勇者は幻惑される
「やっぱり、人間じゃないね」
もう何度目になるかわからない。
手刀で切り落とした相手の首を見て、イト・ユリシーズは吐き捨てた。
「……そうだ。私は人間ではない」
フードの下の顔には、何もなかった。
幼児がとりあえず人の形に整えたような、無邪気で不細工なのっぺらぼう。
それが、イトが見た得体の知れない襲撃者の正体だった。
「でも、その姿が本体ってわけでもないでしょ?」
「……なるほど。やはり、目が良い」
「どうもどうも。ま、これ義眼なんだけどさ」
その瞳で、正体を見極めながら、イトは問う。
「で、答えてほしいな。キミは何?」
「そんなに良い目を持っているなら、もうわかっているだろう? 私は、人間ではない。モンスターでもない。そもそも、血の通った生物ですらない」
口の代わりの、空洞のような穴が歪んで笑う。
「私は、このダンジョンそのものだ」
魔王軍四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは考えた。
ダンジョンとは、迷宮。迷宮とは、冒険者に探索され、いつかは踏破されてしまうもの。どこに罠があるか、どこが正解の出口に続く道なのか。どんなに巨大で複雑な迷宮であったとしても、多くの人々が多くの時間をかければ、いずれ全てが解き明かされてしまう。
伝説と謳われたゴーレムマスターであり四賢の一人、ザイルディン・オセロはダンジョンそのものに命と意識を宿し、入る度に構造が変わる魔の迷宮を作り出したという。
なので、トリンキュロ・リムリリィは閃いた。
──そうだ。おもしろいから、それをパクってみよう!
魔法を持った人間の精神を一人分、そのまま丸ごとダンジョンの素材にする。
侵入される度に内部構造が変化するような複雑で繊細なシステムは、いくら四天王の第一位でも再現不可能だった。それほど精密な砂岩魔術の腕もなかった。
なので、トリンキュロ・リムリリィは逆に考えた。
──そっか。べつにダンジョンの構造には拘らなくてもいいや!
男の意識を、その肉体を、その心を。迷宮全体と一体化させてしまえば。そのダンジョンへ足を踏み入れた瞬間に、侵入者は魔法に触れることになる。
罠をちまちま仕掛けるなんて、面倒臭い。入り口を見つけた冒険者が、足を踏み入れた瞬間に、それで終わり。そちらの方がずっと効率が良い。
そして何よりも幸いなことに、ダンジョンの素材になった彼の魔法は、第一位が理想とする迷宮の条件を満たしていた。
その魔法の名は『
その魔法効果は、触れた対象に対する幻惑である。
「貴様たちは、もう私の中から出ることはできない」
魔法によって侵入者を惑わせる、心を持つ迷宮。それが、最高最強のダンジョンの在るべき姿だと。彼女はそう結論づけた。
「私の意識は、リムリリィ様の手によって、この迷宮全域に及んでいる。お前が今踏み締めている地面も、手をついている壁も、視界に入るすべてが、私自身だ」
「……そんなこと、ありえる?」
「どういう意味だ?」
「だって、そんなの……保つわけがないでしょう。キミの精神が」
イトの指摘は正しい。
根本的な問題が一つ。
人はそもそも、迷宮にはなれない。巨大なダンジョン全域に渡るほどの意識の拡張。人の自意識が、生の肉体を持たないそんな現状に、耐えられるはずがない。
なので、トリンキュロ・リムリリィはもう一つ。極めて単純かつ効果的な工夫を『彼』に対して施した。
「黙れ」
──そうそう。きみ、今からダンジョンになるから。そう思い込んでね?
