世界を救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった
体を強く揺さぶられる感覚に、目を覚ます。
「勇者さん!」
「勇者くん!」
「勇者!」
「勇者さま!」
勇者、勇者、勇者、勇者……と。ああ、もう。本当に、うるさくて仕方がない。
こんなに名前を呼ばれたら、おちおち寝ていられない。
「……いや、死んでないから。大丈夫だって」
起き上がって、大きく伸びをする。
せっかく悪魔に勝ったのに、一番思い出したくないことを、思い出してしまったようだ。
「勇者さん!」
起き上がったところで、赤髪ちゃんに抱き着かれる。よしよし、と頭に手を添えていると、4人分のじっとりとした視線が突き刺さってきたので、おれは誤魔化すように大きく咳払いをした。
「あー、とりあえず、状況報告を」
「あの悪魔を勇者さんが倒してくれたおかげで、敵の不死性が消えたので、とりあえず片っ端から殲滅しました」
「討ち漏らしはあったかもしれないけど、少なくともこの周囲にもう敵はいないよ」
「たくさん、殴れて、すっきりした」
「わたくしは今、全裸です!」
なるほどなるほど、よくわかった。なんか1人だけ、自分の状況報告をしてるアホがいるけど、放っておこう。
「みんな、ありがとう。本当に助かった。みんなのおかげで、赤髪ちゃんを助けられた」
「本当ですよ。もっと感謝して崇め奉ってください」
「ひさびさに良い運動になったね〜」
「修行の成果を、発揮できる機会をくれたのは、有り難い」
「ふふ……これも全て、わたくしが彼女を蘇生したおかげですわね! あ、ちょっと待ってください。今のはジョークですわ。うそです。もちろん反省して……」
死霊術師さんがドヤ顔で言い放った瞬間に、残りの3人が取り囲んでリンチをはじめたので、おれはそっと目をそらした。明らかに骨や肉がヤバい音が聞こえている
気がするけど、何も聞こえない。うん、聞こえない。
切り替えて、赤髪ちゃんに声をかける。
「赤髪ちゃん、大丈夫だった?」
「大丈夫って、何がですか?」
「あの悪魔の、最後の魔法」
「ああ……」
おれを見詰める瞳の赤が、うっすらと滲んだ気がした。
「もちろん、全然平気です! わたしは、わたしですから!」
「そっか」
なら、よかった。
「よーし、じゃあ帰るか!」
「え、本気で言ってるんですか、勇者さん?」
「へ?」
死霊術師さんをぶん殴っていた杖を振るう手を止めて、賢者ちゃんが聞き返す。
「帰るといっても、ここがどこかもわからないのに、どうやって帰るつもりなんです?」
「ん……? いや、それはなんかこう、賢者ちゃんの魔法とか、位置探知で」
「方位くらいはわかりますが、ここがどこかまではわかりませんよ。各地の主要な都市に散らばっている『私』との通信も繋がりませんし。どうやらこのあたり、かなり辺境の土地みたいですね」
たしかに、見渡す限り荒野で何もないけど、いやそれにしても!
「でも、ドラゴンを飛ばしていたのは死霊術師さんじゃなかった?」
「あら、そうは言われましても、目的地はあの悪魔が設定していたので、どこに向かって飛んでいたかなんて、皆目見当がつきませんわ」
つ、使えねぇ……この死霊術師、使えねぇ。
「でも、死霊術師さんの魔法でドラゴンを蘇生させて乗って行けば……!」
「申し訳ありません。それも無理です」
「なんで!?」
「わたくしの
「うん。知ってる知ってる」
「先ほど勇者さまに施したような、意識を奪わない普通の蘇生には何の制限もないのですが、意識を奪ってわたくしの手駒にする蘇生には、当然いくつかの制限がありまして」
「……つまり?」
「4回以上死んだら、もう蘇生できないのです」
「師匠!? あのドラゴン4回も殺したんですか!?」
「うむ。4回くらい殺した気がする」
おかしいだろ!?
なんでこの短時間であのサイズのドラゴンを4回も殴り殺せるんだよ!?
