増殖の魔法

 長老さんと女医さんにお礼を言って別れたあと、おれはシャナちゃんに連れられて村の中をぐるりと見て回った。はじめて訪れる場所を見て回るのは、冒険の楽しみの一つだ。


「お兄ちゃん、見せたいものがあるの」


 シャナちゃんに手を引かれて、村の中から細い道を抜けていく。あ、これ1人だったら絶対迷うな、と確信できるような道をいくつも通り過ぎていくと、周囲を大木に囲まれた、とても小さな広場のような場所に出た。薄暗いが、鬱蒼と茂った葉の隙間から、夕焼けの明かりが漏れて光の池を作っている。


「私の隠れ家なの。お兄ちゃんに見せたくて」

「いいね。きれいだ」

「ほんと?」

「もちろん。こういう隠れ家、楽しいよな」

「うん。教えたの、お兄ちゃんがはじめて」

「それは光栄だ」


 地面に生えている花を潰さないように腰掛けると、シャナちゃんがその花を指さした。


「このお花、すごくきれいだけど、摘むとすぐ枯れちゃうの」

「へえ」


 目を凝らしてよく見てみると、たしかにきれいな色をしている。白に光沢がある……銀色に近い色合いの花弁だ。とてもめずらしい。

 魔術的な薬効が期待できる植物は、その土地にしか自生しないもので、土から離れるとすぐに枯れてしまうのだと聞いたことがある。もしかしたらこの花も、そういう植物なのかもしれない。


「ふーむ……シャナちゃん、このお花、持って帰りたい?」

「……持って帰れるの?」

「よしよし。じゃあ、ちょっと待ってな。このお兄ちゃんに任せなさい」


 少し失礼して、地面に倒れている木から、適当な大きさの枝を拝借する。それらを紐で組み合わせて、シャナちゃんがギリギリ持てるくらいの骨組みを作った。余っている布を骨組みの周りにピンと張って、簡易的な植木鉢の完成だ。

 銀色の花を、周囲の土と一緒に手のひらで丁寧に掘り起こして、植木鉢の中に入れる。これなら、多分持ち帰ることができるだろう。


「お兄ちゃん……すごい!」


 今まで一番キラキラした表情で、シャナちゃんはおれの手元を見ていた。これはうれしい。ちっちゃい子からの素直な尊敬の眼差しは、とても気持ち良いものだ。


「水をあげればしばらく大丈夫だと思うけど、できればどこかに土と一緒に植えさせてもらうといいよ。ちゃんと育つかもしれない」

「うん。わかった! お兄ちゃん、ありがとう!」


 あー、かわいいなあ、もう! 思わず、表情が緩んでしまう。なんかひさびさに、妹がいるお兄ちゃんの気分を堪能させてもらった。


「じゃあ、暗くなる前に帰ろっか」

「うん!」



 はじめて、真っ直ぐ目を見てもらえた。

 はじめて、やさしく名前を呼んでもらえた。

 はじめて、手を繋いでもらえた。


 にとって、その日のすべてが、はじめての経験だった。

 枕元に置いた花の植木鉢は、月明かりを受けてきらきらと光っている。シャナはその煌めきを、ずっと眺めていられる気がした。

 ひさしぶりに横になるベッドのやわらかさはなによりも魅力的だったけれど、起き上がってしまったのは、それ以上に彼に心を惹かれていたからだろう。

 シャナは、隣の部屋の扉をそっと開いた。


「お、どうした? トイレ?」

「……トイレは、1人で行けるよ」

「はは、ごめんごめん」


 彼はまだ起きていて、ランタンの灯りを頼りに剣を研いでいた。


「お兄ちゃん」

「うん?」

「寝れないから、お兄ちゃんの側にいてもいい?」

「おー、いいよ」


 客人に用意されたベッドは、とても大きい。

 ぼふん、と。余裕のある彼のベッドに割り込むように横になる。


「お兄ちゃん」

「んー?」

「外のお話、してほしい」

「外の話か〜。そうだよな。村から出れないなら、気になるよな」

「うん。すごく気になる」

「おれが通ってた学校の話とかでもいい?」

「学校?」

「そうそう。騎士学校っていって、立派な騎士になるための訓練を積む学校なんだけど、そこには強いやつが7人くらいいてさ。上から順位がつけられていて、それで……」


 はじめて、話をしてもらえた。

 命令ではない。自分との会話を、この人はしてくれる。

 いつの間にか眠くなって、彼の手を握ってうとうとしながら、シャナは思った。

 明日には、きっとこの人はいなくなってしまう。


 いやだな。

 この人に、ずっと側にいてほしいな。



 結局、シャナちゃんと添い寝してしまった。


「……あー、うん……」


 寝顔もかわいいなぁ、などと。最初は寝起きの頭でのんきなことを考えていたが、なんとなく後から罪悪感が湧いてきた。

 ……これ、知られたらアリアに怒られるかなぁ? いや、べつに何かいかがわしいことをしたわけじゃないし、大丈夫だよな? 大丈夫ということにしておこう、うん。

 考えても仕方がない反省を頭から振り払って、上体を起こした。


「は?」


 シャナちゃんは、右手でおれの手を。そして、左手でもう1人の手を握っていた。


 そして、ベッドにもう1人、知らないやつがいた。

 いや、厳密に言えば、知っている人間が寝ていた。


 おれとまったく同じ顔。同じ髪型。同じ服。

 まるで、親子が子どもを挟んで川の字で寝るように。おれの目の前には、シャナちゃんの腕を握ったまま呑気にいびきをかいて寝ている、おれがいた。


 何度でも繰り返し言おう。1


「シャナちゃん! シャナちゃん! 起きて!」


 小さな肩を全力で揺すって起こす。

 寝ぼけ眼で、シャナちゃんは上半身を起こして、それから自分が握っているおれの手を見た。


「……ごめんなさい。私、お兄ちゃんのこと、増やしちゃったみたい」

「増やしちゃった!?」


 おれ、増えちゃったらしい。

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