勇者と騎士と盗賊と聖剣とパンツ

 温度を変化させる。

 覚醒したアリアの魔法は、すでに触れれば相手を即死させる段階に指をかけていた。

 故に、腕が凍りついた悪魔の判断は素早かった。もう動かない右腕を自身の爪で切り落とし、肉体にまで冷気が伝播するのを防ぐ。それを見たアリアも、自身の鎧に突き立てられた悪魔の爪を引き抜いた。 


「……ぅ」


 傷は深い。しかし、傷口を凍結させれば止血に問題はない。だから、戦闘の続行に問題もない。魔法の名前を知ったアリアの思考は、鮮明に澄んでいた。


「ちぃ……」


 悪魔が、ダンジョンの奥へと身を踊らせる。アリアは、無言でそれを追った。

 誘いであることは明白。しかし、アリアの後ろには動けないほどのダメージを負ったサーシャたちが倒れている。負傷者を庇いながら戦うよりも、アリアは手負いの悪魔を追うことを選択した。

 そして、その選択が正しかったことは、すぐにわかった。

 悪魔が逃げた先。そこに、アリアたちがこのダンジョンに来た目的もあったからだ。


(あれが、聖剣……!)


 それは、思っていたよりもずっと静かに、ひっそりと祀られるように突き刺さっていた。

 予想よりも遥かに大きい、大剣である。

 特別な魔力が漏れ出ているわけではない。それでも、一度目にしてしまえば不思議と惹きつけられる、言葉にできない圧力を、その聖剣は自然に放っていた。

 手負いの悪魔は、今すぐにでも聖剣を引き抜いて離脱したいのだろう。だが、それはアリアに無防備な背中を晒すことを意味する。


「……お前の仲間は見逃してやる、と言ったら。これを譲る気になるか?」

「それ、取引のつもり? 応じるわけがないでしょ。悪魔なら、もうちょっとマシな契約条件を提示しなよ」


 強気にも、アリアは挑発の言葉を投げた。

 既に片腕という安くない代償を支払っている悪魔の視線が、鋭くなる。今度はどちらから踏み込むか。睨み合い、互いに呼吸の合間を測り合うような、その瞬間。

 鼓膜を割るような爆発音を伴って、否、天井が実際に割れて、二人分の人影が瓦礫と煙の中から降ってきた。


「は?」

「……げほっ、ごほっ。お待たせ、アリア。助けに来たぞ」


 その声に、思わず自分の肩の力が抜けるのを、アリアは自覚した。

 やっぱり、助けに来てくれた。

 それはうれしい。とてもうれしい。

 しかし同時に、アリアは目の前に落ちてきた少年の格好に、べつの意味で力が抜けるのを感じた。


「なんで……なんできみはそう、いつも裸なのかなぁ……」

「裸じゃないぞ。よく見ろ。パンツ履いてるだろ」


 彼は、パンツしか履いていなかった。


「ほとんど同じでしょ。あとよく見たくない」

「全裸とパンツを一緒にするな。あと、こう見えておれ、最近かなり鍛えてるから、恥ずかしいところなんてない」

「……はいはい。すごいね。下の方は見ないようにするね」

「見たけりゃ下も見ても良いぞ」

「最低」


 何故か開き直っている彼は、アリアを見上げて言った。


「怪我、大丈夫か?」

「……ありがと。でも、まず自分の裸の心配したら?」

「裸の心配ってなに?」

「あたしに聞かないで」


 と、馬鹿なやりとりがそこで止まる。


「……あれか。聖剣!」


 パンツだけで勇者を目指す少年は。

 睨み合っていたアリアと悪魔の緊迫感を一切無視して、脱兎の如く突き刺さっている剣に向けて走り出した。

 思わず、アリアは叫んだ。


「ちょっと!? まさかそれ使う気?」

「ああ! 勇者といえば、伝説の武器だからな!」


 突如、上から降ってきた珍妙な乱入者。その行動に思考が停止した悪魔は、呆気にとられ、


「なにしてやがる! 早くそのを止めろ!」


 焦りに満ちたゲドの叫びが、悪魔の思考を引き戻した。

 自分と同じように落ちてきた盗賊の叫びを聞いて、少年は笑う。


「嬉しいね。やっと『勇者』って呼んでくれたな」


 聖剣を取らせまいと、鞭のように伸びた悪魔の腕が、パンツを掴む。

 パンツが脱げる。

 少年は、全裸になった。


「そんなに欲しいなら、それやるよ」

「キサマ……ふざけるなっ!」


 脱ぎ捨てたそれを気にせず、少年は聖剣に手を掛けた。

 使ってはならない、とレオは言っていた。一度、聖剣を使用してしまえば、所持者として認められ、死ぬまで他の人間には渡らない。

