とある盗賊の独白①

 空を飛ぶのが夢だった。

 鳥があんなにも簡単に宙を駆けることができるのだから、きっと人間にもできるはずだと。そう思い上がってしまったのは、自分自身の魔法のせいだったのか。

 あるいは、魔法が人の心を体現するのなら、その傲慢こそがゲド・アロンゾという少年の最初の間違いであったのかもしれない。

 孤児であったゲドを引き取った家は、造船を生業とする職人の家系だった。子どもが生まれなかったことから跡継ぎを望んでいた義理の両親はゲドに愛情を注ぎ、ゲドもまたその愛に応えるために全力で造船技術を学び、磨いた。何かを作る、ということは何かをこの世に残すということで、それはきっと人生で一番意味があることなんだろう、と。血の繋がっていない父が心血を注いで作り上げた船が海を往く姿を見て、少年は強い憧れを抱いた。


「ものを作るということは、積み重ねなんだ。ゲド」


 少年を肩車して、義理の父はやさしい口調で語った。

 船を作るためには、まず緻密に構造を計算された設計図が必要であり、次に吟味された部材を用意し、それらを無事に輸送することで、ようやく組み立てに入ることができる。様々な人たちの努力と想いの積み重ねが、あの大海原を進む船なのだ、と。そう語る義理の父の言葉は、とても誇らしげだった。


「オレはお前の本当の父親じゃない。けど、これからたくさん、お前との思い出を積み重ねていくことができる。今すぐじゃなくていい。オレが、お前の父親でも良い。そう思えた時に、オレのことを父さんと呼んでくれ」

「うん。わかったよ。父さん」

「……え!? おおぅ!? まてまて! まってくれ!? はやくないか!? ま、まってくれ。こういうのってなんかこう、もう少し時間がかかるというか……」

「だめなの?」

「……いや、すまない。だめじゃないさ。ありがとう、ゲド」


 肩車されているせいで表情は見えなかった。でも、肩が小刻みに震えていることは、なんとなくわかった。

 義理の父は、少年にとって本当の父になった。

 義理の両親は、少年にとって普通の両親になった。

 父さん、母さん、と。そう呼べるようになっても、すぐに親子になれたわけではない。命を懸けて救ってくれた、とか。貧しい場所から拾い上げてくれた、とか。特別で劇的な理由があったわけでもない。はじまりが他人である以上、どうしても互いに気を遣ってしまう部分があったのは、否定できない。

 だから、少しずつ積み重ねていった。

 朝起きて、おはようと挨拶を交わす。

 いただきます、と一緒に食卓を囲む。

 おやすみを言う前に、頭をそっと撫でられる。

 長い時間と、交わした言葉と、惜しみなく注がれた愛情が……なんの変哲もない日々の積み重ねが、育ての親とゲドとの間に、血の繋がりを超える関係を作り上げていった。

 だから両親の間に弟が生まれた時も、ゲドは純粋に喜んだ。血が繋がっていない、とか。自分はきっともう跡継ぎにはなれないだろう、とか。そんなことはどうでもよくて、ただ本当に、自分を愛してくれた人たちの間に、新しい命が生まれたのが嬉しかった。

 ゲドは弟のことを可愛がり、弟もまた、ゲドのことを慕うようになった。兄さん、と自分の名前を呼んでくれる小さな坊主頭が、かわいくて仕方なかった。

 自分に魔法があるとわかったのは、12歳の時。その性質と魔法の名をゲドはすぐに理解し、弟は特別な力を発現させた兄のことを、やはり尊敬に満ちた眼差しで見上げた。


「すごいね兄さん! その魔法があれば、絶対に騎士になれるね!」


 弟の尊敬と憧れを、無下にはしたくなかった。騎士として国に仕える道を志しながら、しかしゲドの中にはほんの少しだけ疑問があった。

 オレが騎士になったら、今まで父さんから学んできた技術は、どこにいくのだろう? 

 オレが必死に積み重ねてきたものは、やっぱり無駄になってしまうのだろうか? 


「僕、兄さんからたくさん船のこと教えてもらったから! だから僕も兄さんに負けないようにがんばるよ!」


 いや、そんなことはない。

 弟がプレゼントしてくれた手作りの、小さな船のレプリカを、ゲドは笑顔で受け取った。

 自分が父から受け継ぎ、積み重ねてきたものは、弟の中にもきちんと継がれている。だから、何の心配もない。自分の中に芽生えかけた黒い感情と、些細な違和感を、ゲドは見なかったことにした。

 ほんの少しの部品の組み違いは、時に船の崩壊に繋がってしまうと。父からあれほど教えられてきたはずだったのに。


「大丈夫? 最近のあなた、疲れた顔をしているわ」


 再び転機が訪れたのは、騎士として数年の従軍経験を得て、ひさしぶりに家に戻った時。

 少し老けたように見える母にそう言われて、ゲドは心配ないと手を横に振ったが、父もまたゲドに向けて言った。


「ゲド。お前がやりたいことは何だ?」


 やりたいこと。

 単純にそう問われて、返す言葉に詰まった。


「お前に特別な力があることはわかっている。でもそれは、お前の生き方を決めるものじゃない」


 積み重ねを、無駄にはしたくなかった。

 ゲド・アロンゾには、夢があった。


「……空を、飛びたい。父さんみたいに、空を自由に飛ぶ船を作りたい」

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