勇者の騎士学校生活。修羅場編

 生徒会室の扉を開くと、壁尻さん……もとい、生徒会長がおれを待っていた。


「失礼します」

「いらっしゃい」


 部屋の一番奥。学生に充てがわれるにはあまりに豪華に見える執務用の机の上で、生徒会長……もとい、壁尻さんは腕を組んでいた。

 こうしてあらためて対面すると、本当にきれいな人だなと思う。穏やかな微笑みを浮かべているその表情に、見惚れてしまう男子も少なくないだろう。

 だが……


「何してるんですか?」

「見てわからない?」

「わかりませんね」


 余裕綽々といった様子の壁尻さんの様子とは裏腹に、生徒会室の中はひどい有り様だった。

 茶色の物体が床に散乱し、さらに白い破片がそこら中に散りばめられている。まるで空き巣か何かに入られたような状況である。


「……これ、どうしたんです?」

「かわいい後輩がくるから、ちょっと張り切って……紅茶をね、淹れようとしたんだ」

「紅茶を」

「でも茶葉をひっくり返してしまって」

「茶葉を」

「ティーカップも割っちゃって……」

「ティーカップを」

「そしたらきみが来たから、とりあえずこうして出迎えているというわけなんだ」

「よくそんな涼しい顔で座ってられますね?」

「うん。先輩だからね……あ! ちょっと待って! 足元には気をつけて! まだ破片があるから!」

「トラップか何かですか?」

「まって。今片付け……ふぐぅ!?」


 部屋に入ろうとするおれを気遣ってくれたのだろう。あわてて立ち上がった壁尻さんは、そのまま机の足に蹴躓いてすっ転んだ。


「……大丈夫ですか?」

「心配には及ばないよ」


 いや心配に及ぶよ。

 出会ってまだ三分くらいしか経ってないけど、おれはすでにあなたのことが心配で心配で仕方ないよ。

 とりあえず、ほうきとちりとりを貸してもらって、床の上をさっさと片付ける。


「なんか……悪いね。せっかく招待したのに、そんな雑用をやらせてしまって」

「べつに大丈夫ですよ」

「ワタシも……」

「座っててください」

「あ、はい……」


 しゅん、と。でかい執務机の上で、黒髪の美人が小さくなる。ちょっとかわいい。


「普段はどうしてるんです?」

「いつもは他のみんなが紅茶を淹れてくれたりするんだけど……今日はなぜか誰もいなくて」


 なるほど。せっかく生徒会に来たことだし、他の先輩方にもご挨拶ができればと思ってたんだが、ご不在なら仕方ない。


「もしかしたら、きみみたいに血気盛んな下級生に、決闘を申し込まれているのかもね」

「ははは。そんなまさか」


 棚を開いてみると、中には予備のティーセットが一式あったので、そちらを使わせてもらって新しい紅茶を淹れる。


「……手際、良いね」

「いえいえ」


 山奥暮しだったとはいえ、家事は一通りこなしてきたので、これくらいは問題ない。とりあえず二人分の紅茶を出して、椅子に座って、ようやく落ち着いて話ができるようになった。