「すまない。興がのって、つい……」
ちょんちょん、と。指先を合わせて、師匠はしょぼんとした。そんなかわいらしい顔をされても困る。
「じゃあ、あのドラゴンはもう蘇生できないし、乗っていくこともできない、と」
「はい」
なんてこった……帰りの足が消えた。
「まあ、ちょうどよかったじゃん、勇者くん。その子と、約束したんでしょう? いろんな世界を見せてあげるって」
いつもポジティブな騎士ちゃんが、にっこりと笑って赤髪ちゃんの方を見る。
「いや、たしかに言ったけど……おれはなんかこう、もっとちゃんと準備とかして、旅に行くつもりだったんだけど……」
「準備もクソもないですよ。まず人がいるところまで辿り着かないと、私たちはこのまま野垂れ死にます」
「いやぁ、昔を思い出すねぇ。あたし、ちょっとワクワクしてきたよ!」
「これもまた、修行ということ」
「会社が気になるので、なるべく早く帰りたいところですが……勇者さまと一緒にいられるなら、わたくしは全てを投げ捨てる覚悟ですわ!」
ああ、なんてこった。
世界を救い終わって、おれは悠々自適にセカンドライフを満喫するはずだったのに……
「────これ、もしかしてまた冒険の旅に出なきゃいけない感じですか?」
質問の答えは、すぐに返ってきた。
「そういうことです」
「楽しみだね〜」
「うむ」
「お供いたしますわ」
まったく、うちのパーティーメンバーは、本当に最強で最高だ。
「では、出発です。武闘家さん、とりあえずこの女を背負って、動きを止めておいてください。自由にしておくと、何をしでかすかわかりませんから」
「わかった。トレーニングのために重りが欲しかったから、ちょうどいい」
「そんな……わたくしを、またモノのように扱って! 人権はないんですか!?」
「そうそう。さすがに服は着せてあげようよ。全裸だとあたし達の人格を疑われるし」
「じゃあこのズタ袋でも被せておきましょう」
「ああっ……扱いがひどい! ひどいですわ!」
さっさと歩き始めたみんなを見て、やれやれ、と。ため息を吐く。
赤髪ちゃんだけが、座り込んだままのおれに手を差し伸べてくれた。
「行きましょう! 勇者さん!」
その手を取ろうとして、その表情をまじまじと見詰める。
あの時と変わらない朱色の瞳は、あの時とは違う輝きに満ちていて。だから、少しからかってみたくなった。
「赤髪の、きれいなお姉さん」
「え、あ、はい!?」
「あなたに、伝えなければいけないことがあります」
「えぇ……? えーっと、なんでしょう?」
突然敬語になって、小芝居を打ち始めたおれに、赤髪ちゃんは戸惑いながらものってくれた。それに甘えて、言葉を続ける。
「それが……おれ、あなたの名前を聞くことができないんです」
────それが……わたし、なにも覚えていないんです
あの時と、正反対だ。
赤髪ちゃんの目の前で座り込んで、おれは困りきった表情のまま、俯いてみせる。
しかし、屈託のない笑顔で、おれの戯言はくすりと笑われてしまった。
「そうですか。それは困りましたね」
まず、おれに立ち上がってもらうために、彼女は手を差し伸べた。
「じゃあとりあえず、わたしのことは『赤髪ちゃん』とでも、呼んでください」
あの時から、何かが変わったわけではない。
自分の名前しか覚えていない、まっさらな少女が一人。
魔王が遺した呪いにかかった、情けない勇者が一人。
「うん。わかった。あらためてよろしく、赤髪ちゃん」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。勇者さん」
でも、何も問題はない。
この鮮やかな赤髪の少女が、食いしん坊で、意外と毒舌で、おしゃれが好きな、かわいい女の子であることを、おれは知っている。
だから、一緒に歩いていけばいい。これからこの子のことを、もっともっと知っていけばいい。
差し出された手のひらを強く掴んで、おれは立ち上がった。
「あ、勇者さん! あっちの方、みてください! 晴れてますよ」
「おお、たしかに」
おれたちの門出を祝福するように、青く染まった空の境界線に、色鮮やかな橋が架かる。
「虹を見たことは?」
興味が湧いたので、聞いてみた。
「はい! もちろん、はじめてです!」
元気の良い答えに、おれも釣られて笑ってしまう。
「いいね。じゃあとりあえず、あっちの方に行ってみようか」
「え、そんな適当に行き先を決めちゃっていいんですか?」
「いいんだよ」
歩幅を合わせて、手を繋いで、歩き出す。
「虹を見上げて、その根本を目指して進む。冒険なんて、そんなもんだ」
それでいい、と。
気づかせてくれたのは、きっとこの子だった。
かつて、世界は魔に包まれていた。
紅蓮の騎士と純白の賢者。黄金の武闘家と紫天の死霊術師。力を持つ多くの仲間の助けを得て、黒輝の勇者が魔王を打倒した。
魔王と呼ばれた、少女がいた。少女は、勇者に恋をした。
少女の愛は、そんなに多くない。
少女の愛は、そんなに熱くない。
少女の愛は、それが永遠だと、断言するにはまだ自信がない。
少女の愛は、それが誰よりも美しいと、自惚れるには足りなかった。
そう。少女の中にあるこの気持ちは、きっとまだ愛と呼べるものですらなくて。
でも、だからこそ、少女は自分の中に芽生えたこの気持ちを、大切にしたいと思った。
彼に名前を呼んでもらったことは、残念ながら一度もない。これから、彼が呼んでくれる保証もない。しかし、それでも構わないと、少女は思った。
愛とは、なんだろう?
この気持ちを積み上げていけば、それは多くの愛になるのだろうか?
この気持ちを静かに温めていけば、それは熱い愛に変わるのだろうか?
この気持ちを磨き続ければ、それは永遠の愛として認められるのだろうか?
この気持ちをどこまでも深く求めれば、それは美しい愛として讃えられるのだろうか?
疑問は尽きない。答えはわからない。
だから、これから探しに行こう。
空に虹。地には風。雨が降って、固まった地面を踏み締めて、彼女は彼と歩み出す。
少女は、世界を救った勇者の隣を歩いていく。その横顔を、こっそり盗み見ながら歩いていく。
彼に想い焦がれるものが多いのは知っている。
多くもなければ、熱くもない。永遠だと言い切ることはできないし、美しいと胸を張って自慢もできない。
────わたしの愛は、最も幼い。
けれど少女は、空にかかる虹色を見て思うのだ。
想う心は、何色にだってなれる。鮮やかな色彩を描いて、人と人を繋ぐ架け橋になれる。
だから、ここからだ。
────わたしの恋は、ここからはじまる。
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