武闘家さんと拗ねる勇者
昔の話をしよう。
千年近い時間を生きていても、あの時の自分は子どもだったな、と。
過去の行いを振り返って、そんな反省をしてしまうのが、人間という生き物のおもしろいところであると、ムム・ルセッタは思う。
それはまだ、ムムが勇者と出会った頃。普通の人間とは異なる時間の感覚を持つ武闘家からすれば、本当についこの間の、ほんの数年前の話。
ムムと勇者の少年の仲は、決して褒められたものではなかった。
「ちょっといいですか。師匠」
「……」
「師匠? ちょっと師匠?」
「……」
「はあ……ムムさん」
「なに?」
少年にそこまで名前を呼ばれて、ムムはようやく返事をする。
対する少年は、あきれた顔で言った。
「なに拗ねてるんですか」
「べつに、拗ねてない」
「いやいやいや。明らかに拗ねてるじゃないですか」
少年に指摘されて、ムムはつーんと横を向いた。
少年の言う通り。その頃のムムは身も蓋もない言い方をしてしまえば、拗ねていた。
今になって思い返してみると、少年はムムに弟子入りを希望してからすぐに「師匠!師匠!」と馴れ馴れしく呼びながら、まとわりついてきたので。それが、なんとなくおもしろくなかったのかもしれない。
「お前に、師匠と呼ばれる筋合いはない。師匠になったつもりもない」
「またまたそんなことを言って」
少年はムムが自分よりもずっと歳上であることを既に知っていたが、外見のイメージに引っ張られてしまうのか、それともわざとやっているのか。まるで妹をあやすように、ムムの頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「気安く、触らないで」
「はいはい。すいません、師匠」
「ムム」
「はい。ムムさん」
繰り返しになるが。
それは、ムムが生きてきた千年という悠久に近い時間の中では、本当についこの間の出来事で。
けれどムムは、後に勇者になる少年と出会ったばかりの、その頃のことを思い返すと。
ああ、自分はまだ子どもだったなぁ、なんて。そんなことばかりを思うのである。
◆
時を現在に戻そう。
ムム・ルセッタは武闘家だ。
拳を振れば大地を砕き、地面を蹴れば大地が揺れる。最強の武闘家である。
そして、この世界を救った勇者の師匠でもある。ムムはこれまで、愛弟子である勇者を、時に厳しく、時に優しく、時に殴って、教え導いてきた。その結果、愛弟子は立派な勇者として魔王を討ち滅ぼすに至り、名実共に世界を救った勇者となった。
そんなムムの愛弟子は、今。
「おらぁ! 足動かせ! 足ぃ! そんな体たらくで師匠の弟子名乗れると思ってんのか!?」
「ッス!」
「いいか!? お前は今、ウジ虫だ! まだ人間ですらない! 人間じゃないからお前はまだ師匠の弟子じゃない! わかったかウジ虫!」
「ッス!」
「理解できたら走り込みもう一周行って来い!」
「ッス!」
新しく出来た弟弟子を、全力でしごいていた。
ムムはおずおずと、指導用の竹刀代わりに聖剣をぶんぶんと振り回し、鼻息荒く指導に励んでいる勇者に声をかけた。
「あの、勇者。ちょっといい?」
「なんですか師匠。言っておきますけど、おれはまだアイツを師匠の弟子にするなんて認めてませんからね!」
「いや、べつに、普通に弟子に取っても……」
「はーっ!? ダメです。絶対にダメです。おれの目が黒いうちは、あんなどこの馬の骨とも知れぬ輩を師匠の弟子にするなんて絶対に許しませんよ! そもそも……」
「勇者、拗ねてる?」
一言。
ムムが口にした瞬間に、世界を救った勇者は膝を折った。
それはいわば、胴体に響くボディブローであった。あるいは、一撃で致命傷となるクリーンヒットであった。
一瞬、ぐっと黙り込んだ勇者は、しかし次の瞬間には顔をあげて、滑らかに言葉を紡ぎ始めた。
「はぁん!? べつに拗ねてませんが!? 全然拗ねてませんが!?」
「うそ。さっきから勇者、おかしい」
