浮遊する魔法

 威勢よく啖呵を切った少年の最初の行動は、結局のところ先ほどまでと同じだった。

 地面を這いずり回って、武器を拾い上げる。その行動を見下ろして、エルフの長は嘆息する。


(惜しいな)


 若者らしい蛮勇だと思う。

 エルフの長は、少年に対して嘘を吐いたわけではなかった。口に出して言った言葉通り、見逃してやってもよかったし、シャナを一人だけ連れて行くなら、好きにしていいと考えていた。

 人間はアリを指先一つで潰すことができるが、しかし逆に言えば、アリを潰すためにも指先一つは絶対に動かさなければならない。

 それが、面倒だった。少年の死体という、自分が欲しいものは、すでに得ている。にも関わらず、なぜわざわざ歯向かってくる羽虫の相手をして、指先を動かさなければならないのか。


(本当に、惜しいものだ)


 センスはある。研鑽も年齢を考えれば、十分過ぎるほどに積んでいる。そして、身に宿す魔法はこの世の理を根底から覆しかねないもので。ともすれば、あの少年はあの魔王を打ち倒し、世界に光をもたらす存在になれるのではないか、と。エルフの長は、たしかにそう思った。

 だから、見逃そうと考えたのだ。シャナの1人は貴重なサンプルだが、またいくらでも補充できる。くれてやることに、不満はなかったのだが……


「本当に、残念だよ」


 殺してしまおう。

 少年を見下ろして、長老は手をかざす。喉を枯らして叫ばなければ声が届かない高さまで、さらに高度を上げる。

 間合いのアドバンテージは、最初から最後まで、こちらにある。自分は飛べる。少年は飛べない。いくら足に魔力を流して強化したところで、人間の跳躍力には限界があるのだ。唯一、届く攻撃手段は、先程のような武器の投擲のみだが、それはで防御に用いる大盾で十分防げる。

 故に、エルフの長は余裕を持ったまま、少年を殺す方法を思案し、


「あ?」


 眼下の光景に、思考の停止を自覚した。

 膝を曲げ、地面を踏みしめて。

 少年の体勢は、その構えは、まるで「そこまで届くぞ」と、声なく告げているようで。

 事実、次の瞬間に弾丸の如く飛翔した体は、あまりにもあっさりと空中を駆け上がった。



「いつまで、上からもの言ってんだ」



 囁くような、声が聞こえた。

 振り下ろされる斧と体の間に、咄嗟に盾を挟み込む。それでも、少年はその上から斧を叩きつけた。

 結果、長老の体は垂直に落下し、大地に叩き落される。

 呼吸が止まる。

 視界が回る。


「あっ……が!?」


 胸を打ちつけた衝撃で、胸の中から空気が漏れ出した。


「やっと同じ目線になったな」


 先程までとは、真逆に。

 自分を見下ろす、声が聞こえた。


「あんたは最初から大嘘吐きだ。そんなくたびれた翅で、若いエルフみたいに飛べるわけがない」


 ────飛べるのか、その翅で

 ────飛べるのさ、こんな翅でもな


 交わした言葉は、どちらも欺瞞だった。

 ある意味、当然だ。最初から、どちらにもわかりあう気などなかったのだから。


。そういう類いの魔法だろ?」


 見抜かれている。たった数十秒の戦闘で、魔法の正体と性質を、看破されている。

 噛み締めた口の中の砂利が、。ひどく苦い。

 大盾を地面すれすれの高さまで下げ、追撃を警戒しながら、それでも老いたエルフは精神的な優位を保つためだけに、言葉を紡いだ。


「……よく、見破ったな」

「ああ。逆に、こっちの魔法は全部知られてるわけじゃないみたいだな。安心した」

「……ッ! ふざけたことを」


 理解する。

 世界を救う。そんな大言壮語を当たり前のように口にし、当然のように成し遂げようとする人間が、普通であるはずがない。

 一度、二度、殺せたとしても。三度目まで、黙って殺されるとは限らない。


「言われた通り、おれは強欲だよ」


 ここに至って、エルフの長は理解する。

 奪ったつもりでいた。見下ろし、上に立っているつもりでいた。


「あんたのそれは、とても良い魔法だ」


 違う。


「おれはこれから……世界を救いに行くんだ」


 アレは、最初から自分を獲物として見ている。


「クソジジイにはもったいない。おれに寄越せ」


 命と魔法を。

 奪うか。奪われるか。


「……若僧が」


 人間とエルフ。

 異なる種族の魔法使いの、殺し合いがはじまる。

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