的中する魔法、硬化する魔法
エルフの血の匂いも、そんなに人間と変わらないらしい。うれしくない発見だ。
ふっと息を吐いて、鉄臭い空気を肺の中に入れる。
おれを待ち構えていた集団は片付けた。あとは、親玉が残るのみ。
わざとゆっくりと、振り返る。気配の主は、おれが気がつくのを待っていたようだった。
「……いつから、生かして帰す気がないと気がついていた?」
「なんとなく、価値観が違うなって思った」
笑顔と言葉で、それは巧妙に取り繕われていたが、違和感は拭いきれなかった。
「夕食の席の時。あんた、シャナのことを思い遣るような言い回しをしてたけど、一度もシャナのことをエルフって言わなかったんだ」
人間、とだけ言っていた。村の誰もが、一度たりともシャナのことをエルフとは呼ばなかった。自分たちと同じ種族だと言わなかった。それが、もうそのまま答えだ。
付け加えれば、やはり最初からこの老獪はおれの体を……魔法を目当てにしていて、逃がす気など毛頭なかったのだろう。
「シャナは連れて行く。あんたを殺しても」
「良い威勢だ。しかし、これを見てもそう言えるかね?」
無造作に、長老は右腕を振って、地面に何かを放り捨てた。
それは、死体だった。見覚えのある剣は折れていて、見覚えのある服装はボロボロになっている。なにより、見覚えのある顔が、恐怖で歪んだまま固まっていた。
「わしが殺した」
────おれの、死体だった。
「……そっか」
この老人はどうやらおれを殺せるらしい。状況は、明らかに悪化した。
でも同時に、少しだけ良かったとも思った。
自分と同じ存在を、殺される。シャナの気持ちがわかるようになったから。
「自分の敵討ちをさせてもらえるなんて、貴重な体験だ」
開戦の合図はいらなかった。
魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。
扱う属性、得手とする攻撃距離。それらを知られるだけで、戦闘の有利は簡単に覆る。
故に、魔術を扱う人間の戦闘の鉄則は、一つ。先手必勝だ。
「やはり若者は威勢がいいな」
「うっせえ」
跳躍、接近。一太刀で首を落とすつもりで、剣を振るう。
だが、おれが横に薙いだ刃は、クソジジイの首を捉えることができなかった。手応えのないその感触に舌打ちする。
「飛べるのか、その翅で」
「飛べるのさ、こんな翅でもな」
回避された、というのは正確ではない。厳密に言えば、刃が届く範囲から逃れられた、と言った方が正しい。
顔を上げ、天を仰ぐ。
まるで枯れ枝のような老体が、風に攫われて浮いていた。地面から両の足を離して、エルフの長は宙に浮かんだまま、静止している。
エルフが飛べることそのものに、驚きはない。さっきの戦士も、おれの頭上を取って奇襲してきた。ただ、あの明らかに衰えきった翅で飛べるのは、完全に予想外だ。
しかし、剣が届かないからといって、やりようがないわけではない。
「コール」
その名を呼ぶ。
「────ゲド・アロンゾ」
思い出して、行使する。
体の内側から、魔法を引き出す、独特な感覚。
「『
エルフの戦士たちが使っていた武器を拾いあげ、クソジジイに狙いを定める。瞬間、おれが触れた武器に、魔の力が宿る。
ナイフと剣を、投擲。物理法則を無視して回転するそれらは、まるで吸い込まれるかのように、目標に向かって飛翔する。
「ああ……投げたものが必ず当たる魔法だったな」
だが、阻まれる。
浮遊する老人の、さらに頭上から舞い降りたのは、重装騎士が携えるような大盾だった。ジジイの体と同様に宙を舞う鉄の塊が、投擲したナイフと剣をあっさりとはじきとばす。
身を守る盾を周囲に回転させながら、老獪は笑う。
「それは、さっき見た。もう1人のきみを殺す時にな」
「ちっ」
やはり、というべきか。
繰り返しになるが、魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。
そして、魔法戦における情報の重要性は、魔術戦のそれよりもさらに上。すでに息絶えているおれは、きっと持てる力を以てあのジジイに抵抗し、手持ちの魔法を駆使して、全力を尽くした上で殺されたのだろう。
つまり、おれが所持している魔法は、すべて把握されているかもしれないということだ。手の内が知られている。これほどやりづらいこともない。
「では、反撃させてもらおう」
軽い声と同時に、それらは降ってきた。
「……ちっ!」
人が抱えられない質量の、岩。
おそらく砂岩系の魔術に分類されるであろう塊が、十数発。着弾と共に、地面を揺らす。
避けられなかった。直撃だった。
「コール────シエラ・ガーグレイヴ」
とはいえ、おれは落石が全身に直撃した程度では死なない。
「『
おれに直撃した岩が、逆に粉々に砕け散った。
衝撃は気合で耐える。砕けた石の粒を、払い除ける。
もちろん、痛みがなかったわけではない。粉塵を掻き分けて、喉もとにこみ上げてきた血の塊を、地面に吐き出した。クソジジイは、おれを見下ろしたまま目を細める。
「体を鋼に変える魔法だな。ナイフはもちろん、剣も斧も通さない。実に優れた防御魔法だ。不意打ちで死ぬこともない」
だが、と。
長老はいやらしいほど間を置いて、言葉を紡いだ。
「なによりも素晴らしいのは、他者の魔法を奪い、自由自在に操る……きみ自身の魔法だ」
まるで足元の虫を相手にしていたかのような口調に、はじめて明確な熱が宿る。
「素晴らしい……素晴らしい素晴らしい! 本当に、実に素晴らしい! 複数の魔法を自在に操る魔法使いなど、聞いたことがない! 直接目にして、戦って、殺してみたあとでも信じられない! ああ……っ! きみは本当に、噂と違わぬ勇者殿だ」
噂と違わぬ勇者殿だ。
最初に出迎えられた時と同じ言葉を言われて、痛みからくるものとは違う吐き気を催しそうになった。
「正直に言えば、きみを一目見たときからその脳髄を開いてみたくて堪らなかった。臓物の色を、一つ一つ確かめてみたかった。きみの体に宿る神秘を知ることができれば、魔法という魔術とは異なる力の真実が、きっと解き明かされる。この世すべての魔法を手にすることも、夢ではないだろう」
「ジジイの与太話に興味はない。体をいじりたいなら、そこの死体を使ってくれ。調べ放題だろ」
「…………ふむ、それもそうだな」
深く考えたわけでもない、脊髄反射で返した悪態。
けれど、それを聞いた老人は少し考え込む様子を見せて、髭を撫でながら言った。
「ならば、やめよう」
「は?」
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