世界を救うための、残酷な選択

 シャナが教えを受けるようになってから、数ヶ月。

 ハーミット・パック・ハーミアは、教え子を静かに見下ろしていた。


「せ、せんせい……こわい。こわいよ」

「焦るな。ゆっくり呼吸をしろ。十八番」


 より正確に言うのであれば。を観察していた、と言ったほうが正しい。

 ハーミアは、複数人に増やした教え子を見分けるために、番号を振ってそれぞれを呼称していた。


「無理……無理だよ。だってわたし、息をしてるのに……あれ? 息してるのわたし?」


 小さな体が、小刻みに震える。

 目の焦点が、ズレていく。


「ねえ、わたしが見ているものはなに? わたしの前にわたしがいるのに、わたしは本当に呼吸してるの? 息をしてるの? ねえ、先生……!」

「シャナ」

 吹かしていたキセルから口を離して、ハーミアは言った。

「コイツはもうダメだ。

「はい。先生」

「いや待って、せんせ……」


 ハーミアの背後に立つシャナが、手をかざす。それだけで、呼吸困難に陥っていたは一瞬でかき消えた。


「……ふぅ。十八番は何日保った?」

「六十三日です」

「比較的だったが……やはり自我の喪失からは逃れられない、か」


 また煙を吸い込んで、ハーミアは堪えきれない気持ちを吐き出した。

 十八番は、昨日の食事の際に、ハーミアにデザートを持ってきてくれた個体だ。二週間ほど前から、食事の好みや笑い方に、他の個体とは違う変化の兆候が見受けられた。

 そう。個体である。個人ではない。ハーミアはシャナを一人の生徒として尊重していたが、同時にモルモットを扱うのと同じ感覚で分析も行っていた。

 ハーミット・パック・ハーミアという魔導師の中で、それらの価値観は、決して相反しない。


「シャナ。十八番の学習内容は問題なく共有できているか?」

「はい。同化して得ています」


 言いながら、ハーミアの背後に並んでいるシャナの内の一人が、黒板に魔術式を書き記した。

 それは、ハーミアが別室で、十八番にしか教えていない魔術式だ。


「二十五番。これの性質と戦闘における有効な利用を簡潔に解説しろ」

「はい。この魔術は……」


 ハーミアが最初にシャナに授けた魔術は、二つ。

 共有と同化。

 共有魔術は、近くにいる人間と魔術的なラインを繋ぎ、視覚や聴覚などを共有する術式である。ハーミアはこれを用いてまず、個人ではなく集団となったシャナに、感覚の共有を行わせた。同じものを見て、同じ音を聞き、同じ感覚を共有する。これにより、シャナという集団は魔術的に思考と感覚を分かち合い、複数の脳で複数の思考を処理する、ある種の群体として完成した。


「……よし、良いだろう。よく理解できている」

「ありがとうございます」


 同化魔術は、触れた人間の脳神経に魔力を通じてアクセスし、その人間の知識や記憶、技術を得る術式である。これはハーミアが自ら開発したもので、主に拷問や諜報活動などの後ろ暗い目的を達成するために用いられてきた。比較的簡素な魔導陣を用いる共有魔術に比べて修得難度はかなり高い。が、ハーミアは共有魔術と並行して、この術式を最優先でシャナに叩き込んだ。

 他者の脳から知識を情報として抜き出すのに、この魔術が最も適しているからだ。


「よく聞けお前ら。お前らは集団であり、個人であり、全員がシャナ・グランプレという存在だ。そこに矛盾は存在しない」


 シャナの『白花繚乱』は、ともすれば世界を変える可能性すらある魔法だったが、他の多くの魔法がそうであるように、人間に対して使用するには致命的なまでに生命倫理に反しており……また重大な欠陥を抱えていた。

 単純な話、自分と全く同じ顔で、同じ性格の人間が、数十人以上いたとして。自分自身が複数人存在する事実を認識しながら、何食わぬ顔で共同生活を営むことはできるだろうか? 

 不可能である。

 人間という生き物の精神は、そこまで図太くできていない。

 自分の分身が複数いる現実に、知らず知らずの内に精神は摩耗し、焼き切れ、耐えきれなくなって、狂い果てていく。今さっき消した、十八番のように。

 だからハーミアは、シャナ達に常日頃から感覚を共有させ、個人というアイデンティティを徹底的に塗り潰した。そして、自我の喪失に耐えきれなくなった個体はその存在を消去し、同化魔術で個体が得ていた知識と経験を個別に吸い出し、引き継がせる。


「シャナ。十八番が消えた分を追加しろ」

「はい」


 新しいシャナが現れ、ナンバリングを加える。

 現在、並行して学習を行っている個体は、九十一人。ハーミアの予想を遥かに上回るペースで、シャナは増殖した自分自身の集団としてのコントロールを、ものにしていた。

 そして、シャナ・グランプレには間違いなく、ハーフエルフという血に恵まれた、魔術の才能があった。


「さて、今日の授業をはじめようか。シャナ」

「はい。よろしくお願いします、先生」


 最初はバラバラだったその声は、今や少しのズレもなく、完膚なきまでに重なって響いている。

 魔導師としてのハーミアは、シャナを一人の生徒として、優しく尊重している。

 しかし、同時に。

 研究者としてのハーミアは、シャナを一つの群体として、つぶさに観察している。

 これは矛盾だろうか? 

 人間であるハーミアは、シャナをという存在を使い潰すかのようなこの学習に、どうしようもない嫌悪を抱いている。

 賢者であるハーミアは、シャナという存在が到達できるかもしれない魔導師の高みに、ひたすらに興奮している。

 重ねて、己に問う。

 これは、矛盾だろうか? 


「……いや、関係ないな」


 矛盾していても、構わない。

 魔術の発展は、常にその矛盾を乗り越えた先にある。

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