「誰がなんと言おうと……私は、迷宮だ」
魔法効果は、触れた対象と自分自身に及ぶ。
己の魔法を、己に対して行使させる。
自分に、自分の魔法をかけさせる。
四天王の第一位は、魔法によって自分自身を惑わせ……幻惑の沼の中に彼の心を沈めることで、意識の崩壊という問題をクリアした。
「そして、貴様たちは既に、私の胃の中にいる」
イト・ユリシーズは、絶句する。
このダンジョンは、生きている。
トリンキュロ・リムリリィの手によってすべてを解放された男の意識は、迷宮と完璧に一体化している。
故に、その魔法効果の対象は、ダンジョン全域に及ぶ。
「残念だったな。幻想は……絶対に斬れない」
誰であろうと、決して逃れ出ることはできない。
イト・ユリシーズの意識は、ぶつりと途切れた。
◇
賢者は、夢を見る。
それは、緑に包まれた村の中で、多くの人々に囲まれて食事を楽しむ、フードを被っていない自分の姿だった。
騎士は、夢を見る。
それは、両隣に立つ母親と父親と、手を繋いで森の中を散歩しながら笑い合う、確かな温かさを感じる自分の姿だった。
武闘家は、夢を見る。
それは、ずっと追いつきたかった師父と、拳を合わせて試合を行う、成長した自分の姿だった。
そして、勇者は夢を見る。
◇
目を覚ます。
体を起こす。
周囲を見回す。
どこか、懐かしい部屋だった。
「まずは席に座ったら?」
手を晒せば透けてしまいそうな、艷やかな髪。
耳が蕩けて落ちてしまいそうな、甘い声。
おれは、それをよく知っている。
「……魔王」
「どうしたの? そんなにこわい顔をしないで。良い男が台無しよ」
おれが殺したはずの女の子は、にこりと微笑んだ。
落ち着いた雰囲気の部屋の中には、お茶の用意がされていて、テーブルの上に置かれたポットからは、紅茶の匂いが漂ってきていた。
「ほら。いつまで床に座り込んでいるの?」
手を差し伸べられた。
迷わずに掴んでしまった。
手のひらに体温がある。熱が伝わってきた。
「うれしい。あなたが来てくれて」
所作の一つ一つが、踊るようで。
見詰めているだけで、見惚れてしまいそうで。
彼女が、そういう女であったことを思い出す。
「どうして、おれはここに……」
「それはもちろん、あなたがわたしを殺したくなかったから、でしょう?」
「……おれが?」
「うん」
席に座り、カップに注がれた紅茶を飲む。
おいしい、と思った。
「大丈夫? つらかったでしょう?」
「いや、おれは……」
「大丈夫。大丈夫だから……」
手を握られて、その顔を見る。
やはり、おれが殺した女の子の顔だった。
「しっかりして。あなたは、わたしを殺さなかった」
「……殺さなかった?」
「そう。わたしは生きている。だから、安心して。あなたは──」
おれは、この子を、殺していない?
「──あなたは、みんなの名前を呼ぶことができる」
……ああ、そうだったかもしれない。
おれは、この子を殺していなくて。
おれは、世界を救っていなくて。
おれは、みんなの名前を普通に呼ぶことができる。
それでいい。それが良い。
「ほら、あなたのために用意したのよ」
良い香りのするパイを、彼女は切り分けて皿に載せ、おれにすすめてきた。
やはり、とてもおいしそうだった。
けれど、彼女はなぜか、自分の分は用意しようとしなかった。
「食べないのか?」
「わたしは結構よ。べつに、お腹空いてないし」
「……そうか」
飲んでいた紅茶から、温かさが消えた。
食べていたクッキーから、甘さが消えた。
空気が冷えて、背筋が寒くなる。
だけど、その冷たさにおれは安心した。
「違う」
「え?」
「違うんだよ」
切り分けられた一つではなく、見た目だけはほかほかと湯気を立ち上らせている円形の大きなパイを手に取る。
繰り返しになるが、おれは勇者だ。当然、あのふざけた魔王と茶を飲んだこともある。
おれは、彼女のことを知っている。あいつは、これくらいのサイズのパイなら、一人で頬張って、平気な表情で食べきって無邪気に笑っていた。
「ちょっと、あなた何を……」
「お前は、魔王じゃない」
そうだ。おれはよく知っている。
あの子は、そんな澄ました表情で、目の前のお菓子に目もくれないような女の子ではなかった。
「────解釈違いだ」
勇者に、幻惑は通じない。
おれは、魔王のふりをしたそれの顔面に、パイを丸ごと叩きつけた。
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