老獪の策略

 不意打ちで地面に叩き落されたとはいえ、老人の立て直しは早かった。重力も慣性も一切を無視して、枯れ枝のような体が不自然に浮き上がり、再び上昇。距離を取る。

 その動きを見ながら、少年は思考する。エルフの長の魔法は、物体の浮遊に関連する能力でほぼ確定したといっていい。だが、まだ疑問は残っている。自身を含めた物体を自由に浮遊させる……たしかに強力な魔法だが、それだけで『百錬清鋼スティクラーロ』によって体を硬化させた自分を殺せるとは思えない。


(浮遊の魔法以外に、何かもう一手。おれを殺した隠し玉がある)


 それを見極めなければ、あのクソジジイには勝てない。無策で挑んでも、あそこに転がっている死体が二つに増えるだけだ。

 考えをまとめつつも、動きは止めない。暗闇の中を、少年は疾駆する。

 そして、思考を回しているのは、そんな彼を見下ろす老人も同じことだった。


(……想像以上の跳躍力だった。先ほどは身体能力を見る前に殺してしまったが、認識を改めるべきだな)


 エルフ族は、そもそも魔力の扱いに秀でた種族である。村を守る屈強で若い戦士達は、当然魔力による身体強化も高いレベルで習熟している。しかし、眼下の少年は長老が知るどの戦士よりも高く高く跳んでみせた。人間として、異常な脚力と魔力操作と言う他ない。


(そもそも、異常でなければ勇者は名乗れない、か)


 もっと高度を取れば少年の攻撃範囲から逃れることができるかもしれない。が、このまま攻めてもこちら側に勝ち筋はない。

 魔法戦とは、つまるところ互いの腹の探り合い。思考の先読みである。自分の魔法で、何ができるか。相手の魔法で、何をされるか。それらを予測した上で、己の強みを押し付けた方が勝つ。

 両者の思考がまとまったのは、奇しくも同時だった。


(────次で終わらせる)

(────次で仕留めよう)


 先に動いたのは、エルフの長だった。

 位置取りで常に優位に立つ長老は、魔法戦のセオリーに従って、己の強みを押し付けることを選択する。


「もう一度だ。潰れてくれるなよ」


 体の中身を調べるための死体は、いくつあっても困らんからな、と。呟きは胸の内に収めて、攻撃を再開する。

 振り上げた手の動きに合わせて、飛来するのは岩石の雨。

 それは、体を鋼に変化させる少年の耐久力を見極めるために最初に放った攻撃だった。ただし、今度の数は先ほどよりもさらに多い。

 通常、岩を砲弾として操る砂岩さがん系の魔術は、形成した岩の弾丸を相手に向けて撃ち放つ過程で、最も魔力を消費する。しかし、長老は自身の魔法で適当な大きさの岩石を浮遊させ、敵の頭上に落とすだけで、同等の破壊効果を獲得していた。

 それは言うなれば、自分の腕の力を一切使わず、弓に矢を番えて放つような暴挙である。


「……っ!」


 再び轟音が鳴り響き、大地が揺れる。舞い上がる噴煙の中に消えた少年の姿を見据えながら、それでもなお長老は岩石の砲弾を投下し続ける。

 いくら体を鋼の硬さに変化させることができたとしても、激突の衝撃を殺すことはできない。直撃を受ければ、少年の内蔵にはそれ相応のダメージが入る。

 戦闘のために事前に用意し、空中に配置した岩石は、およそ50と少し。このペースで投下し続ければ、頭上に待機させている残弾はあと十数秒で使い切ってしまう。きっとあの少年は、その瞬間を虎視眈々と狙っているはずだ。だが、懐に向かって飛び込んでくるのであれば、こちらにとっても望むところ。

 やはり、というべきか。応戦のリアクションは、すぐにあった。粉塵の中から飛び出してきたのは、攻撃に用いていた岩石である。


「ははっ! 岩を投げ返してくるか!」


 落下して砕け、サイズそのものは小ぶりになっているとはいえ、投擲した物体に必中効果を与える『燕雁大飛イロフリーゲン』の魔法効果もあいまって、少年の反撃は極めて厄介だった。普通ではありえない軌道を描きながら、岩の塊が追ってくる。


「ちっ……!」


 身を守るためには盾を使わざるを得ない。結果、防御に用いた大盾が衝撃で吹き飛ばされ、守りが手薄になる。

 当然、少年がその隙を見逃すはずもなかった。

 二度目の跳躍。一度目よりもさらに速い。自分に向かって突進してくるそのスピードと勢いに、長老は少年の身体能力をまだ甘く見積もっていたことを実感した……


「しかし、読み通りだな」


 ……が、動きそのものは、どこまでも予想通りだった。

 老人の表情に驚愕はなく、少年の表情には困惑が満ちた。

 轟音と共に、頭上からそれが降り注ぐ。

 岩ではない。岩石の弾丸であれば、少年には砕く自信があった。武器ではない。剣や弓の類いであれば、少年には打ち払う自信があった。

 しかしそれは、砕くことも打ち払うこともできない、最低最悪の武器だった。


「あ……がっ……ゴボッ……!?」 


 冷たい、と感じた時にはもう間に合わなかった。

 まるで、池をまるごと宙に浮かべたような、大量の水。不定形の質量の塊が、流れ落ちる滝のように少年の体を飲み込んだ。

 視界が、真っ青に染まる。竜の尾のようにうねる濁流に押し流され、跳躍の勢いが殺される。為す術もなく、少年は水の中に飲み込まれた。


「我が魔法の名は『雲烟万理プレオヌーベ』。わし自身とわしが触れたものをさせる。重装騎士が携える大盾、巨大な岩石、そして……水のような不定形の塊も例外ではない」


 このままでは、水に押し流されて地面に叩きつけられる。そんな少年の懸念を払拭するように、長老は指先を折り畳み、拳を握りしめた。


「故に、このような芸当もできる」


 瞬間、流れ落ちる水の動きがぴたりと止まって、少年を中心に球形に変化して浮遊する。本来なら、重力に引かれて地面に落ちるはずの体が、魔法の浮遊効果で操作された水流によって、木の葉のようにくるくると回る。いくらもがいても、どんなにも水をかいても、決して逃れ出ることができない。

 それは、空の中に作られた、水の牢獄だった。


「空中で溺れて死ぬ。貴重な経験だろう?」


 この方法で、多くの人間を長老は葬ってきた。

 水が喉の中に侵入し、声帯に入れば、気管が凝縮反応を起こす。本来、肺には水の侵入を防ぐ機能が備わっているが、一度でも肺の中に入ってしまえば意味はない。酸素が欠乏し、やがて死に至る。

 絶命する瞬間まで、その苦しむ様を見届けるのも、老いたエルフの楽しみの一つだった。

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