襲撃者
騎士学校は、王都を守護する騎士を育成する学校である。
それも、ただの騎士ではない。この学校で育成され、巣立っていく騎士たちは、誰もが優秀で王国において欠かせない人材となる、未来の希望そのものだ。
ならば当然、彼らに敵対する存在は、芽の内にそれらを摘むことを考える。
キャンサー・ジベンという最上級悪魔も、そういった考えを巡らせ、そして実際に行動している魔王の使徒の一人だった。
(この学校にも、魔法持ちが増えてきたな……生徒の実力も年々、目に見えて増してきている。そろそろ、刈り入れ時か)
キャンサーの見た目は、どこにでもいるような用務員である。作業服を着込んだ、如何にも人の良さそうな初老の男性を警戒する生徒はまずいない。
最上級の悪魔達の、他の悪魔とは違う最大の利点は彼らが人間の姿をしていることだ。自らの姿を魔術を用いて人間や動物に見せかける悪魔は数多くいるが、それらは所詮、見せかけの偽装。腕の良い魔導師に見られたり、悪魔を探知する結界に触れてしまえば、正体を簡単に見破られてしまう。
だからこそ、素の状態で外見が人間そのものであるということは、こうした潜入任務において、なによりも重要なアドバンテージとして働く。実際には、キャンサーはさらに自身の魔法を併用することで王都の厳しいセキュリティを潜り抜け、人としての生活を営んでいるのだが……まあそれは良い。
(さて)
柱の陰から、生徒を観察する。
キャンサーの視線の先には、男女の二人組がいる。両方が、魔法持ち。しかも片方は隣国の王女という高い身分の人間だ。
気づかれないように注意しなければならないのはもちろんだが、事故に見せかけて殺すことなど、造作もない。むしろ、二人揃っている今がチャンスと言っても良い。
そういえば、少年の方は勇者になる、などとできもしないことを口にしていた気がする。キャンサーの主である少女は勇者が現れるのを待ち望んでいるが、臣下の身から言わせてもらえば、未来の脅威は早急に取り除いておくに限る。
(どう殺すか……)
「こらこら、おじさん。若人の青春の邪魔をしちゃあいけませんよ」
人間の気配を察知できなかったのは、はじめての経験だった。
振り返ると、乾いた唇に指先をあてられた。目の前には、この学校で知らない人間はいない女子生徒の姿があった。
「……生徒会長」
「そんなにあわてないで。盗み見が気づかれちゃいますよ?」
くすくす、と。イト・ユリシーズは小刻みに、可愛らしい笑みを溢す。
それに対して、キャンサーも同様に、顔の表面に笑みを貼り付けて応対した。
「……これは、恥ずかしいところを見られたな」
「カップルを観察なんて、良いご趣味ですね?」
「まあそう言わんでくれ。年寄りの道楽のようなものだよ。きみたちのように若くて元気な子たちが初々しい付き合いをしていると、どうしても気になってしまうのさ」
「じゃあ、用務員のおじさんには、ワタシとデートしてほしいな、なんて」
「はは。年寄りをからかうものじゃないよ。きみはかわいいから、他の男子からも引く手数多だろう。遠慮させてもらおう」
「いやいや、ダメダメ。ダメですよ、おじさん。ワタシ、普通の男の人とのデートなんて、興味ないですから」
まだ女性にもなりきれていない少女の唇が、三日月に歪む。
「悪魔とのデートの方が魅力的です」
間髪入れずに、キャンサーは右の腕を裏拳の要領で振るった。
人間にしては整った容姿の少女であることは認めるが、たかだか人間の女に、心を弄ぶような物言いをされたのが、甚だ不快だった。
「いきなり顔はひどくない?」
が、避けられる。
顔面を引き潰すつもりで打った拳は空を切り、少女は体のやわらかさを活かして一回転の後退。キャンサーの拳が届かない場所まで、間合いを取り直した。
「なぜ、気付いた?」
「逆に聞きたいけど、なんで気付かれてないと思ってたの? いくら能天気に間抜けを重ねても、希望的観測が過ぎると思わない?」
いやらしい女だと、思った。
「あなたはもう少し泳がせておこうと思っていたんだけど……あの子たちに手を出すつもりなら見逃せないなぁ」
「まるで、いつでも儂を殺せたかのような口ぶりだな? 人間」
「だからそう言ってるんだよ」
もう一度、逆に聞こうか、と。
少女は悪魔を見詰めたまま、余裕を崩さない。
「問おう、悪魔よ。あなたは、ワタシに勝てる?」
「応えよう。愚かな人の子よ。儂は、貴様を殺すことができる」
