とある盗賊の独白②

 空を飛ぶ船を作りたい。

 言ってから、ゲドはそれを口に出したことを後悔した。

 鼻で笑われると思った。何を馬鹿なことを、と怒鳴られると思った。

 空中を自由に飛行する術は、魔術の力を以てしても未だに確立されておらず、ゲドが語る夢はあまりにも無謀だった。


「おお、いいじゃないか。じゃあ作ろう」

「え?」

「雲海を切り裂いて、青空の中を自由に進む船! 最高だな! それこそ、男のロマンだ!」

「あなた、作るのはゲドなのよ? 横取りは良くないわ?」

「おいおいおい! 手伝うくらいはいいだろう!? オレはコイツの親父なんだから!」


 豪快に笑う父と、優しく微笑む母。

 二人に釣られて、ゲドも笑った。笑うのは、ひさしぶりだなと思った。


「ずっと、気にしていたんだ。お前はオレたちのために、自分が本当にやりたいことを我慢しているんじゃないかって」

「そんなことは……」


 自分は既に、貰い過ぎなほどにたくさんのものを受け取っている。けれど、父は言葉を続けた。


「だから、嬉しいんだ。ようやくお前の口から、お前の言葉で、本当の夢を聞かせてもらえて、オレは嬉しい」

「……父さん」

「無理に騎士になる必要はない。ウチの家業も、継ぎたければお前が継げば良い。お前はオレたちのはじめての息子で……長男なんだから」


 その日。ゲドは両親の前で、はじめて子どものように泣いた。

 機会が良かったのだろうか。ゲドが所属する騎士団では、馬や船に変わる新たな移動手段が模索されており、予算と計画の許可はいっそ拍子抜けするほどにすんなりと下りた。自由に空を飛ぶことは、やはり多くの人々の悲願だったのだろう。

 基礎設計。部材の選定。魔力を利用した動力の開発依頼。にわかに忙しくなった日々の積み重ねの中で、ゲドはたしかな充実を感じていた。父と弟と、肩を並べて船を作るのが本当に楽しかった。

 数年の時間をかけて、迅風系の魔術を動力として組み込んだ、試作品が完成した。完成の記念として、父と母と弟を載せて、ゲドははじめて自分が作った船の舵を取った。小さな小さな、ヨットのような船だったが、乗り込んできた父と母の表情は、期待と幸せに満ちていた。


「初速を得るために、オレの魔法を使う。そのあとは風にのって、この船は飛ぶんだ」


 実験に実験を重ねた。問題はないはずだった。ゲドの魔法で船体を浮かせたあとは、自分の力で空を飛ぶだけの力を、この船は持っているはずだった。

 けれど、ほんの少しの部品の組み違いから、事故は起きる。


「兄さん! 操舵が!」

「わかってる! くそっ!」

「もう船体が保たない! 不時着しよう! 舵を安定させて……!」

「今やってる!」


 記念すべき日になるはずだった最初の空の航海は、地獄に変わった。

 空を飛ぶための機能は、問題なく動作していた。万が一、空中で落下してしまうことがないように、ゲドは目標に向けて飛ぶという己の魔法を活かして、二重に保険をかけていた。問題があったのは、単純に船体の構造の方だった。


「不時着する! 掴まれ!」


 凄まじい勢いで山肌を削る舟底の衝撃に、歯を食い縛る。食い縛りながら、自問自答する。

 どうしてこんなことになってしまった? 

 自分はきちんと積み重ねてきたはずなのに。

 努力してきたはずなのに。

 それなのに、どうして? 

