勇者と姫騎士の朝
名前を、呼ばれた気がした。
「勇者くん。おーい、勇者くん。そろそろ起きようよ」
わさわさ、と。
肩を揺さぶられて、思わず寝返りを打つ。
頭は痛いし、まとわりつく泥のような睡魔も気怠いことこの上ない。
「……あと、五分」
お決まりのセリフを条件反射で吐くと、頭の上で苦笑の気配。
「それ、さっきも言ってたんだよ? あたしはちゃんと五分待ってあげましたからねー? まあ、世界を救った勇者さまの寝顔はいくら見てても飽きないから、それでもいいけど?」
ちょっと聞き捨てならない物言いに、また寝返りを打って体を戻す。鉛のように重い瞼を持ち上げる。
ベッドに頬杖をついて、こちらを見下ろす騎士ちゃんと目があった。くすり、と笑う表情がとてもやわらかく、そして生暖かい。
寝起きに美人は、目に毒だ。ちょっと眩しすぎる。
「おはよう」
「……うん。おはよう」
「みんなは?」
「もう働きに行ったよ」
「……今、何時?」
「そろそろお昼だねぇ」
無慈悲な宣告に、顔を覆いたくなる。
昔話に花を咲かせたところまでは、まあなんとかギリギリ覚えている。そこから先の記憶が、きれいにぶっ飛んでいた。
「昨日、おれ、何杯くらい飲んだ?」
「死霊術師さんが勇者くんにどんどん注ぐから、途中から数えるのやめちゃった。あたしもそこそこ飲んでたし」
「そのわりには、おれよりも元気そうですね?」
「だってあたしの方がお酒強いでしょ。死霊術師さんには負けるけど」
おかしいだろ。なんでパーティーの長がパーティーの中で一番酒に弱いんだよ。いや、賢者ちゃんとか師匠がいるし、今は赤髪ちゃんもいるから決して、断じて一番弱いわけではないけれど、それにしても死霊術師さんと騎士ちゃんに潰されるのは、こうかなり心にくるものがある。
とはいえ、いつまでもベッドに横になったままいじけていても仕方がない。重い上体を起こして、欠伸を噛み殺す。明らかに昨晩の酒を引きずっている様子のおれを見て、金髪がまたくすくすと揺れた。
「お水飲む?」
「飲む」
受け取ったガラスのコップから、一気に水を飲み干す。
あー、うまい。飲み過ぎた翌日の朝に飲む水ってどうしてこんなに美味いんでしょうね。
「仕事って言ってたけど、みんなどこ行ったの?」
「賢者ちゃんは宿の人の紹介で、村の子どもたちに勉強を教えるんだって。賢者ちゃんと武闘家さんと赤髪ちゃんは昨日の農場のお手伝い。残りの賢者ちゃんと死霊術師さんは朝イチでどこか行っちゃった。まあ、どこかで何かやってるんじゃないかな?」
言いながら、騎士ちゃんの片手が寝癖がひどいおれの頭に伸びる。
ちょいちょい、と。遠慮もなしに片手で寝癖をいじられるのが、少しこそばゆい。
「相変わらず寝起きはボサボサだねえ」
「……昨日のおれ、酒飲みながらどこまで喋ってた?」
「んー? ほんとに覚えてないの?」
「覚えてないですね」
「最後の方はノリノリで語ってたもんね」
最後の方をノリノリで語っていたということは、もう取り返しがつかない可能性が高いんだよな。
おれの羞恥心などさもどうでも良いかのように、騎士ちゃんはどこからか取り出した高そうな櫛で、手強い寝癖付きの髪を漉き始めた。
「まあ、大丈夫。騎士学校入ってから、あたしを攫うところまでしか喋ってないよ」
「全部じゃん」
「うん。全部だね」
ああ、恥ずかしい。
賢者ちゃんや死霊術師さんはともかく、赤髪ちゃんにまで酒の勢いで醜態を晒してしまったのが、ひたすらに恥ずかしい。
「赤髪ちゃんは勇者さんが楽しそうでよかったです、って言ってたよ」
しかも、フォローまで万全だ。もう本当に勘弁してほしい。
「あたしも楽しかったけどなー。今の勇者くんがあの時のことをどう思ってるかとか、なかなか聞けなかったし」
「べつにそれは、今さら掘り返さなくてもいいだろ」
「掘り返すよ。言葉にしてくれないとわからないことってあるからね。昔は聞けなかったことなら、尚更」
「おれ何か言った?」
「覚えてないならいいよ? あたしだけ覚えておくから」
「それはおれにとってよくない!」
寝起きに二日酔いで最弱状態だからっておれを舐めてるな?
騎士ちゃんがあまりにもからからかってくるので、手を伸ばして金髪をわしゃわしゃともみくちゃにする。おれの寝癖を直す櫛の動きが止まって「もうやめて!賢者ちゃんじゃないんだから!」とお叱りを受けた。
「まったくもう……あとは自分でやってね」
「へいへい」
「準備できたら下降りてきて。ご飯食べよ。もう朝ごはんじゃなくてお昼ご飯だけど」
「へいへい」
「じゃあ、あたしは先降りてるから」
扉を開けて一度は部屋から出て行った騎士ちゃんは、しかし何かを思い出したかのように、顔だけぴょこんと戻した。
「あ、勇者くん」
「んー?」
「朝、二人きりだと昔みたいでちょっと楽しいね」
寝起きの頭では、言い返せないこともある。
本当にどう返していいかわからなかったので、黙りこくっていたら、からかい上手な騎士さまは「よし、顔色が良くなった」と勝手に満足して、今度こそ下に降りて行った。
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