勇者の騎士学校生活。ヌメヌメスライム編
学年合同実戦演習の日は、思っていたよりすぐにやってきた。
一般生徒よりも早い時間帯。集合場所に指定されていた演習用のプールサイドに向かうと、先輩方がすでに準備を進めていた。
「ジルガ先輩、おはようございます」
「おう。集合時間よりも早いじゃねぇかゼンラ。感心だな」
「ありがとうございます。感心ついでにゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」
「今日のスケジュールとお前の仕事を説明すんぞ」
最近わかってきたのだが、この学園の人たちはどうやら基本的に人の話を聞かないらしい。
ジルガ・ドッグベリー先輩は一見粗暴で粗野でヒャッハーとか言いそうな盗賊みたいないかつい見た目をしているが、その実、とても面倒見が良い人だ。今もおれと会話をしながら書類にペンをはしらせ、さらに「ジルガ先輩! タイムスケジュールが!」「時間には余裕を保たせてるから、安心しろ」「ジルガ先輩! 訓練用の武器が足りなさそうです!」「第二倉庫に予備があるから取ってこい!」などと、あちこちに指示をとばしている。
「忙しそうですね」
「あ? まあ、これくらいはいつものことだ。新入りのお前らには大した仕事は振らねぇから安心しろ。今日のオメーの役割は、基本的に会長の隣に突っ立ってることだけだ」
「え、それだけでいいんですか?」
「それだけでいいわけねえだろ。会長は基本的に歩いてるだけで何かやらかすし、座っていても何かやらかす。立ってるだけでもやべえ」
「天然の災害か何かですか?」
「だからオメーは会長が何かやらかした時のために、横で常にスタンバっておけ。そして会長が何かやらかしたら全力でフォローして差し上げろ」
「それ結構大した仕事なんじゃないですか?」
最初からなんとなくわかっていたとはいえ、この生徒会、あまりにも会長に対して過保護過ぎる。
「オメーにはこれを預けておく。絶対になくすなよ」
「これは?」
「会長のおやつセットだ。そっちの袋には飴玉とチョコレート。こっちの瓶には温かい紅茶が淹れてある。会長のコンディションに応じて、適量を与えろ。最初から全部あげるのは駄目だぞ」
過保護過ぎる!
「ゼンラくん」
背中を叩かれて、振り返る。
「あ、サーシャ先輩。お疲れ様です」
そこにいたのは、サーシャ・サイレンス先輩。ショートカットがよく似合う理知的なクールビューティである。
「お疲れ様。早めに来てもらって悪いわね」
「いえいえ。あ、すいません、ゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」
「私もいろいろと仕事があるから、今日のところは会長の隣は譲ってあげるわ、ゼンラくん」
「ゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」
「でも、よく覚えておくことね。会長にぬるい紅茶なんて出したら、私はあなたを全裸にひん剥いてやるわ」
「全裸にひん剥くのもやめてもらっていいですか?」
「精々、しっかり励みなさい」
おいおい、全然会話が成立しねぇな。どうなってんだ?
もはや説明するまでもなく、サーシャ先輩はイト会長のことが大好きである。おかげでイト会長が絡むとクールビューティがまったく仕事をしていない。
「おはよう、後輩くん」
噂をすればなんとやらだ。間がいいのか悪いのか、サーシャ先輩と入れ代わりでイト先輩がやってきた。
「おはようございます、会長」
「うんうん。今日はワタシに付いていてくれるって聞いてるよ。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
今日のイト先輩は、前に立って話をする立場で、訓練で動く予定もあるせいか、長い黒髪をアップでまとめている。前髪も止めて上げていて、いつにも増して大人びた印象だ。
「どうかな?」
くるりと回るのに合わせて、黒い肩幕がふわりと舞い上がる。
「お綺麗ですよ」
「よかったよかった。後輩くんに褒めてもらえたら安心だよ」
「先輩は誰から見ても美人の部類に入ると思いますけど……」
「では、そんな魅力的な女性の先輩から一つアドバイスをしてあげよう。女の子はみんな自分を着飾るためにお洒落をするものだけど、それを具体的に口に出して褒めてもらえると、もっとかわいくなるんだよ」
「そういうものですか?」
「そうそう」
「今日はおでこ出ててかわいいですね」
「……それはちょっと違うかな」
何故か会長は、おでこを抑えておれから距離を取った。
この先輩、基本的に大人びているように見えて、いろいろと子どもっぽいところがあるんだよな。だからみんなからお世話焼かれて、好かれてるんだろうけど。
「まあ、とにかく今日は気軽にやってくれればいいよ。生徒会のみんなもフォローしてくれると思うし」
「そうですね。頼りにさせてもらいます」
おれはおれの責務を全力で遂行しなければなるまい。具体的には目の前でニコニコしているこのドジっ子天然爆弾先輩のお世話を。
「あと、今日はフリーの手合わせもやる予定だから。ワタシも全体の進行が終わったらそっちに混ざるつもりだよ」
「それはつまり?」
「ワタシが一対一の相手をしてあげる、ってこと」
おお、それは楽しみだ。
「あとで是非、胸をお借りします」