「べつにおかしくないです! 大体、おかしいのは師匠でしょう! あんな簡単に弟子入りを許して! おれの時は、弟子として認めてくれるまであんなに時間がかかったのに!」
「ほら、拗ねてる」
拗ねていると同時に、勇者はいじけていた。
それはもう、いじけていた。
具体的には、ムムから距離を置き、膝を抱えて体育座りをはじめるくらいにはいじけていた。聖剣の切っ先が、小枝の代わりに地面にうじうじと絵を描く。
この男が世界を救ったと言っても、誰も信じないであろう。そういう情けなさが、今の愛弟子にはあった。要するに、めちゃくちゃに駄々をこねていた。
先ほど、新しい弟子を迎え入れてから、ずっとこの調子である。
ムムは視線の先の勇者に向けて、呆れたため息を吐いた。
「勇者。そろそろ、機嫌直して」
「……いや、べつに機嫌を悪くしてるわけじゃないですけど」
「うそ。見るからに拗ねてる」
「何度も言いますが、べつに拗ねてないですよ!? 全然拗ねてないですからね!?」
いや拗ねてるじゃん、とムムは思った。
「ゆ、勇者さん! ほら、元気出してください! わたしのおやつちょっとあげますから!」
「うう、ありがとう赤髪ちゃん……おれの味方は赤髪ちゃんだけだ」
見るに耐えない駄々をこねている大の勇者を、おろおろと少女が慰める。本当に、情けないこと極まりない光景であった。
自分が何を言ったところで、今の勇者には逆効果になるだろう。ムムは、隣に座っているアリアの肩を軽く叩いた。
「騎士。なにか言ってあげて」
「嫉妬で拗ねている勇者くん……そっか、そういうのもあるのか」
「……あの、騎士?」
アリアは何故か、新たな発見をしたかのようにしきりに頷いていた。
反応がない。ただの恋する乙女のようだ。これはもうしばらく使い物にならない。
ムムは諦めて、もう一度勇者に向き直った。
「勇者。何が不満?」
「……いや、べつに不満とかはありませんが」
「うそ。不満しかない顔してる。気に入らないことがあるなら、はっきり言ってくれないとわからない」
「じゃあ言わせてもらいますけど! わざわざ新しい弟子なんて取らなくても、師匠にはおれがいるじゃないですか!」
「べつに、弟子は一人とは決めていない」
「でも! おれの時は弟子にしてくれるまであんなに時間かかったのに!」
「あの頃は、私もまだ若かった」
ああ言えばこう言う、とはまさにこのことだろうか。
そんなやりとりを繰り返している間に、律儀に走り込みを終えた弟子入り志望が戻ってきた。
「ッス! 戻りました!」
「早い!」
「え?」
「あ、間違えた。遅ぉい!」
勇者の言動にはもはや威厳の一欠片も残されてはいなかったが、その声量と勢いだけで、弟子入り志望の荒くれ者はすっと背筋を伸ばして叫んだ。
「ッス! ですよね! すんません! 次はもっと早く戻ってこられるように、頑張ります!」
中々殊勝な態度の新しい弟子を見て、ムムはふと気がついた。
「あ。そういえば、名前」
「はい?」
「名前。聞いてなかった」
「ああ、失礼しやした! 自分はバロウ! バロウ・ジャケネッタと申します、師匠!」
ふむ、と。ムムはその元気な声に頷いた。返事が良いのは、自分の弟子の第一条件である。
とはいえ、この二番弟子がいくら名乗ったところで、いじけて拗ねて駄々をこねている一番弟子は、人の名前を覚えることも呼ぶこともできない。
なので、代わりの名前が必要だ。
「勇者。なんか、こいつにあだ名つけて」
「はあ!? どうしてこんなヤツにそんな親しみを持たなきゃいけないんですか!?」
「よろしくお願いします。兄弟子!」
「うるせえ! 兄弟子って呼ぶな!」
「お願いします。兄貴!」
「やめろ! 距離感をちょっとずつ近づけんな!」
なかなか図太い対応で勇者に擦り寄っていくバロウとそれから必死で距離を取ろうとする勇者を見て、ムムはほんの少し笑った。
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