武闘家さんと魔王と、勧誘
「おかわりを所望するわ」
「もうない」
華奢な身体の、一体どこに入るスペースがあったのか。
その少女はムムが出した保存食の乾パンやら干し肉やらを片っ端から平らげ、すっかり胃袋の中に収めてしまった。
満足気に、少し膨れたドレスの腹をさする少女を眺めながら、ムムは深く深くため息を吐いた。
「まったく、大した食いっぷり」
「ありがとう」
「べつに、褒めてない」
「何かお礼をしたいのだけれど」
「べつに、必要ない」
「まあまあ、そう言わずに」
人好きのする、と言えばいいのだろうか。
ともすれば鋭利な美貌とは真逆に、少女の微笑みはどこか子どもらしさも残す、やわらかいものだった。
例えるならば、見た目は同じで、明らかな差があるわけではない。それでも、喉を潤した瞬間に美味いとわかる、秘境の湧き水のような。一言では決して形容できない。同性であるムムが見惚れてしまうような魅力が、少女にはあった。
しかし、そんなムムの心中など気にする様子もなく、気ままに周囲を見回して少女は聞いてきた。
「センセイは、武術を教えているの?」
「センセイ?」
「だってここ、道場でしょう?」
「……ああ」
言われてから気がついた、というように。
実際に、言われてからそれに気がついて、ムムは周囲を見回した。
たしかに、ここは道場である。もっとも、あちこちから雑草が生い茂り、今にも潰れそうな有様の……という注釈が付くが。
「もう誰も使ってなかったから。わたしが、勝手に間借りしているだけ」
「じゃあ、やっぱりセンセイは師範というわけね!」
「人の話、聞いてた?」
「いいわね! わたし一度『ケンポー』というものを学んでみたかったの!」
どうやら、人の話を聞く気はまったくないらしい。
「そんなヒラヒラした格好で、教えられることは何もない」
「そう? わかった。じゃあ脱ぐ!」
「は?」
止める間もなく、少女は襟周り、腰回り、ドレスの背中、と。順番に、あっという間に手をかけていった。
するり、と軽やかに衣が落ちる音がして、やはりドレスと同じくらい豪奢なデザインの下着が顕になる。色は白。惜しげもなくあしらわれたフリルに、彼女の見た目にはややそぐわない色香を醸し出す、ガーターベルト。
決して成熟しているわけではない、けれど大の大人でも忙殺できそうな細い肢体を空気に直接晒して、少女はあまりない胸を張った。
「どう? センセイ! これなら動きやすいでしょう?」
「あなた、バカ?」
「え? うーん。そうね。仲間からはよく言われるけど」
ムムが思っていた以上に、少女は話すと残念なタイプのようだった。
とはいえ、そんな提案を真に受けるほど、ムムは暇ではなかったし、お人好しでもない
「わたしが、あなたに教えれられることはない。そもそも、わたしはあなたより年下」
「え? センセイ、わたしよりもずっと年上でしょう? 嘘はよくないわ」
一瞬の間があった。
その会話の間に生まれた空虚すらも楽しむように、少女はまた微笑んだ。
それは、先ほどまでとは、少し種類の違う笑みだった。
「あなたは、なに?」
「……ええ、そうね。申し遅れました」
ドレスの裾を指で持ち上げようとした少女は、自分が既にそれを脱ぎ捨てていることに気がついて、微笑みを苦笑に変えた。
生まれたままに限りなく近い姿で礼を済ませて、告げる。
「わたしは、魔王。目標は、世界の滅亡」
謳うように。
溶かすように。
言い聞かせるように。
一歩ずつムムに近づいた少女は、自分よりも小柄なその体を見下ろして、手を伸ばした。
硝子細工の瞳に、吸い込まれるかのような錯覚。透明な結晶に見詰められて、言葉を絞り出せなくなる。
ムムの背後の壁に手をついて、逃げ場を潰して、魔の王は問い掛けた。
「ねぇ、センセイ。わたしと一緒に、世界を滅ぼしてみませんか?」
それは、明確な勧誘だった。
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