「……そっか」
少女は笑う。
それは、海の底のように、深い笑みだった。
「ふふっ。応じた応じた……応じたね?」
問いかけて、それに応じた。ならば、決闘は成立する。
右腕が、振り上げられる。華奢な肩に掛けられた、黒の幕が上がる。それが、開演の合図だった。
瞬間、逃れ出ることを許さず、イトと悪魔を中心に、決闘魔導陣が広がっていく。しかし、閉じ込められた側であるはずの悪魔の反応は、淡白なものだった。
「……結界か。児戯だな」
「そう? あなたを閉じ込めるには、十分だと思うよ? 知らないだろうけど、これは……」
「知っているさ。貴様らが順位を決める決闘ごっこに使っているものだろう? こんなもので儂を閉じ込めたつもりなら……」
片腹痛いな、と。続けようとした悪魔の言葉は、そこで途切れた。
七光騎士が着用を許される肩幕の中で、第一位のみ色が違うのには、明確な理由がある。
決闘魔導陣は、互いに切磋琢磨し、剣を交えて高みを目指すための舞台。悪魔の言葉通り、それは命を賭けない決闘ごっこでしかないのかもしれない。
「……なに?」
そう。人間相手ならば。
「決闘魔導陣は、本来、一対一で悪魔と戦うために作られたもの。そして、七光騎士の第一位のみが、単独で悪魔を討伐する資格を認められる」
その色が、証。
悪の魔を討ち伐う、黒という色である。
「これは、悪魔に対して起動した場合、どちらかが死ぬまで解除できない。こわいこわい結界だよ」
それだけの結界を維持する魔力をどこから得ているのか、とか。
なぜ自分の正体を悪魔だと看破することができたのか、とか。
聞きたいことはそれこそ数え切れないほどあったが、キャンサーは会話という行為を放棄した。とりあえず、手足の一二本でも折ってやった方が、聞きたいことが聞きやすくなるだろうと思ったからだ。
決闘に、合図はない。
足に力を込め、突進。正面から、拳で肉体を叩き折る。そのためにキャンサーが膝を曲げ、地面を踏みしめた、瞬間。
「あ、そこ。危ないから気をつけて」
かちり。
何かを踏みしめた音は、即座に響いた爆発音で完膚なきまでに上書きされた。
封鎖された魔術結界という空間の中で、突如巻き上がった爆炎。
無論、解答はある。悪魔と対峙する学生騎士の指先には、いつの間にか小さな魔導陣がいくつも浮かんでいた。
「決闘っていうのはさ。人間が名誉を得たり、恨みを晴らすために戦うことを言うんだよね。だから、ワタシはいつも疑問に思うんだよ」
右手に展開した、防御用の魔導陣で、自身が炸裂させた爆炎は防御。
それだけではシャットアウトしきれない煙を左手で鬱陶しそうに払いながら、少女は気怠げに言う。
「害虫駆除は、決闘じゃないだろうってさ」
ばらり。
黒のマントの裏側から、炎熱系の魔術が刻まれた魔術紙が落ちる。それらは、結界を展開する前から……悪魔に声をかける前から、イトが地面に仕込んでおいたものだった。
「……なるほど。騎士らしからぬ悪辣だな」
回答があった。
返事を期待すらしていなかった、独り言のような嘲りに、明確な声が返された。
地面が抉れるほどの爆発の痕。そこから、煙をかき分けるように、キャンサーを名乗った悪魔は歩を進めた。爆発の規模を考えれば、悪魔の肉体は粉々に飛び散り、肉塊になっていても何ら不思議ではない。少なくとも、足の一本は吹き飛んでいて然るべきだ。
しかし驚くべきことに、外見だけは初老の男性にしか見えないキャンサーの肉体には傷どころか塵一つ付いていなかった。
「……おやおや。なんで死んでないの?」
「『
「うーん。違う違う。名前を聞いたわけじゃなくて。理屈を教えてほしいんだけど?」
「知る必要もないことだ」
上着を脱ぎ捨て、キャンサーは上半身の肌を外気に晒した。
外見の年齢からは想像もできないような、分厚い筋肉に覆われた肉体だった。
「これから死ぬ相手に、理屈を説いても仕方なかろう?」
「そっかそっか。それは道理だね。じゃあ、仕方ない」
対して、学生騎士の頂点は剣を取り出さず、構えもせず。
ポケットから素朴なデザインのヘアゴムを取り出して、悠然と黒の長髪をポニーテールに括る。
それで、彼女のスイッチは切り替わる。
「本腰を入れて、あなたを殺そうか」
何も持たない両手を広げて、イト・ユリシーズは微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます