初心に返る冒険者

 ボロ布を被ったその少女を見て、荷物を抱えた商人は足を止めた。

 魔王が討伐され、昔より格段に魔族の被害が減ったとはいえ、親のいない子はめずらしくない。冒険者や荒くれ者が多い開拓村ならなおさらだ。


「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」

「あの、私……昨日から、何も食べてなくて……行くところもなくて、それで」


 気弱で、掠れた声だった。

 旅は道連れ、世は情けともいう。

 見るから人の好さそうな商人は軽く頷いて、荷物を下ろして探る。そして、ボロ布を被った少女に向けて硬貨を数枚、差し出した。


「かわいそうに。わたしも旅の身だ。こんなものしか渡せないが、ご飯くらいはなんとかなるだろう?」

「ほんとに? いいの?

「ああ。今日くらいは温かいものを食べなさい」

「おじさん、ありがと……」


 めちゃくちゃ人の好さそうな商人のおじさんが硬貨を渡す前に、物陰からその一部始終を見守っていたおれは、飛び出して少女の背中を蹴り倒した。


「は?」


 おじさんは物陰から飛び出して物乞いの少女に飛び蹴りをかました不審者……要するにおれを見て、何が起こったのかわからないといった様子で硬直する。


「すいませんごめんなさいこれ身内なんです失礼します!」

「あー」


 そのままずるずると路地裏まで少女を引きずっていき、いつもより乱暴に放り投げた。物乞いの少女はボロ布のフードの下から、気怠げに、不満そうに、そしてなによりもめんどくさそうにおれを見上げてため息を吐く。


「ちょっと何するんですか勇者さん」

「逆に聞きたいけど何してるんですか賢者さん」


 いつものローブを脱ぎ捨て、いい感じに顔を泥で汚し、頭からボロ布を被って、完璧に物乞いになりきっていた少女……もとい賢者ちゃんは「せっかくもうちょっとでうまくいったのに」と呟きながら頬を膨らませた。


「見てわかりませんか? 身寄りのいない不幸な少女を演じて、お金を恵んでもらおうとしてたんですよ」

「良い考えってこれ? バカなの? 賢者ちゃんバカなの?」

「はー? 私は賢者ですが? 頭が良いに決まってるでしょう」


 ない胸を張りながら、賢者ちゃんは言うが、これっぽっちも頭が良さそうに見えない。

 隣でおれと一緒に賢者ちゃんの奇行を見守っていた赤髪ちゃんが、おずおずと片手を上げる。


「あのー、ちょっといいでしょうか?」

「なんです?」

「仮にお金を恵んでもらったとして、硬貨数枚じゃ、わたしたちのご飯代にもならないと思うんですけど……」

「わかってませんね。これだから巨乳はダメなんですよ」

「おいやめろお前。死霊術師さんにさっき言われた分を赤髪ちゃんに当たるな」


 おれの注意は無視して、賢者ちゃんは足元の小石を拾った。


「いいですか? 私の魔法『白花繚乱ミオ・ブランシュ』は、触れたものを100までなら増やすことができます」


 ぽんぽん、と。いつものように手品の如く小石を増やして手の中で玩び、賢者ちゃんはちょっと悪い笑みを浮かべる。


「つまり、たった1枚のコインでも、それを増やして100枚に……さらに増やした100枚を両替していけば」

「なるほど! いけますね!」

「なるほどじゃない!」


 おれは2人の脳天にチョップをかました。


「はうっ!」

「なんですか勇者さん! さっきから何が不満なんですか!?」

「全部不満に決まってるだろ! そもそもお金は増やしちゃダメだって旅を始めた頃に教えたじゃん!」


 う、と。賢者ちゃんが親に叱られた子どものような顔になる。


「それは、その、なんというか……今は非常事態ですし」

「ダメなものはダメ」

「えー」

「えーじゃありません!」


 人差し指の先をちょんちょんと合わせながら、きれいな碧色の目が泳ぐ。

 頭の痛いことに、賢者ちゃんの魔法は、戦闘だけでなくこんな場面でもその力を発揮する。『白花繚乱ミオ・ブランシュ』によって増やされたものは、そもそも真と偽の区別すらつかないので、賢者ちゃんはやろうと思えば無尽蔵にお金を増やすことすらできるのだ。まあ、やりすぎると明らかに貨幣経済が崩壊するので、絶対にダメだと教えてあるのだけれど。


