勇者と長老の願い
村を出る前に、まだ確かめたいことが残っている。じっくり聞き込みをしている時間はないので、事情を知ってそうな人物に、単刀直入に尋ねることにした。
「もしかしてシャナちゃんは、魔法を使えるんですか?」
時刻は夜。場所は、おれを歓迎する食事の席である。
長老さんは、約束をきっちり守る人間……もとい、エルフであるらしい。昨日の言葉通り食事に招かれたので、ちょうどよく2人きりになれたタイミングを見計らって、こちらから切り出した。
深く皺が刻まれた瞼が、大きく持ち上がる。食事の手を止めた長老さんは「ほほぅ」と呻いた。
「よくお気づきになったものだ」
「気づくも何も、見てしまったので」
何を増やした、とか。
どこで見せてもらった、とか。
そういう余計なことは、自分からは言わない。とりあえず『シャナちゃんは魔法が使える』という情報を元手に、かまをかけてみた。
どうやら、うまく釣れたらしい。
「驚いたでしょう?」
「はい。びっくりしました」
「しかし勇者殿も、魔法をお持ちだと伺っています。同じ奇跡をその身に宿しているのなら、そこまで驚くこともないのではありませんか?」
耳聡いな、と思った。
「おれの魔法は、そんなに大したものじゃありませんよ」
「機会があれば見てみたいものです」
「……そうですね。まぁ、機会があれば」
歯切れの悪さを察してくれたのか。ふむ、と長老さんはあごひげに手をやって、話を戻した。
「それで、何を増やすところを見たのですかな?」
「……果物です」
これは真っ赤な嘘だ。
しかし、長老さんはおれの適当な答えを気にする様子もなく、うんうんと頷いた。
「シャナの魔法は、触れたものを増やすことができるのです。もちろん、なんでもかんでも自由自在に増やせる、というわけではないのですが……我々も、あの子の魔法には大いに助けられています」
「……間違っていたら申し訳ないのですが、シャナちゃんは『自分』も増やすことができるのではありませんか?」
「ほほぅ。未来の勇者殿は、良い目をお持ちだ」
「おれは最初に、2人でいるシャナちゃんと会っています。あそこまでそっくりなら、すぐにわかりますよ」
正直、否定されるかと思っていたのだが、あっさりと肯定された。
「左様。シャナは人間も増やすことができます」
魔法は、現実の理を捻じ曲げる超常の力。
その力を理解し実際に体験していても、こうも当たり前のように認められると、なんだか拍子抜けしてしまう。
「……では、シャナちゃんは、何人いるんですか?」
さらに踏み込んだ問いを投げる。すると、間髪入れずに答えが返ってきた。
「4人です」
おれが実際にこの目で見たのは、2人だ。
それが本当なのか、嘘なのか。残念ながら、おれには確かめる術がない。
だから、質問を重ねるしかない。
「おれが会ったシャナちゃんは、2人だけです。他のシャナちゃんは普段、何をしているんですか?」
「勇者殿が顔を合わせているシャナ達は、よく村の仕事を手伝ってくれています。他の2人は、社交的な性格ではないので、部屋に籠もって魔術の研究に精を出しておりますが」
おれがまだ会っていない2人は、社交的な性格ではない。おかしな話だと思った。
「元は同じ存在なのに、性格が違う?」
「もちろん、増えた直後は同じです。あの子の魔法は完璧だ。身も心も、すべて同じ自分自身を増やすことができます。しかし、人間という生き物は経験や境遇によってその在り方を変える。在り方が変われば、好みや性格に変化が出てくるのは当然のこと。あなたが会ったシャナも、髪の長さが違ったでしょう?」
たしかに。あの2人は、髪の長さで外見の区別がつく程度に、違いがあった。
「あの子たちは、魔法で増えてからもう3年ほどになります。同じものを食べ、同じように生活していても、細かな違いが出てくるのはむしろ自然なことだと思いませんか? 事実、あなたに懐いているシャナは、他のシャナに比べて、花が好きなようだ」
「……質問ばかりで恐縮なのですが」
「どうぞ、勇者殿」
「無礼を承知でお聞きします。シャナちゃんは、この村にあまり馴染めていないように見えます。長老さんは、そのことについて、どのようにお考えですか?」
本命の問いかけを。
おれが最も聞きたかったことを、叩きつける。
灰色の瞳に、今までとは別の色が浮かんだ。
「そう見えますか?」
「そう思えます」
客人であるおれに気を遣ってか、村のエルフが露骨な対応を見せることは少なかったけれど、シャナちゃんがろくな扱いを受けていないことは明白だった。
「……あの子には、人間の血が混じっている」
「はい」
「加えて、魔法の力も持っている。我々は、魔術に精通した種族です。その術理を知り尽くしているからこそ、得体の知れない魔法の力に恐怖する者も多い」
自分たちとは違うものは、こわい。
自分たちに理解できないものは、もっとこわい。
種族こそ違えど、人間もエルフもそれは変わらないようだった。
「シャナは、自分の魔法を理解はしていますが、まだ正しくコントロールすることはできていません。先ほども言った通り、我々もあの子の魔法には助けられています。ですが、唐突に2人に、3人に増えるあの子のことを、完全に理解できているわけではない」
「だから、自分たちのために都合良く利用しながらも、疎んじるんですか?」
それまでゆったりと飲んでいた杯の中身を、長老さんは一気に呷った。
「……勇者殿。恥を忍んで頼みたい」
おれよりも遥かに長い時間を生きてきたエルフの長は、躊躇いなく頭を下げた。
「あの子を……シャナを、村の外に連れ出しては頂けませんか?」
何を言われるか。何を問われるか。
ある程度、会話と交渉のカードを用意してから席についたつもりだったのに、それは思ってもない提案だった。
「我々がシャナを同じ名で呼ぶのは、あの子をどう扱っていいかわからないからです。村を預かる長として、情けないことを言っているのはわかっています。ですが、あの子はきっとこの村では幸せになれない」
「……だからおれに預ける、と? おれはまだガキですよ。しかも、目指しているのは魔王の討伐です。シャナちゃんの幸せを簡単に保証はできません」
「だからこそ、です。あなたは若く、これから多くのものに触れ、多くのことを学ぶでしょう。それはきっと、シャナにとって新しい自分を形作る、かけがえのない経験になるはずだ」
そもそも、と。長老さんは言葉を繋げて、
「自分とまったく同じ存在が側にいて、幸せになれると思いますか? 己という存在のアイデンティティが、保てると思いますか?」
「それは……」
「答えは急かしません。村を出るまでに、決めて頂ければ結構です」
「……わかりました」
食事が終わるまで、おれはもう長老と目を合わせることができなかった。
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