「ふふーん。ワタシは強いよ。具体的には悪魔を倒せちゃうくらい強いよ?」
「ははっ。それは冗談でも楽しみです」
「お話中失礼します」
と、アリアとレオが連れ立ってやってきた。
「会長。今日のイベントで使うモンスターの確認をしてほしいらしく……」
「ああ、ご苦労さま。どれどれ」
レオが持ってきたのは、黒い布がかかっている箱である。上に覆い被さっているそれを取ると、箱は半透明のケースになっていて……中では水のような、粘液の塊のような物体が蠢いていた。
「……なんですか、これ?」
「知らないのかい、親友。これはスライムだよ」
「すらいむ?」
「かつて当代最高と謳われた流水系魔術の使い手が、自身の魔法のシステムを組み込んで生み出したとされる魔物でね。野に放たれたことで野生化したというのが俗説だけど、はっきりしたことはわからない。とにかく、中々お目にかかれない、レアなモンスターの一種なんだ」
「へえー」
「詳しいねえ、レオくん。まるでスライム博士だ」
「……ええ、まあ。父の書斎にある本でいろいろ読んだことがあったので」
さすが、お金持ちの名家の息子は知識が豊富だ。
イト先輩はひょいとレオからケースを取り上げて、しげしげとその中身を眺めた。
「ワタシも実物を見るのは、はじめてだなあ。ほんとにブヨブヨしていておもしろいね」
「……イト先輩、どうしてこんなモンスターを取り寄せたんですか?」
「ん? 卒業して騎士になる人間は、魔物討伐の任務に出る機会も多いでしょ? 直接目にしたことのない、めずらしいモンスターを見ておくのも大事かなって。この子、結構愛嬌があるし、輸送してきてもらってよかったよ」
いやそんな、ペットの触れ合いコーナーみたいな……
「なあ、レオ。コイツって強いのか?」
「ああ、とても弱いよ」
「弱いのかよ」
「うん。特に、これくらいの小さな個体は、子どもが棒で叩いても倒せるらしい。さっきも言ったけど、遭遇することがそもそもめずらしいモンスターだからね。昔の冒険者の間では縁起物として扱われることもあったみたいで『スライムを見かけたら良いことがある』なんて迷信が語られていたそうだよ」
「……お前ほんとに詳しいな」
「フッ……そんなに褒めてもスライムの解説しか出せないよ」
「べつに褒めてないし、もういらん」
「まってくれ親友! このモンスターにはまだまだ語るべきところがたくさんあるんだ!」
と、熱っぽく語るバカとはべつに、おれはアリアが明らかに一歩退いて、距離を置いていることに気がついた。
「アリア?」
「……」
「アリアさん?」
「え、なに?」
「いや、何もないけど。スライム見ないのかなって」
「あ、あたしはべつに大丈夫かな……」
あせあせと目を背けながら、アリアはさらに身を退く。
ははーん。なるほど。はいはい、そういうことですね。わかりましたよ。
「アリア、さてはこういうヌメヌメしたヤツ苦手だろ?」
「うん」
「素直だな!?」
本当におどろくべき素直さである。誤魔化そうとかそういう意志が微塵も感じられない。子どもが人参を嫌いって主張するくらいの素直さだ。
「だって苦手なんだもん! はっきり言うけど、なんで会長が平然とケース持ってられるのか、信じられない!」
「ええ〜? 近くで見るとうねうねしてて意外とかわいいよ。よく見るとねちょねちょ蠢いてるし」
「そのぬちょぬちょした感じがダメなんです!」
「またまた。そんなこと言って。アリアちゃんも、ちょっと近くで見てごらんよ。ほらほら」
「いーやーでーすー!」
女子二人がキャッキャ言いながら擬音を言い合っている光景は微笑ましかった。ある意味、それがおれの気持ちの油断を誘ったのかもしれない。
「あっ」
まず、イト先輩が滑って転んだ。この時点で、支えることができなかったのが、おれのミスである。
次に、その体が勢いのままにつるんとひっくり返り、その小さな頭がプールサイドの床に叩きつけられた。ここで先輩を抱きかかえることができなかったのも、おれのミスである。
そして、おれの最大のミスは、イト先輩の手のひらからこぼれ落ちるスライムが入ったケースを、キャッチできなかったことだった。
「ぐえっ」
「あ」
「あ」
「あ」
大きく宙を舞うケースは、ぽちゃんと音を立てて、背後のプールに落下した。
「……」
「……」
「……」
ぴくぴくと体を痙攣させながら伸びている先輩。無言のまま、顔を見合わせるおれたち。
スライムのケースが沈んでいった水面を見つめる。
いやな予感がした。
いやな直感があった。
いやな感覚が、頭の中で、全力で警告の音を打ち鳴らしていた。
「……ごめん、レオ。やっぱり聞いていいか?」
「……なんだい、親友」
「もしかしてスライムって、水を取り込んでデカくなったりするのか?」
「勘がいいね、親友」
なぜか全体が浮上しつつあるプールの水面を見ながら、めずらしくこれっぽちも笑みを感じられない表情に冷や汗まで添えて、おれの悪友は言った。
「ボクも伝説だと思っていたけどね。ごく一部の特殊で優れた個体は、水源を取り込んで成長……街一つを飲み込んだと言われているそうだよ」
目を回したまま動かないポンコツ生徒会長を、よっこらせと担ぐ。
「逃げようぜ」
「賛成だ」
前方ではすでに無言のまま、アリアが陸上競技のような素晴らしいフォームで、全力疾走を開始していた。
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