追放されたけど、姫騎士と世界を救いに行くことになった

「ふっ……くく」

「……先生。なに笑ってるんですか」


 グレアムが堪えきれない笑いを吹き出しながら、彼の肩を叩いた。


「いや、なに。これはもう、どう足掻いても無理だと思ってな。諦めろ。いくら意地を張っても、お前の負けだよ」

「先生はそうやって、他人事だと思って……」

「そりゃあ、他人事だからな。特に、教え子の色恋沙汰は見ていて楽しみが尽きん」


 それは、完全に楽しむ口調だった。

 アリアはむっとグレアムを睨む。女性に弱いところがある師は、わかりやすく目を逸らした。

 からかうのは、別に構わない。

 たとえからかわれても、アリアには旅立つ前にやっておきたいことがあった。


「イト先輩」

「なに? アリアちゃん」

「そのリボン。あたしにくれませんか?」


 きれいな顔が一瞬だけ、きょとんとした表情になって。

 アリアの中にあるものを察してくれたのだろうか。イトは、ふわりとした笑顔で頷いた。


「うん、いいよ。あげる」


 自由に動く腕が、剣の柄を取る。

 アリアは、目を疑った。何をしようとしているのか、わからなかった。

 それに気がついた時には、止めるタイミングを失っていた。

 イト・ユリシーズは、片手で軽く引き抜いた剣で、ばっさりと。

 自身の長髪を、切って捨てた。


「せ、先輩!?」

「か、かかか、会長!? 御髪おぐしが!?」

「はいはい。みんな騒がない。たしかに髪は女の命だけどね。でも、これから旅に出る後輩に餞別を渡すんだから……もこれくらいしないと、釣り合いってものが取れないでしょう?」


 うん、すっきりした、と。

 あくまでも飄々とした態度を崩さないまま、ショートボブのようになった頭を揺らして、イトは自身のリボンをアリアに手渡した。それは思っていたよりも使い込まれていて、けれど彼女がそれを大切に使ってきたことがいやでもわかった。