「他のみなさんがいないのが残念ですね」

「そう? ワタシはきみと二人きりになれてうれしいよ」

「……そういうことは軽々しく言わないでください」

「イト・ユリシーズ」

「え?」

「ワタシの名前。七光騎士第一位ミア・エスペランサ。ご覧の通り、生徒会長だよ。どうぞよろしく」

「あ、はい。どうも。おれは……」

「では、早速本題に入ろうか、ゼンラくん」

「すいません、その呼び方はちょっと訂正させてもらってもいいですか?」


 天然でポンコツだと思ったけど、妙に押しが強い美人だ。このあたり、同じ美人でも微妙に押しに弱いアリアとは、真逆だなと思う。


「あ、ごめんごめん。ゼンラくんじゃなくてドウテイくんの方がよかったかな?」


 すげえナチュラルに究極の二択突きつけてくるな。


「失礼しました。ゼンラです。よろしくお願いします。ユリシーズ生徒会長」

「うんうん。よろしくよろしく。あと、そんなに堅苦しくしないで。ワタシのことも気軽にイトさんとでも呼んでくれたまえよ、後輩くん」

「じゃあ、イト先輩で」

「結構結構」


 くすくす、と。笑う動きに合わせて、艷やかな黒髪が左右に揺れる。


「まあ、ウッドヴィル先生から大まかに事情は聞いていると思うけれど、レオくんに勝ったきみには、この生徒会に入る権利があるんだよね」

「はい。そう伺ってます」

「学業や訓練以外に、仕事が増えることになるけど、やり甲斐はあると思うよ」

「ちなみに、具体的にはどんな仕事をするんですか?」


 イト先輩は、優雅な手付きで紅茶を一口飲み、それからおれに向かってにこりと笑った。

 わりと長い、間があった。


「……何をするんだろうね?」

「帰ります」

「まってまって! まってゼンラくん!」


 立ち上がったおれの手を、先輩が掴んだ。


「じゃあ聞きますけど、先輩は普段、生徒会でどんな活動をされているんですか?」

「ワタシは普段、ここで紅茶を飲んでるよ」

「他には?」

「お菓子も食べてる」

「……他には?」

「……えーっと。あ! サイン! なんかよくわからない書類にサインしてる!」

「帰ります」

「待ってってば!」


 だめだろ、これ。

 新入生への業務説明、オリエンテーションとして、あまりにも人選ミスが過ぎる。というか、ほんとにこの先輩、なんで生徒会長やれてるんだろう? 


「生徒会の仕事はたしかに色々あって大変だけど!」

「そうでしょうね。トップの仕事を他の人が引き受けてそうですもんね」

「でもその分、卒業後の進路とか、そういうところで融通が効くよ! 多分! 卒業前から騎士団のみなさんと合同で訓練をする機会もあるし!」


 身も蓋もない特典をちらつかせ始めたな……


「いや、おれこの学校卒業しても騎士になる気はないですし……」

「え? じゃあ、何になるの?」

「勇者です」


 きょとん、と。

 それまであたふたしていた表情が呆気に取られて固まって。


「ふふっ……あはははは!」


 そして、破顔した。


「勇者! 勇者ときたかぁ……そっかそっか! 勇者ね!」

「……やっぱり、おかしいですか?」

「いや全然! おかしくないよ! 気に障ったならごめんね。ただ、ちょっとうれしくて」

「うれしい?」


 疑問の声を発した時には、もう遅かった。

 猫が体をしならせるように。テーブルに手をついて、身を乗り出して、距離を詰められた。

 何か声を上げる前に。細い人差し指が、おれの唇に当てられる。

 特別、早いというわけではない。ただ、意識の隙間に、滑り込まれたような。


「ワタシもね。


 その指先は、思っていたよりも冷たかった。


「いいね。入学試験の時からおもしろい子だと思っていたけど、ますます気に入っちゃった」


 だからこれは提案なんだけど。

 そう言いながら、手のひらがくるりと返って、指先がおれの顎に触れる。

 それはまるで、花を摘むように。

 あるいは、獲物を品定めするかのように。


「────きみ、勇者になるのをやめて、ワタシの騎士にならない?」

「それは……」




「失礼しますッ!」


 扉が、唐突に開いた。


「え?」

「お?」

「は?」


 おれと、イト先輩と、アリアの声が、一言ずつ順番に漏れ出た。

 そう。アリアである。何故か、おれの用事が済むまで待っている約束をしていた、アリア・リナージュ・アイアラスがそこにいた。

 アリアは、顎先をイト先輩につまみ上げられているおれを見て、低い声で言った。



「────なにしてるの?」



 しかし、おれはを戦利品のように、得意気にその手に持っているお姫様に、逆に聞きたかった。


 ────いや、お前の方こそ、なにしてるの?

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