上裸のおじさん

「学年合同実戦演習?」

「うん」


 朝の登校中。

 おれの疑問形の呟きに、隣を歩くアリアは頷いた。


「一年生全体でやるみたいだよ。あと、指導教官として、上の学年の先輩たちとか現役の騎士の人たちが来てくれるんだって」

「ほー」


 アリアが取り出したプリントを覗きこむ。なるほど、書かれている説明を見るに、たしかに普段やっているようなトレーニングや戦闘訓練よりも、大規模な催しらしい。普段はやらないような訓練……プールを使った水辺での戦闘を想定した模擬戦なども実施すると書かれている。わりとすごい。


「ああ、これイト先輩たちも参加するのか」

「みたいだね。七光騎士の先輩たちは全員参加なんじゃないかな? 後輩の指導も七光騎士の役目だって聞くし」


 そんなことを言うアリアの肩には、ばっちり七光騎士の肩幕が靡いている。例の三人撃破事件のあと、結局一人分の業務しか引き継げないだろう、ということで、アリアは倒した中で最も位が高い七光騎士第三位を引き継ぐことになった。

 引き継ぎの際にはおれも立ち会ったのだが、負けた先輩方は皆一様に神妙な表情で正座していて、敗北の言い訳をすることもなく「オレがやめる」「いやわたしが」「いやおれが」と、神妙な表情で正座しながら揉めていた。騎士として敗北の責を負うのは当然、ということらしい。潔い先輩方である。ちなみに、イト先輩はそれをニコニコ眺めながら紅茶をこぼしていたのでおれが拭いた。

 結局、最も年長で位も高いグラン先輩が「じゃあ決闘で決めるか」と言い出して残り二人を薙ぎ倒し、自身が身を引くということで落ち着いた。が、一年生のアリアに生徒会の仕事ができるわけがないため、グラン先輩は業務の引き継ぎというか、アリアの指導で引き続き生徒会室に出入りしている。


「あたしたちもなんか仕事ありそうだよね」

「裏方の手伝いくらいはしなきゃだろうな」


 身を寄せて、おれと一緒にプリントを覗きこむ金髪が揺れる。

 数ヶ月一緒に過ごして、アリアの距離感は前よりもずっと近くなった。


「やれやれ、二人は大変だね」

「離れろうっとうしい!」


 顎が肩に乗り、金髪が頬をくすぐる。

 数ヶ月一緒に過ごさずとも、レオの距離感は最初から今も変わらず近かった。マジでなんなのコイツ? もう慣れちゃったよ。


「あ、見なよ親友」

「話を逸らすな」

「いや、ほんとに前。あれあれ」

「あん?」


 指を差された方向。広場のベンチがある方を見る。


「ご覧。上裸のおじさんが椅子の上で寝ているよ」

「仲間がいたね、みたいな口調で言うのやめてくれない?」

「ほんとだ。ジョウラだ」

「まってくれアリア。イントネーションがおかしい」

「ゼンラくんに合わせてみたよ」

「合わせなくていい」

「ねえ、レオくん。あれはどんなモンスターなの?」

「良い質問だね、アリア。あれはジョウラ。ゼンラ族の一種だ。酒を飲みすぎた翌日の成人男性が変態することで知られているね」


 アリアとレオもすっかり仲良くなったようでなによりだ。おれにとってはあんまりよくない気もする。


「やめろ。おれをあれと一緒にするな」

「キミの進化前じゃないか。やさしくしてあげなよ」

「お前ぶっとばすぞまじで」


 金髪の頭を引っ叩きながら、ベンチで寝ているおっさんの肩を軽く叩く。


「おいおい親友! 下まで脱がせるつもりかい!?」

「そんな趣味はない!」


 普通に起こすんだよ! 人間としての当たり前の善意に基づいた行動だろうが! 

