化かし合う魔法

 エルフの長の戦術は、完璧だった。

 事実、もう一人の少年は、水の中に閉じ込めるというその方法で、殺害されていた。


「……ぷっはぁぁぁ!」


 故にこそ。

 その悪辣で傲慢な楽しみを、少年は真っ向から否定する。

 水牢を叩き割り、中から飛び出してきたその勢いに、長老は目を見張った。


「……なに?」

「……ふぅぅ……わかってても、息が詰まるもんだな」


 声を発して、会話を行う。

 それが行える時点で、少年が水牢の中から見事に脱出してみせたことは、十分に証明されていたが……それだけではない。

 長老が形作った水球の上に、彼は悠然と立っていた。


「どうやって、おれを殺したか。自分の死体を見るのはいやな気分だったけど、なんとなく苦しんで死んだのはわかったし……なによりも、髪や服が濡れていた」


 付着した水滴を振るって落としながら、まるで他人事のように言う。


「空中に浮かべた水の塊の中で、溺死。趣味の悪い殺し方だ。たしかに、なんでも浮かすことができるあんたの魔法なら、そんなありえないこともできるんだろうが……そういう攻撃がくる、とわかっているなら、対応はできる」


 エルフの長は、絶句する。誤算は二つ。

 一つは、彼が彼自身の死体に恐怖せず、ただ淡々と『どのように死んだのか』観察していたこと。

 そしてもう一つは、彼の魔法特性の応用を、見誤っていたこと。


「なぜ、沈まない。なぜ、そこに立てる!?」

「水を硬くしたから」


 コンコン、と。踵でつついた水面から、ありえない音が響いた。


 原則として、魔法とは、自分自身との理を、己の現実に書き換える力である。


 少年は今、自身の足で水の塊を踏み締めていた。足で触れたそれらの水を、鋼の硬さに定義していた。ならば、踏み締めて立つことに、なんの不都合もありはしない。


「良い足場だ」

「……っ!」


 長老の判断は素早かった。即座に水の塊に対して働かせていた浮遊の魔法効果を切り、落下させる。

 少年の判断も素早かった。水の塊が落下する前に『百錬清鋼スティクラーロ』によって押し固めた足場を最大限に活かし、力強く踏み締めて跳ぶ。

 それは、地面からの跳躍ではなかった。宙を舞う両者の間に、今までのような距離はない。最速かつ最短で、少年が振るう剣は、長老に届き得る。


「見事……! だがなぁ!」


 はず、だった。

 枯れ枝のような老いた体が、まるで突風に晒されたように、加速する。

 『雲烟万理プレオヌーベ』の魔法効果は根本的には『浮かぶ』だけで『飛行』を可能にするわけではない。魔法による急上昇、重力に引かれて落下する急降下は可能でも、自由自在に旋回し、移動できるわけではない。

 長老が行ったのは、魔法と魔術の併用。迅風じんぷう系の魔術によって、自身の体から圧縮空気を押し出し、運動エネルギーに変換する……横方向への急旋回と回避だった。


「惜しかったな」


 剣の切っ先が頬を掠める。だが、届かない。すれ違う少年の瞳が、大きく見開かれる。

 いくら足場があろうとも。

 いくら跳躍したところで。

 自由に空を飛ぶことができるわけではない。

 少年は空中で、自由に方向転換できない。長老は空中で、自由自在に方向転換できる。ほんの少し、横にずれて避けるだけで、攻撃は当たらない。


 空中戦という土俵で、勇者の少年は最初から致命的なまでに敗北していた。


 最後の足掻き、と言わんばかりに。横に逃れた標的に向けて、剣が投げられる。それすらも、エルフの長は余裕を持って回避する。

 そうして、足場を失い、武器を失い、空中で足掻く少年の体は、



「『燕雁大飛イロフリーゲン』」



 この世の一切の物理法則を無視して、直角に折れ曲がって加速した。


「あ?」


 避けきれずに、それは直撃した。

 押し固めた手刀が、老人の薄い胸に突き刺さる。

 鋼の指先が、内蔵を貫いて鮮血に染まる。


「なぜだ……その魔法は……投げたものを、必中させる……はず」


 喉元からこみ上げる血の塊と共に、エルフの長は疑問を吐き出した。

 吐き出しながら、己の致命的な思い違いに気がついた。


「そうだ。おれの『燕雁大飛イロフリーゲン』は、する」


 忘れてはならない。


 魔法とは、と触れたものの理を、己の現実に書き換える力である。


 跳躍する前の大げさな準備動作も、溜めの時間も、すべてがフェイク。異常な身体能力と魔力強化に見せかけていただけで、最初の跳躍から、少年は魔法を使用していた。

 ただ、それを駆け引きの手札にしていただけで。


「見誤ったな。クソジジイ」

「……くくっ。このわしを、嵌めたか」


 自嘲に塗れた笑みが漏れる。その全身から、力が失われる。

 自信があった。驕りがあった。慢心があった。

 だが、なによりも、それ以上に。


 互いの能力を欺き合う魔法戦という土俵で、老人は最初から致命的なまでに敗北していた。


「その名と魔法、貰い受ける」


 体の中を貫く指先が、心臓に触れる。


「複数の魔法の、使い分けと組み合わせ……あぁ……やはり、なんと、素晴らしい魔……」


 言葉は、最後まで続かず。

 心が破裂する音を、どこか遠くに聞いた。



「馬鹿な……!」

「長老が……負けた」


 つまるところ、最初からエルフの長はのことも想定していた。

 雑兵では、勇者に無駄に殺されるだけ。しかし、自分が戦い、手の内が割れ、消耗したあとなら、複数の魔術師で包囲して討ち取ることができる、と。


「狼狽えるな! 長老の指示通りに動くのだ。あの勇者も疲れ切っている。取り囲んで不意を突けば、必ず殺せるはずだ!」


 両者の戦いには参加せず、伏せていた30ほどの兵達と魔導師は、各々に杖や剣を構えた。


「弔い合戦だ!」

「必ずあの人間を殺し、あの魔法を我らのものとするのだ! さすれば、我らが悲願も……」

「うーん、でも、あの黒の魔法は彼だけのものだから……あなたたちには使えないと思うの」

「え……あ?」


 気づいた時には、周囲を鼓舞するために腕を振り上げていたエルフの首が、落ちていた。

 まるで、森の果実を無造作にもぎ取るかのように。ぽたぽたと血の雫を落として、取った頭を掲げて眺める少女がいた。


 少女が、いた。


「こんばんは」


 一体、いつからそこにいたのか。

 そもそも、結界が張られているこの村の中に、どうやって入ったのか。

 そんな疑問がどうでもよくなるほどに、その場に佇む少女は、ただただ美しかった。

 月光の光を受けて艶やかに透ける白銀の髪が、滴る血の色と相まって、目も眩むような濃いコントラストを作り出している。


「あの子はね、これから勇者になるんだって」


 エルフ達は、誰もが口を開くことすらできなかった。

 目を合わせてはならない。そう理解しているはずなのに、見てしまう。

 声を聞いてはならない。そう理解しているはずなのに、耳を傾けてしまう。


 そこに在るだけで、心惹かれてしまう。

 それは紛れもなく、生まれながらの魔性だった。


 その魔性が。蠱惑の塊といっても過言ではない存在が、一心に勇者の少年に見惚れている。


「だからね……ダメよ? 翅虫はむし如きが、抜け駆けはよくないわ」


 エルフの長にとって、なによりも誤算だったのは。

 魔の王が、すでに黒の魔法のとりこになっていることだった。

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