「まさか、おれの見てないところで変なもの増やしたりはしてないよね?」

「……してませんよ」

「なんでまた目ぇ背けてんの? こっち見て答えてごらん」

「してません、してませんよ。わたしはちょっと歴史的価値のある美術品を増やしたりしてるだけで、べつにお金を増やしたりとかは……」

「もっとダメだ! それから……」


 また脳天へのチョップを警戒して頭を押さえる賢者ちゃんの頬を掴んで持ち上げ、自分で泥だらけにしたその整った顔を、ぐりぐりと手荒く拭いた。


「あうっ……」

「自分から物乞いのふりをしたり、そういう自分自身の価値を貶めるようなこともダメ。斜に構えて自分のことを蔑ろにするの、良くないって何回も言っただろ?」


 そういうこところは本当に相変わらずだな、と。おれは懐かしくなる反面、少し言葉を厳しくした。

 昔の境遇のせいか、その魔法のせいか、賢者ちゃんは自分という存在のことを軽く扱う節がある。それはよくないし、おれも悲しい。だから、ちょっと怒る。


「……はい。ごめんなさい」

「うん、わかればよろしい。ほら、杖持って。ローブ……あれ? 赤髪ちゃん賢者ちゃんのローブ知らない?」

「ああ、それならさっき死霊術師さんが……」


 すると、タイミングを見計らったようにドタドタと足音が近づいてきて、騒がしい黒髪が顔を出した。



「勇者さま〜! 見てくださいまし! 賢者さまのローブをパクって羽織ってみましたが、全っ然前が閉まりませんわ!」

「せいっ」



 賢者ちゃんは真顔で杖を死霊術師さんのケツに向けてフルスイングした。


「痛い!? 杖の先端が痛っ……あ、賢者さま、前が閉まらなくてもいいので、このローブ増やしてくださいな。前が閉まらないのも、なかなかに趣があるというか、これはこれで殿方には惹かれる魅力があると思いますし……」

「絶対増やしません。早く返せ」

「剥ぎ取らないで! 剥ぎ取らないでください!」


 組んずほぐれつしはじめた2人を呆れた目で見ながら、赤髪ちゃんはおれに視線を移した。


「勇者さん……もしかして、明日のご飯は晩御飯だけになっちゃうんでしょうか?」

「あー、大丈夫だよ。赤髪ちゃん。今頃、騎士ちゃんと師匠が……」


 ◇


 扉が開き、下卑た男達の視線は一斉にその女性に吸い寄せられた。


「おい、見ろよアレ」

「ほほう……へへっ」


 女の冒険者は、べつにめずらしい存在ではない。しかし、このあたりでは見ない顔の冒険者が……しかも、まだ10にも満たないような小さな子を連れてやって来るのは、とてもめずらしい。それが、どこに出しても恥ずかしくないような、美しい金髪の上玉なら尚更である。


「よう、アンタ。まるで姫さんみてぇだな」

「ええ、どうも。よく言われる」


 褒め言葉をさらりとあしらう、その尊大な態度がますます好みだ。昼間からやることもなく、酒を呷っていた冒険者の男の心を掴むには、彼女の外見と態度は充分過ぎた。


「なあ、どこから来た? こんな小さな嬢ちゃんを連れて訳ありだろう? このあたりに来るのは、はじめてなんだよな? 俺が案内してやるよ」

「申し出はうれしいけど……お断りしておくね」

「つれねぇこと言うなよ。俺ぁこの村を拠点にして長いんだ。それなりに顔も利く。なんなら……」

「ねえ、お兄さん」


 そこでようやく、金髪の女性の瞳が正面から男を見た。


「あんまり女性にしつこく言い寄ると、火傷しちゃうって習わなかった?」

「……ははっ! いいねぇ! おれを火傷させてくれるような女は、大歓迎だぜ!」


 冒険者の男は、迷わなかった。

 そのまま、女性の腕を無遠慮に掴み取って、


「あ……熱っ!? ぎぃやぁぁぁ!?」


 次の瞬間には、手のひらをフライパンに押し付けたような、その熱さに絶叫した。


「あーあ、もう……だからあたし、ちゃんとって教えたのに」


 手のひらを抑え、床に倒れて這いつくばる男を見下ろして、金髪の女性は息を吐く。

 その熱とは対照的な、まるで氷のような冷たい瞳に見下されて、男はガタガタと全身を震わせた。


 ヤバい、この女は明らかにヤバい。


「ひ、ひぃ……」


 そそくさと退散していった背中を見送って、金髪の女性はやれやれとポニーテールの頭を振る。そうしてようやく、ここに来た目的を果たすために、口を開いた。


「騒がしくしてごめんなさい、受付のお姉さん」


 同性でも思わず見惚れてしまうような、微笑みを伴って。

 アリア・リナージュ・アイアラスはギルドの受付嬢に問いかけた。


「ところで、何か良い『依頼クエスト』ありますか?」

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