勇者の弟子入り生活。実践編

 レオから借りたエロ本をさらに又貸しすることで、おれは騎士団長の一人、グレアム・スターフォードに弟子入りすることに成功した。

 騎士団の駐屯地には、平時から訓練に励めるようにいくつかの訓練場があるらしい。その中の一つにおれを連れてきたグレアム先生は「まあとりあえず、実力を見ようか」などと言いながら、軽い調子で訓練用の刃のない剣を構え、そして案の定……


「うん。まあ、こんなもんだろう」


 おれはボコボコにされた。

 本当にもう、ボコボコのボコである。

 勇者を目指す身の上として、人生はじめての完膚なきまでの敗北であった。

 わかっていたこととはいえ、こうして実際に……それも容易く地面に転がされてしまうと、中々心にくるものがある。


「しかし、体を硬くできる魔法ってのは良いな。おかげで、多少やり過ぎても殺してしまう心配がない」


 物騒なことをほざきながら、先生は倒れたまま動けないおれを尻目にいそいそとエロ本を開いて熟読し始めた。


「それで、きみはおれから何を学びたいんだ?」


 丹念にページを捲って、一言一句美しい文章を味わっているのだろう。先生は投げやりに問いかけてくる。やはり良い文章というものは、何度読んでも良いものらしい。繰り返し読むことで得られる含蓄とかあるもんな。あるのか? あのエロ本に。

 スタボロになって地面に転がされたカーペット状態のおれは、なんとかそこから上体を起こして先生に答えた。


「強くなる方法が知りたいです」

「はい、ダメ。具体性に欠ける」


 本に視線を落としながらも、先生の言葉は厳しかった。


「そもそも、どうしてそんなに早く強くなりたがる? まだ入学したばかりの一年生だろ。そんなに焦らんでも、これから地道に努力を重ねていけば、いくらでも成長できるだろうに」

「おれ、勇者になって魔王を倒して世界を救わなきゃいけないんですけど」

「急に話が飛躍したな?」

「そのためには、おれが見てきた中で最も強い人に戦い方を習うのが、一番の近道だと思ったんです」

「……なるほど。具体性には欠けているが、見る目はあるな。たしかに俺は強いぞ。すごく強い」


 エロ本を見ながら、ふんす!と鼻息を荒くして先生は言う。これ、どっちの鼻息なんだろうな。褒められて喜んでる鼻息なのか、興奮して下半身が喜んでる鼻息なのかわからん。


「強くなりたい。そのために、、というのであれば……多少の方向性を示してやることはできる」


 ぱたん、と分厚いエロ本が閉じられる。

 手近な枝を拾い上げて、先生は地面に絵を書き始めた。


「少年。きみはそもそも、騎士と魔導師の根本的な違いを理解しているか?」

「あー、えっと、こう……魔力を体に込めるか、魔力を外に出すか……みたいな」

「座学は苦手そうだな」


 うるせえ。どうせおれはよくウッドヴィル先生に怒られて座学の課題追加されてますよ。


「我々騎士は、体内に魔力を巡らせて、それを用いて肉体を強化する。対して、魔術士や魔導師は魔導陣のような術式を通して、体の外に魔力を放出することに特化している」


 ガリガリと、強面の顔面にしては少しかわいらしく、そして意外にも達者な絵柄で、先生は騎士と魔導師の絵を書いていく。意外とわかりやすい図解になってるのがおもしろい。

 曰く、近接戦を得手とする騎士と遠距離戦を主体とする魔術士や魔導師は、戦闘スタイルだけでなく、根本的な魔力の使い方が真逆と言って良いのだという。


「魔力による強化と、魔術の使用は併用できないんですか?」

「もちろん、できないわけじゃない。しかし、それは正反対の技術を一つにまとめるようなものだ。息を吐きながら吸え、と言われてすぐにできるか?」

「それはちょっと無理ですね」

「だろう? だから騎士は戦闘で魔術を併用する時、剣や槍などの武具に魔力を込めることが多い」


 言われて、金髪の馬鹿面を思い出す。


「……レオみたいなスタイル」

「ああ、そうだな。リーオナインくんのあれは、槍に迅風系の魔術が仕込んである。戦闘の途中に術式を展開するよりも、自分の体の一部のように振るうことができる武器に魔力を流すのは、とても効率が良い」

「イト先輩は、前に出て剣振るいながら、なんか紙をばら撒いてガンガン魔術を使ってましたけど」

「あれは予め用意された、使い捨ての魔術用紙だ。厳密に言えば、戦闘中に魔導陣を展開しているわけじゃない。それに、イトは元々、魔術の素養はおれよりも恵まれている天才だ。おいそれと真似できるものじゃないぞ」


 剣も魔術も天才的とか、あのドジっ子先輩、ちょっと強すぎるな。壁にはまったり、足を滑らせたり、皿を割ったりしなきゃ完璧なのに……


「中には、近接戦闘を得意とする特殊な魔導師や、そもそも近寄らせてくれない者もいるが……まあ、大抵の場合、魔導師は距離を詰めて斬れば勝てる」


 簡単に言ってくれるなぁ。

 しかし、先生は「大抵の魔導師」と括って言った。少し気になったので、聞いてみる。


「先生でも、勝てないと思う魔導師はいるんですか?」

「そうだな……俺は強くて騎士の中でもかなり最強だが、こわい相手がいないわけじゃない」


 その表情が、やや考え込むものに変化して。

 先生は、手のひらを開いた。


「あらゆる魔術を解き明かし、現在の魔導学院における教育の基礎を築いたと言われる女傑。清澄せいちょうのハーミア」


 指折り数えて、一つ。


「砂岩系の術式を極め、土塊に指先一つで命を宿すと謳われた世界最高のゴーレムマスター。鋼鉄こうてつのオセロ」


 二つ。


「純粋な魔術攻撃の威力のみを突き詰め、それらの悪用と普及によって成り上がった史上最悪の魔術犯罪者。朱炎しゅえんのバーナーダイン」


 三つ。


「そして、この世で唯一、魔導陣を使わない魔導師として知られる異端……生きた伝説。口遊くちずさむシャイロック」


 閉じて、四つ。

 なるほど……四人か。


「いずれも、現代の魔導師の頂点に位置すると謳われる賢者たちだ。おれも無策では勝てないだろうし、できれば戦いたくない人間ばかりだ」


 おれが現在だと絶対に敵わないと判断した騎士が、自分でも勝てるかあやしいと思う魔導師が、およそ四人。

 良い感じだ。こうして具体的に名前を出されると、なんとなく見えてきた気がする。

 目指すべきもの。強さの到達点が。


「……立てなくなるまでしごいたら、音を上げると思ってたんだが」


 おれの目を覗き込んで、先生はどこか嬉しそうに頷いた。


「ま、それだけやる気があるなら大丈夫か。指導するなら、俺は手を抜かないぞ。が本当に強くなれるまで、面倒を見てやる」

「はい。よろしくお願いします」


 話がきれいにまとまって、ほっとした。

 まあ、ほとんどエロ本がまとめてくれたようなものだが、まとまったことには変わりない。


「さて。前置きが長くなったが、お前が強くなるために、最初にやるべきことは極めてシンプルだ。まずは、効率良く確実に、身体強化に魔力を回す訓練をする。そのために必要なのは……」


 言いながら、先生は上に着ていたタンクトップに手をかけ、脱ぎ去った。


「そう! 筋肉だ!」


 ……ちょっとまってくれ。

 今、わざわざ脱ぐ必要あったか? 


「体内の魔力循環を効率化できれば、少ない魔力でより高いパワーを得ることができる。つまり、体を鍛えるのが一番早い。魔力を使わない状態でのトレーニング! 魔力を使った状態でのトレーニング! これを交互に行うことで、体に魔力の使い方を染み込ませるっ!」

「……魔力で肉体を強化できるなら、使わない状態での筋トレは意味がないんじゃ?」

「男の腹筋は割れていた方がかっこいいだろう?」

「わかりましたから腹筋見せつけながらポーズを取らないでください」

「まあ、真面目に答えるなら。魔力という水を入れておく容器は、なるべく丈夫な方が良い」


 水筒を手に持って、上裸の腹筋自慢先生はごくごくとその中身を飲んだ。


「さらに、もう一つ。そうやって交互に身体に負荷をかけていけば、魔力のオンとオフの切り替えが自然に身につく。そういう切り替えが身につくと、魔力を使う時のロスが自然に減る。ロスが減るとスタミナが続くようになるし、瞬間の出力も高まる。良いこと尽くめだ」

「……まあ、そう聞くと、たしかに」

「筋肉はすべてを解決する。あと、これはオマケというか、ただの俺の持論なんだがな」


 握り締めた拳でおれの額を小突いて、ヒゲ面が破顔した。


「魔力だの魔術だの魔法だの、そういう見えない力に頼れなくなった時……最後の最後に信じられるのは、やっぱり自分自身の身体だろ?」


 おれが、この人に戦い方を教わりたいと思ったのは、もちろんさっき言った「今まで見てきた人間の中で一番強いと思ったから」という理由もあるが。

 なによりも、惹かれたのは。

 おれに向けて伝えてくれる一つ一つの言葉に、たしかな納得があるから。この人の下でなら強くなれるという、直感めいた確信があったからだ。

 どうやらそれは、間違っていなかったらしい。


「ああ、そうだ。少年、一つだけ聞いていいか?」

「なんです?」

「強くなりたい理由はわかった。でもお前、どうしてそんなに勇者になりたがる? 勇者になるってことは、魔王を倒して世界を救うってことだぞ」

「え?」


 おれは堪らず、首を傾げた。

 なんというか。

 この先生にしては、おかしなことを聞いてくるな、と思った。



 朗らかな先生の表情が。

 一瞬だけ、理解できないものを見るような目に変わった気がした。

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