 アリアは、受け取ったそのリボンで、髪をイトと同じポニーテールの形に結ぶ。

 思っていたよりも、しっくりきた。というか、思っていた以上にしっくりきてしまった。


「うんうん。似合ってるよ」

「ありがとうございます」

「それ、汚してもボロボロにしてもいいけど、ちゃんと返しに来てね?」

「……はい。必ず返しに来ます」


 一礼をして、アリアはイトの瞳を見た。


「イト先輩」

「ん?」

「あたし、負けませんから」


 今度は、きょとんとしなかった。

 歳上なのに、子どもっぽい笑みが、わかりやすく口元に弧を描いた。


「望むところだ、と答えておくよ」


 尊敬する先輩と、固く握手を交わす。

 これでもう、思い残すことはない。


「儀式は済んだか?」

「はい。ありがとうございます」


 ポニーテールを揺らして振り返るアリアを見て、グレアムは微笑んだ。

 しかし、彼の頭を軽く小突きながら、騎士団長は続けて口を開く。


「さて、出発の前にもう一つ。やっておくことがあるな」

「はい? 何の話ですか?」

「お前の罪状を、一つ増やさなければならん」

「いや、先生。本当に何の話ですか?」

「おいおい、鈍いやつだな。お前は追放される身の上だぞ? そんな男に、一国の姫君が騎士としてほいほい付いて行けるわけがないだろうが」


 至極真っ当な意見を述べながら、騎士たちの輪が自然な形で、少年と少女を囲む。

 否、囲い込む。


「卒業試験だ。男なら、甲斐性を見せろ。欲しいものは、奪って行くくらいの気概でな」


 言われた意味を理解したのだろう。彼は息を吐きながら、頭を掻いた。

 勇者と騎士。その契約は、もう結んだ。

 だからこれは、さっきとは真逆。

 国を出る、建前として必要な儀式だ。

 少年と少女は、立場を入れ替える。

 彼がアリアの手を取って、地面に膝をつく。

 その姿はまるで、姫君に忠誠を誓う騎士そのものだった。


「アリア・リナージュ・アイアラス姫殿下」

「……はい。なんでしょう?」

「おれに、さらわれてください」


 告白に、堪らず口元が綻んだ。

 彼のかしこまった口調が、おかしくて。でも、そんな些細なことが、愛おしくて。


「もう、仕方ないなぁ。今日だけ、特別だよ?」


 アリア・リナージュ・アイアラスは、ずっとずっと、お姫様扱いされるのが嫌いだった。

 籠の中の鳥、なんて。そんな風に自分を悲劇のヒロイン扱いする気はなかったけれど、己の身分と、それに付き纏う扱いを、好ましく感じたことなんてほとんどなかった。

 彼が、変えてくれた。

 彼と一緒に、変わることができた。

 だから、今夜だけは──



「はい、喜んで。勇者さま、あたしを攫ってください」



 ──自分は、彼だけのお姫様になろう。


「……よっしゃ!」

「きゃっ! ちょっと!?」


 膝まづいた姿勢から、自然に腰に手を回されて。アリアの身体は、彼に抱え上げられた。


「……あれ? アリア、なんか太った?」

「はぁ!? 太ってないです! 筋肉ついたんです! きみの方こそ、鍛え方足りないんじゃないの!?」

「はあ? おれのトレーニングは完璧だが? むしろこれからさらに筋肉をつける予定だが?」

「……」

「……」


 ひとしきり言い合って、しばらく見詰め合って、それから堪えきれなくなって、少年と少女は笑った。

 ようやく、いつも通りに戻れた気がした。


「じゃあ、先生。見てくれましたね?」

「ああ、たしかに見届けたぞ。極悪人の追放者が、隣国の姫君を口説くところをな」

「ひどい言い様だ……」


 彼の言葉を受けて、グレアムが楽しげに肩を揺らす。

 思い出に浸りながら、静かに王都を出る。本当はそんな出発が理想だったのだが、どうやらそう上手くはいかないらしい。

 名残惜しいが、お別れだ。


「わたしもすぐに偉くなって助けに行ってあげるから、待っててね」

「はい、イト先輩」

「ボクも同じく、だね。キミというライバルがいないと、張り合いってものがない。すぐに騎士として登り詰めてみせるよ」

「おう、そうだな」


 アリアを抱えたまま、彼はこの学校で最初に出来た友達の靴を、軽く蹴った。


「また会おうぜ、

「……ああ、もちろんだ」


 別れの言葉は、もう必要ない。


「さて……では、第三騎士団、総員に告ぐ」


 騎士団長であるグレアムの号令で、それまでニヤニヤと笑みを漏らしていた騎士たちが、訓練された動きで騎乗を開始する。

 そして、彼とアリアが、馬に背に跨った瞬間。

 すっ、と。大きく吸い込んだ息と共に、




「未来の勇者が、姫をさらっていくぞ! 第三騎士団の誇りにかけて、全力で追いかけて差し上げろ!」




 愛すべき馬鹿達の歓声が、爆発した。

 時刻が深夜であることを気にする者は、もう一人もいなかった。

 その声量に、その熱量に、背中を押し出されるようにして。勇者と姫騎士を乗せた芦毛は、全力の疾走を開始する。


