武闘家さんと魔王

 たっぷり昼まで指導した、帰り道。

 ムムはてくてくと勇者と肩を並べて歩いていた。

 いや、実際は身長差的にまったく肩を並べることはできていないのだが、気持ちとしては大いに肩を並べて歩いていた。


「なかなか悪くない筋をしていた」

「そうですかぁ?」

「うむ。勇者も先輩として、指導の経験を積むと良い。教えるということは、自分にとっても鍛錬になる」

「むぅ……まあ、師匠がそこまで言うのであれば……」


 苦い表情の弟子を見て、ムムは笑う。

 素直になれない愛弟子は、かわいいものだ。

 昔は師匠と呼ばれるのがいやだった。けれど、今の勇者はもうムムのことを「師匠」と。あるいは他人行儀に「武闘家さん」と呼ぶことしかできない。

 それはムムにとって、やはりさびしいことである。

 しかし、勇者が師匠というムムの立ち位置を。その在り方と繋がりをムムが思っていた以上に大切にしてくれていたのは、ムムにとってもうれしいことであって。

 だから、


「勇者」

「なんです?」

「わたしは、勇者が拗ねてくれて嬉しい」


 服の裾を摘むと、愛弟子はその意図を汲んだのか、腰を低くした。


「あの、師匠」

「なに?」

「これ、ちょっと恥ずかしいんですけど」

「じゃあ、勝手に恥ずかしがっていればいい」

「えぇ……」


 苦笑とともに下げられた、くすんだ赤髪に触れる。

 くしゃくしゃと、少し手荒に撫で回す。


「甘えたい時は、わたしにたくさん甘えて良い」

「いや、そんな子どもじゃないんですから……」

「わたしくらい生きていると、生きてる人間はみんな子ども」

「何も反論できない……!」


 とはいえ、一番弟子は勇者でも、のは、勇者が最初ではない……という話は、また拗ねるからしないほうが良いだろうな、と。ムムはそう思った。




 ほんの少しだけ、昔の話をしよう。

 千年も生きていると一年単位の時間の感覚がズレてくるので、それが正確に言えばいつだったか、ムムは覚えていない。ただ、勇者が弟子になった時期はよく覚えているので、そこから逆算しておよそ一年か二年前、もしくは三年前くらいのことであったと記憶している。

 いや、やっぱり十年くらい前だろうか?

 とにかく詳しい時期はわりとあやふやだったが、しかしそれがムムにとって強烈に記憶に残る出来事であったことはよく覚えている。

 太陽が空の真ん中に登る時間帯。温かい陽射しに、思わずうたた寝しそうになる穏やかな午後。

 ムムが当時暮らしていたボロ小屋の扉を勢い良く開いて、その少女は現れた。


「頼もぅ!……とか。こういう時はそういうセリフを言えばいいのかしら?」


 それは、特異な少女だった。

 そこに立っているだけで、目が惹かれる美貌。

 耳に入るだけで、心が引き込まれるような、甘い声。

 まるで舞踏会ために身に纏うような、豪奢な真っ白なドレス。

 そして、光を受けて輝く長く白い透明な髪。

 ただそこに立っているだけで視線を集めてしまうような強烈なカリスマを、少女はその身に纏っていた。

 只者ではないことは、すぐにわかった。


「誰?」


 ムムは問いかけた。


「それを答える前に、あなたにお願いがあるの」


 やはり思わず見惚れてしまうような、優雅な礼を伴って。

 少女は言った。


「すいません……わたし、昨日から何も食べてなくて。ご飯とか、ありますか?」


 それが世間で『魔王』と呼ばれる少女であることを、世捨て人に近い生活を送っていたムムは、まだ知らなかった。

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