 理解していても、躊躇いはなかった。

 聖剣を引き抜いた少年は、ほんの一瞬、自らのものとしてそれを振るおうと構えて、


 ────あ、おれじゃダメだ。


 気がついてしまった。

 この聖剣に相応しいのは、自分ではない。

 地面に這いつくばったまま、盗賊が叫ぶ。


「もういい! 女から殺せ!」

「言われんでもわかっている!」


 荒く息を吐く悪魔の腕が、今度はアリアに向かって伸びる。

 もはや満身創痍の盗賊の手が、毒針を掴む。

 奇しくもそれは、アリアを挟み込むような位置取りだった。

 まずい。

 守るためには、手が足りない。どちらか片方の攻撃を体で防いだとしても、足元には脱げたパンツしかない。

 否、逆に言えば。少年の足元には、脱げたパンツだけはあった。

 恩師の言葉が、脳裏を過る。


 ────お前の魔法、触れたものを硬くできるのは良いが、触れている間しか硬くできないのがネックだな。


 考えるよりも先に、体が動いた。アリアに向かって、走り出す。

 走りながら、ひろい上げて、投げる。

 悪魔は、自分に向けて投げられたそれを見て、目を疑った。

 少年が投擲したのは、パンツ。本来、それはただの布切れ。しかし、


「────


 薄く硬く、魔法によって変化したそれは、凶器に変わる。

 まるで、ブーメランのように。回転するパンツは鋼の硬さを以て、悪魔の片目に突き刺さった。


「ぐっ……おぉおお!?」

「だから、そのパンツやるって言っただろ」


 吐き捨てて、笑う。

 必中するゲドの毒針から、鋼の背中を盾にして。少年は少女を抱きかかえ、庇った。


「アリア!」


 そして、聖剣を突き出す。

 未来の勇者は、その武器を仲間に託すことを選択した。

 名前を呼び、渡す。

 使え、とも。預ける、とも。少年は少女に言わなかった。

 ただ、名前を呼ぶ。それだけで、してほしいことはわかるだろう、と言いたげに。


「あたしでいいの?」

「アリアじゃなきゃ、ダメだ」


 少女は、喉の奥から込み上げる熱いものを吐き出した。


「……ずるいなぁ」


 そんな信頼、応えなきゃウソだ。

 透き通るような聖剣の刃に、自分自身の顔が映り込む。

 剣の中に浮かぶアリア・リナージュ・アイアラスは、堪えきれない笑みを浮かべていた。


「わかった。それ、もらうよ」


 少女の手の中に、聖剣が予定調和のように吸い込まれる。

 頭の中に、響く声があった。


『認証開始。対象、保持者』


 頭の中に、巡る声があった。


『覚醒は不全なれど、その心の熱は真に迫るが故に。熱き決意に報いるべく、汝を我が使い手として認めよう』


 掴んだその重さは、なによりも正しい、信頼の証。

 柄を握った瞬間に、名がわかった。


「……そっか。アグニ。『煉輝大剣アグニ・ダズル』だ」


 契約は、完了した。

 魔法と同じく。

 名を認識した瞬間、聖剣から流れる魔力が、アリアの全身を駆け巡った。

 火炎が、刃となって噴出する。

 感じたことのない魔力を感じて、アリアの頬が紅潮する。

 堪らずふらついた身体を、少年が後ろから抱き止めた。


「……これ、思ってたよりも、大きいね」

「アリアなら使いこなせる」

「……剣の魔力、熱いの、流れ込んでくる」

「おれが支える」


 手が重なる。

 二人で、聖剣を握る少年と少女を見て。

 ふざけているのか、と。ゲドは思った。

 互いが互いを想い合うそのやりとりは、盗賊の神経をひどく逆撫でした。


「ガキどもが、呑気に乳繰り合ってんじゃ……!」


 声を遮る、爆発があった。

 否、爆発ではない。聖剣から溢れ出る炎が、火炎の渦となって、ゲドの頬を撫でた。


「……あ?」


 絶句する。

 見ただけで理解する。肌で感じ取ってしまった。

 あの少女とあの聖剣は、あまりにも相性が良過ぎる。

 故に、少女の手に聖剣が渡ってしまった時点で、すべての勝敗は決していた。


「わりぃな。


 全裸の勇者が、勝ち誇る。

 哀れな盗賊の手が、助けを求めるように悪魔に触れる。


「おれが背中を預ける騎士は、最強なんだ」


 剣の形、と表現するにはあまりにも馬鹿馬鹿しい炎の奔流が、盗賊と悪魔を飲み込んだ。

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