姫騎士の暴走
放課後。
アリア・リナージュ・アイアラスは特にやることもなく、ぶらぶらと校内を歩いていた。すれ違う生徒は、何かを思い詰めているようなその表情に遠慮して、そっと道を空ける。
簡潔に言ってしまえば、アリアは焦っていた。
その焦燥の原因は、勇者志望の全裸少年である。
アリアはこれまで、己の魔法と自身の強さを疑ったことがなかった。幼い頃から同年代で自分より強い人間に出会ったことはなかったし、自分が最も強いことが当たり前だった。
だが、そんな当然の自負は、騎士学校に入学して一日目で崩された。より厳密に言えば、たった一人の少年に破壊された。
それだけではない。全裸による街中での決闘。文字に起こしてみると本当に馬鹿みたいだが、しかしその結果、彼は入学から僅か一週間で、この騎士学校で最も強い七人に名を連ねてしまった。
アリアの常識は、この一週間ですべて彼に壊されてしまったのだ。
────おれ、魔王を倒して世界を救いたいから、なるべく強いやつと戦いたいんだ
あの屈託のない笑顔が、頭の中に焼き付いて離れない。
今のままでは、きっとダメだ。彼は、これから『勇者』になるという。それなら、自分もその強さに相応しい騎士にならなければならない。
(あたしも、もっと強くならないと……)
一般的に。
それが出会って一週間の人間に対して抱くには『重い』と呼ばれる感情であることを、アリアは自覚していない。
「アリア・リナージュ・アイアラスだな?」
不意に背後からかけられた声に、アリアは振り返った。
「……そうですけど」
「はじめまして。不躾で申し訳ないが、少しお時間をいただいてもよろしいだろうか?」
「え? は、はい。大丈夫です」
「では、こちらへ」
アリア・リナージュ・アイアラスは、隣国の姫君である。姫であるが故に、基本的に、人が好くて世間知らずだ。他人を疑ったりはしないし、こちらへどうぞとエスコートされればほいほい連いていく。
(学校の先輩に、はじめて話しかけてもらえた……ちょっとうれしい)
しかも寂しがりで会話に飢えていたので、そのチョロさは純然たるポンコツプリンセスと言っても過言ではなかった。
案内された場所は、校舎の裏だった。薄暗く、人通りも少ない場所である。
「あの、先輩……?」
「……すまない。騙すつもりはなかったのだが、こうするのが一番早いと判断した」
「それは、どういう?」
「くくっ……まさか、素直にノコノコ着いてくるとは思わなかったぜ」
物陰から、まるでチンピラのようなガラの悪い声が聞こえた。出てきたのは、長身痩躯の、目付きの悪い声の印象をそのまま形にしたような外見の上級生である。
「彼女を馬鹿にするような発言はやめなさい。騎士としての品性が疑われるわよ」
次に現れたのは、三年生の女子生徒。こちらは毅然とした声音で、ショートヘアがよく似合っている。
「ああ? そもそも、こんな校舎裏に呼び出てる時点で、やってることは後輩いびってんのと変わらねえだろ。品性もクソもあるかよ」
「だとしても、相手への敬意というものがあるでしょう?」
二人に共通しているのは、そのどちらも『
学園最強と謳われる、七人。その内の三人が、アリアの前に肩を並べていた。
この段階に至ってようやく、アリアは自分が騙されてここまで連れて来られたことに気がついた。
「……これは、どういうことですか?」
「重ねて、非礼を詫びよう。アリア・リナージュ・アイアラス。しかし、きみと話をするには、こうするのが一番早いと判断した。また、人の目がある場所での話も避けたかった」
「前置きは結構です。用件は何でしょう?」
「話が早くて助かる。我々は、きみに
思ってもなかった提案に、アリアは目を丸くした。
「それは生徒会に入れ、ということですか?」
「そうだ」
「でも……
「その通り。だからあなたには、決闘をしてもらいたいのよ。例のあの……街中で全裸の決闘をして神聖な『
「…………」
なんということだろう。
心当たりしかなかった。というか、現在進行系でアリアの心の大部分を占めている少年の話だった。
アリアは、頭を抱えてうずくまりたくなった。その提案はめちゃくちゃだったが、しかし納得できる部分がないわけではない。
彼らは要するに「街中を全裸で駆け回ったアホを生徒会に入れるのは認められないから、さっさと決闘して
「無理を言っているのはわかっている。しかし、きみはすでに入学式の日に、彼と剣を交えていると聞く。正式な場で、決着をつけたい気持ちがあるのではないか?」
「それは……」
「場所は、こちらで用意しよう。どうかな?」
「……わかりました」
「では」
アリア・リナージュ・アイアラスは、彼に追いつきたい。彼の隣に立つのに、相応しい騎士になりたい。
だからこれは、絶好のチャンスだと思った。
「では、あたしと決闘をしてください。今、ここで」
「は?」
途切れなかった会話が、そこで止まった。
「……何を、言っている?」
「あたし、彼に追いつきたくて。だから、なるべく早く、
淡々と、少女は語る。
「生徒会への勧誘は、お受けします。決闘についても、望むところだと言わせていただきましょう。ですが『
アリアは、自分の体の内側に、熱を感じていた。
彼が馬鹿にされるのは、わかる。彼がけなされるのは、わかる。
だって全裸だし。
しかし、こんな形で。遠回しに彼を貶めようとする者がいるのなら……そんな敵から、彼を守るのが、騎士の役目だ。
「どうしますか?」
その静かな気迫に、アリアを取り囲んでいた三人は一歩後退する。
実力はある、と聞いていた。新入生主席として、申し分ない実力を持つ、と。
それでも相手は、隣国の姫君。蝶よ花よと愛でられてきた、世間知らずのプリンセスだと。彼らは、そう考えていた。
しかし、ただの姫君が、戦いを前にして、こんなにも好戦的で、獰猛な喜びに溢れた笑みを浮かべるだろうか?
「ははは! リーオナインといい例の全裸野郎といい、今年の一年はじゃじゃ馬ばっかだなぁ! いいぜぇ! そういうことならオレが相手になって……」
「あ。三人まとめて来てください。お一人ずつ相手にするのは、面倒なので」
「あぁん!?」
そして、アリア・リナージュ・アイアラスという少女は、どこまでも脳筋であった。
────三人もいるし、一人ずつ相手にするのはめんどくさいから、全員まとめて倒せばいいや。
舐めているわけでもなく、驕っているわけでもなく、アリアにとってはただそれだけのことだったのだが。
自然な口調で紡がれた言葉は、上級生たちにとってはこれ以上ない挑発であり、彼らの闘争心に火を点けるには十分過ぎた。
三騎士が萎縮したのは、一瞬のこと。
「我々も、舐められたものだ」
「これは……少し、教育が必要なようね」
「いいぜぇ……! あとで泣いて謝っても知らねぇからなぁ!」
風を伴って、三枚の『
「
「
「
三人の声が、重なりあって響く。
「決闘を受けるか?」
「受けます」
アリアは即答した。
三人と一人の騎士を中心に、魔導陣が展開され、結界が広がっていく。
「本気でいきます」
脳筋姫騎士の暴走は、もう止められない。
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