勇者の弟子入り生活。一日目

 グレアム・スターフォードの朝は早い。

 毎日、決まった時間に目が覚めるのは、体に染み付いた一種の習慣に近かった。酒を入れて部下たちと飲み明かした翌朝はともかく、決まったルーティンで生活リズムを刻んでいると、やはり体の方が起床する時間を覚えてしまうものだ。

 騎士団の駐屯地のベッドは、団長クラスになって出世しても変わらず固い。起き上がり、軽く体を伸ばして解す。その後は窓のカーテンを開き、明るい日差しを浴びながら、爽やかな朝の風を胸いっぱいに吸い込むのが、グレアムの日課だった。


「あ、おはようございます! 先生!」


 カーテンを、開けた先。

 そこには、爽やかな笑顔を浮かべた少年が、べったりと張り付いていた。


「……」


 しゃっ!と。グレアムはカーテンを閉めた。きっと何かの見間違いだろう、と己に言い聞かせる。

 やはり、最近は少し疲れが溜まっていたのかもしれない。疲れているのだから、幻覚の一つや二つを見ても、何もおかしくはない。

 息を吐いて吸って、また吐いて、呼吸を落ち着けてから再びカーテンを開く。


「ところで先生……やっぱり、良い体してますね。今度、トレーニングの内容教えてください。おれもやります」


 やはり、そこには少年がいた。

 グレアムの鍛え上げられた全身をしみじみと眺めながら、少年はきらきらした目でその筋肉を褒め称えた。裸で寝る自身の習慣を、これほど後悔したこともなかった。

 少年が目の前の窓にびったりと張り付いている光景がやはり現実だったので、しゃっ!とグレアムはもう一度カーテンを閉めた。さらに、ばっ!と適当なパンツを履いた。タンクトップを着て、軽く身支度を整えながら、グレアムは考える。

 スライム騒ぎは、つい昨日の出来事。あの少年に弟子入り志願をされたのも、当然昨日の出来事である。昨日の今日で、いくらなんでも行動が早すぎる。しかも、あの場では良いとも悪いとも言わず、有り体に言ってしまえば言葉を濁して……うまくあしらったつもりでいたのだ。

 それがまさか、翌日に自室の窓まで登ってきてモーニングコールをかけてくるとは、一体誰が予想できよう? 予想できるわけがないだろうと、グレアムは思った。

 とはいえ、王都の守護を司る騎士団長の一人が、いつまで経ってもアホ面を晒しているわけにはいかない。軽く咳払いをして、グレアムはもう一度カーテンを開いた。三度目の正直である。


「おはよう、少年」

「おはようございます!」

「どうして俺がここで寝泊まりしていることを知っている?」

「はい! ウッドヴィル先生に聞きました!」

「なるほど。では二つ目の質問だ。きみはこんな朝早くから、どうしてここにいる?」

「はい! グレアム先生に修行をつけてもらいに来ました!」

「俺はきみに戦い方を教えると約束した覚えがないが?」

「本日からよろしくお願いします!」


 それは圧倒的なゴリ押しであった。

 話を聞かないとか、そういうレベルではない。もはやグレアムが自分の指導を担当してくれることを、一切疑っていない様子である。あまりにも曇りなき眼が、そこにはあった。


「少年。きみが強くなりたいというのなら、そのために力を貸すのはやぶさかではないが……しかしおれも騎士団長という肩書と地位を持つ立場だ。きみのためだけに時間を割くのは……」

「そうですか。残念です。おれの指導を引き受けてくださるのなら、先日のスライム騒ぎを振り返る資料として、この『怪物の誘惑と蜜〜咲き狂う華達〜』をお借しするのもやぶさかではなかったのですが……」

「喜んで協力させてもらおう」


 それは圧倒的な即断であった。

 グレアムは窓を引き上げて、本を受け取り、少年と力強い握手を交わす。

 実に単純でシンプルな理屈である。どんなに強い男でも、エロ本には勝てない。

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