 不時着の衝撃に耐えられず、母の体が空中に放り出されて。何も考えず、反射的に手を伸ばしたのは、完全に父と同時だった。


「バカ野郎」


 そして、抑え込むように父に腕を掴まれた。

 ゲドの体は、船に引き戻された。


「父さん! なんで」

「そりゃお前……親は、子どもを守るもんだろ」


 ひさしぶりに感じた父の手はやはり大きくて。それが、最後に聞いた言葉になった。

 手が届かなければ、魔法は使えない。母を抱き締めて谷の底へ落ちていく父の姿を呆然と見送りながら、意識は刈り取られた。

 次に目覚めた時、ゲドは弟と並んで病院のベッドの上に寝ていた。

 弟とゲドは助かった。父と母は助からなかった。それが、積み重ねてきた夢の結果だった。


「お前のせいだ!」


 起き上がってすぐに、ゲドは弟の胸倉を締め上げた。

 理由はシンプルだった。ゲドは自分の仕事にミスがないことを確信しており、自分よりも経験豊富な父がミスをするわけがなく……必然として、ゲドは事故の理由を弟に求めた。

 違う。自分じゃない。僕のせいじゃない。ごめん。 

 そんな言葉が、弟の口から出てくることを期待していたのかもしれない。


「そうだよ。兄さん」

「……あ?」

「事故の原因は僕だ。僕がやったんだ。わざと船体が保たないように、そういう組み上げ方をしたんだ」


 想像すらしていなかった弟の言葉に、ゲドはただ声を失うしかなかった。

 能面のような冷たい表情は、ゲドが知っている弟の顔ではなかった。


「父さんも母さんも、兄さんのことばかり見ているから。帰ってきた兄さんのことを跡継ぎにしようとするから。だから、兄さんが成功しないように、わざと事故を起こしたんだよ」


 どこから。

 いつから。

 何を間違えていたのだろう?


 ──すごいね兄さん! その魔法があれば、絶対に騎士になれるね!


 兄さんは騎士になればいい。


 ──だから僕も兄さんに負けないようにがんばるよ!


 家を継ぐのは僕だ。お前には渡さない。


 違う。見て見ぬ振りをしてきただけだ。

 家族だから。愛しているから。そんな言い訳をして、見たくなかった汚い部分に踏み込むのを、恐れていた。


「僕が……僕の方が、本当の子どものはずなのにっ……あの人たちは、兄さんばかりに愛を注ぐから!」


 音を立てて、何か大切なものが崩れていく。

 言葉を。信頼を。愛を、積み重ねてきたはずだったのに。

 それは、こんなにも脆いものだったのだろうか? 


「父さんと母さんを……殺すつもりじゃなかったんだ。こんなことになるなんて、思っていなかったんだ。許されることじゃないことは、わかってる。僕が……僕が悪いんだ。だからさ、兄さん……頼むよ」


 泣き崩れる声音に、嘘はない。

 嘘がないからこそ、それはどこまで痛々しく、強く、ゲドの心を揺さぶった。


「僕を、父さんと母さんのところに連れて行ってよ」


 弟が差し出してきたナイフを、呆然と受け取る。

 数秒の間があった。

 受け取ってしまった事実を認識して、それからようやく否定の言葉を吐いた。


「できるわけがない……できるわけがないだろ! そんなこと! オレは、お前の……!」


 叫びと同時に、力が抜けた手のひらの中から、ナイフが落ちる。

 絞り出した言葉とは裏腹に、そのまま重力に引かれて落ちるはずだったナイフは、見えない力に引き寄せられるように浮かび上がって、弟の胸に突き刺さった。


「……え」


 間抜けな声だった。

 でも、自分の声だった。

 そこでようやく、ゲドは自分が弟の心臓を見詰めてしまっていたことに気がついた。

 殺意に翼を与えたのは、自分だった。

 殺意を的中させたのも、自分だった。

 心と魔法が、自然にそれを選択してしまっていた。


「兄さん……ごめん」


 前のめりに倒れた身体が、甘えるように体重を預けてくる。


「……愛せなくて、ごめん」


 積み重ねることには、意味があると信じていた。

 努力は決して裏切らない。人が心を通わせた時間には意味がある。そう信じて、疑ったことがなかった。

 違うのだ。

 どんなに積み上げても、どんなに積み重ねても、崩れる時は本当に一瞬で。人の幸せは、風に攫われるように塵になって消えていく。

 だから、今。生きているこの一瞬だけ幸せであれば、それで良い。

 きっとそれが、空を飛ぶような自由な生き方なのだと、ゲド・アロンゾは気がついた。


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