「……歓声も号砲も贈れない、ってさっき言ってたよな? 大嘘吐きもいいところだ」


 馬の手綱を握りながら、少年は嬉しそうにあきれた声を漏らした。


「いいんじゃない? こっちの方が楽しいよ」


 彼の腰にしっかりと腕を回して、アリアはその歓声に耳を傾けた。

 二人を取り巻く第三騎士団の団員たちも、やはり騒がしい。


「団長! この二人はどこまで見送ればいいんですか!?」

「街道を出るまで追うふりをすれば十分だ! そのあとは市街に散って、全力で捜索しろ!」

「捜索じゃなくて、捜索するフリでしょう? 参ったな! オレたちはこれから、学生二人にまんまと逃げられるわけだ!」

「減給処分になったら恨みますよ、団長」

「うるさい! その時は全員奢ってやる!」


 団長の気前の良い宣言に、騎士たちからまた歓声の声が上がる。

 騎乗する馬の尻に鞭を入れたグレアムは、速度を上げて先頭に出た。


「さて、お別れだ。アリア、このバカの手綱をしっかりと握るんだぞ」

「はい。わかりました」

「おれが尻に敷かれる前提ですか!?」

「もちろんだ」


 そして、グレアムは彼に向かって拳を突き出した。


「お前が帰ってこられるように、俺も手を尽くす。この国を変えてやる。だから、無茶はするな。絶対に死ぬな」

「……はい」


 合わせた拳の力強さは、きっと男同士にしかわからないもので。


「────。勇者になって、帰って来い」


 片手は手綱を握り、片手は拳を合わせたせいで。

 彼の名を呼ぶヒゲ面の騎士団長は、瞳から溢れるものを拭うことができないようだった。

 しかし、彼もアリアも、それは見なかったことにした。


「……先生も、お元気で!」

「おう!」


 手を振って、グレアムの騎乗する一頭が離れていく。合わせて、並んで走っていた第三騎士団の騎士たちが、三々五々に散らばっていく。

 最後まで隣を走ってくれたグレアムの副官が、進む先を指差した。


「間もなく、街道です。お気をつけて」

「ありがとう」

「……待った! 右方向! あれは……憲兵隊か!?」


 尖った警告の声に、背後を見る。

 第三騎士団とはべつに、追ってくる濃紺の制服の集団があった。


「ああ、構えないでくれ! 見送りに来ただけだ! 敵意はない!」


 先頭を駆ける人物の叫びに、残り三騎ほどの団員たちが、困惑しながらも道を空ける。

 追いついてきた顔には、彼もアリアも見覚えがあった。


「よう、坊主。騒がしい夜だな」

「え……憲兵のおじさん!?」


 入学式の日、最初に彼を捕まえようとした憲兵が、馬の背中で笑っていた。


「なんです? おれを捕まえに来たんですか?」

「いいや? 何故か深夜に出歩いていたガキどもにはお灸を据えてきたがな。今日のお前さんは、捕まえることはできんよ。なにせ、きちんと服を着ているからな」

「そりゃどうも」

「なぁに、礼はいらん。それよりも、これから長旅になるだろう? 持っていけ」


 言いながら、並走する憲兵が馬上から投げ渡してくれたのは、しっかりとした作りの外套だった。彼とアリアの二人分。きちんと、二着ある。

 それだけでもう用は済んだとばかりに、並走していた馬は踵を返した。


「達者でな! 坊主と姫さん!」


 手綱を引き上げて、王都の治安を守る憲兵は振り返らずに、ただ一言。


「風邪ひくなよ」

「……はい!」


 そのたった一言が、本当に嬉しくて。

 お礼を言っても、言い切れないと思った。

 少年は、手綱を握り直す。

 グレアムが用意してくれた芦毛は健脚が自慢のようで、凄まじいスピードで景色が流れていく。

 一年。長いようで、短い時間だった。

 思い出が詰まった街は、もう背後。けれど脳裏には、走馬灯のように、様々な記憶が湧き出してくる。

 駆け抜ける頬に感じる風は冷たく。

 月明かりが薄く照らす地平線の先は、まだ暗く。

 それでも、二人の胸の中に不安はない。この一年という時間の中で、たくさんの人から、貰い過ぎなほどにたくさんのものを貰ってきた。

 見送る側は、泣いても良い。

 旅立つ側は、笑っているべきだ。

 だからアリアは、笑顔で彼に言葉を投げる。


「二人きりになっちゃったね」

「ご不満かな? お姫様」

「ううん。不満も不安もないよ」

「そりゃよかった」

「これからどうする?」

「そうだなぁ。とりあえずは、王都から離れて、逃げれるところまで馬で逃げて、それから……」


 気負う必要はない。焦る必要もないと、師は言ってくれた。

 たくさんの人と出会って、様々な風景を見て、頼れる仲間を集めるために。

 そのためには……


「まずはどこかで、メシでも食おうか」

「うん。賛成!」


 前途は多難。先のことなんて、何もわからない。

 でも、それで良い。

 勇者と騎士の冒険は、ここからはじまる。


 ────さあ、世界を救いに行こう。

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