 上裸のおっさんの肩を、さらに軽く揺する。一目見た時からなんとなく気になっていたが、このおっさん、やけにガタイが良い。腹筋はバキバキに割れているし、なんというか体全体が分厚い感じだ。


「もしもし。もしもーし。こんなところで寝てると風邪引きますよ」

「経験者は語る、か。説得力が違うね」

「でもバカは風邪ひかないよ?」

「それはそうだ」

「いいからお前らも起こすの手伝ってくれない?」


「きみたち、そんなところで何をしているんだ」


 朝の登校時間に、ベンチの前で学生三人が騒いでいるのが目についたのだろう。後ろから声をかけてきたのは、憲兵さんだった。しかも、聞き覚えがある声の憲兵さんである。


「あ、憲兵のおじさん」

「む、全裸の少年じゃないか。今日はきちんと服を着ているな。感心だ」


 服着てるだけで感心されるってなに? 


「しかし、こんなところで寄り道してないで、早く学校に行きなさい。遅刻してしまうぞ」

「それよりも見てくださいよ憲兵のおじさん。ここに上裸のおっさんが寝てるんですよ。見るからに不審者ですよ。早く取り締まってください」

「なんだ、上裸のおっさんか。上裸程度ならべつにいいだろう。全裸でもあるまいし」

「上裸は良くて全裸は駄目なんですか? それは常識的に考えて裸差別なのでは?」

「待つんだ親友。常識的に考えてまずいのは明らかに上裸よりも全裸の方だよ。その議論は明らかにキミの方が分が悪い」


 わいわい、がやがや。

 憲兵のおじさんと熱い裸討論を始めたのがうるさかったのだろう。話題の中心である上裸のおっさんが、上体を起こして大きく伸びをした。

 顎に薄く生やした髭をさすりながら、欠伸が一つ漏れる。


「うぅ……ん? ……いかんな、寝落ちしていたか」


 その顔をはっきり視認した憲兵さんの顔が、目に見えて凍りつく。そして次の瞬間には、憲兵さんは自分の上着を差し出していた。


「おはようございます! あと、服をお召しになってください!」

「おお、すまんすまん」

「はあ!?」


 おれはキレた。


「それはおかしいでしょう、憲兵のおじさん! おれの時は素っ裸のまま捕まえようとしたのに、なんでこの人には上着を貸そうとしてるんですか!?」

「え、いや……これはその……」

「横暴だ! 全裸差別だ!」

「すまんなぁ、少年。おじさん、昨日は巨乳のお姉さんと遊んでてちょっと羽目を外し過ぎちまってなあ」

「ほんとになにしてるんですか?」


 上裸のおっさんを見る憲兵のおじさんの目が冷たくなる。しかし、それを気にする様子もなく、おっさんは上着を羽織ると、おれの肩に手を置いて、瞳を覗き込むように見据えてきた。


「────少年、巨乳は好きか?」

「え、はい」


 あ、やべ。普通に答えちゃった。


「そうかそうか。なら、やはり我々は同志だな。同じものを好む者同士、今日のところは許してくれ」


 バシバシ、と背中を叩かれ、特に言葉を紡ぐ暇もないまま、でかい背中が去って行く。


「……なんだったんだ?」

「親友は巨乳好き、と」

「メモるな」

「ボクも人並みに大きいのは好きだよ」

「フォローするな」

「今日はあんまりこっち見ないでね」

「アリアさん!?」



◇ ◇ ◇



「なにやってるんですか、団長」

「いや、すまんな。昨日はひさびさに気持ちよく飲めたんだ」

「だからって上裸でベンチの上で寝ていたらダメでしょう。お立場を考えてください」

「下は脱いでなかったからセーフじゃないのか?」

「あの全裸の少年を基準にしないでください!」

「べつにいいんじゃないか? 貴族派閥の第一や第二の連中ならともかく、俺は印象とかに拘る気はないし」

「だとしても限度があります!」

「今度お前も一緒にどうだ?」

「…………それは、お供します」

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