って帰ったら、アリエスは喜ぶかな? でもボク、さっきも言ったけどきみ個人のことはべつに好きじゃないんだよね」
「た、たすけ……」
「色魔法じゃなかったのは残念だけど、きみの魔法はいろいろ使えると思うんだよね。うん、大丈夫。いつもなら食べちゃうところだけど、そこそこ長い付き合いになったし……殺しはしないよ。安心して、助けてあげる」
その笑顔は変わらない。
その声音も変わらない。
自分に興味を持ってくれていた、美しい瞳の輝きすらも、何も変わらないまま。
「きみ、さ。ちょっと人間やめて……ダンジョンになってみない?」
何を言っているんだ、と。叫ぶことすら叶わない。
それは、人間に興味があった。
それは、人間に対する情があった。
それは、人間を使い潰す無邪気極まる悪辣を、生まれながらにして備えていた。
「実験をね……してみたいんだ」
最初から最後まで、彼女は彼のことを興味深く観察していた。
これは、どこにでもある、何の変哲もないお話。
人の形をした悪魔に騙された、かわいそうな一人の魔法使いの結末。
勇者はいない。だから救いもない。
一人の男が、生きながらにして迷宮にされてしまった、哀れなお話。
男の名は、もはや掠れて消えてしまった。
女の名は、トリンキュロ・リムリリィという。
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