勇者は、死霊術師さんを口説いた

 驚愕という言葉すら、生温い。


「くそ」

「くそっ!」


 回避はした。しかし、悪魔は無傷ではなかった。

 ジェミニは打ち返されたドラゴンの火球が直撃した瞬間に、自身の固有魔法……『哀矜懲双へメロザルド』で位置の入れ替えには成功したものの、半身である少女の体は痛々しい火傷を負っていた。もちろん、ジェミニの外見は人間の皮を被ったもので、その中身は完全に別のモノである。皮膚の表面を焼く程度の火傷では、致命傷には成り得ない。

 しかし、ジェミニの全身は燃えるように熱かった。


「「この、くそったれが……!」」


 二つの体の内側から、怒りと屈辱が炎のように沸き上がる。

 見くびっていているわけではなかった。

 最初から全力で潰そうとしていた。これで仕留めるつもりでいたのだ。それでも、勇者という存在は、勇者パーティーという存在は、あまりにもあっさりと悪魔の想像を超えてきた。


「魔王さまは……」

「魔王さまは、どこだ?」


 ジェミニは、目を見開いて正面を見た。落下した船の残骸によって、凄まじい砂埃が巻き上がっている。ジェミニが最も視界の中に収めたい、赤髪の少女の姿は砂埃に隠れて見えなかった。


「ちっ」


 だが、よろよろと立ち上がる、半裸の女性の姿は見えた。少年は、ニヤリと笑みを浮かべる。次の瞬間には、少年の姿はかき消え、女性のすぐ近くに転がっていた船の残骸と入れ替わった。


「おい、リリアミラ」


 一瞬で自分の目の前に転移してきた悪魔に驚いた様子もなく、リリアミラ・ギルデンスターンは、乱れた黒髪の隙間から、見上げるようにジェミニを見た。


「仲間にいいように使われて、ひどい有り様だな。はやく、ぼくと一緒にこっちに来い」


 勇者のパーティーは、たしかに最強だ。魔王を倒し、世界を救い、その力を疑うものは、この世界に誰一人として存在しない。

 最強とは、最も強い、ということ。だから倒せない。だから勝てない。

 ならば、と。悪魔は、逆に考えた。敵が最強であるのなら、その一部を取り込み、こちらも最強になってしまえばいい、と。


「お前がいれば勝てる。ぼくたちが死んでも、お前がいれば何回でもやり直せる。だから、はやくこっちに来い! ぼくを手伝え!」

「……ですが」


 歯切れの悪い返事に、ジェミニの中で何かがキレる音がした。


「いい加減にしろよ、このクソ女が! お前はもうパーティーを裏切ったんだよ! 元に戻れるわけがないだろ!」


 並べ立てた言葉に、死霊術師が押し黙る。


「安心しろ。勇者は殺さない。そういう契約だからな。お前にとっても、悪い取引じゃないはずだ」


 悪魔は、彼女の望みの、その核心を突く。


「自分の名前を。勇者に呼んでほしいんだろう? リリアミラ・ギルデンスターン」


 長い黒髪が、辛うじて女の大切な部分を隠している。リリアミラの体が、大きく揺れた。


「さあ! わかったら一緒に」

「おれの仲間に、手を出すな」


 差し出した腕は、噴煙の中から飛び出してきた腕に、止められた。


「お前……!?」

「死霊術師さん」


 声を荒らげて睨む悪魔の一切を無視して、勇者はリリアミラに向かって語りかける。

 もちろん、ジェミニは勇者の腕を振り払おうとした。しかし掴まれた腕は、まるで万力に挟まれたかのように、ぴくりとも動かない。

 それは、ありえない膂力。ありえないパワーだった。


(身体能力だけで、ここまで差があるのか……? そんな、そんなバカなことが……!)

「おれは、死霊術師さんが裏切ったとは思ってないよ」


 悪魔の手を凄まじい力で掴んだまま、勇者は静かに言葉を紡ぐ。


「おれは、きみと交わした約束を果たせなかった。だから、きみが不安になって、おれの力を取り戻すために、この悪魔と契約したのは、仕方のないことだ。きみの優しさにかまけていた、おれの怠慢だ」


 それは、平坦な口調だった。事実を事実として、受け止めた上で発言している、フラットな口調だった。


「海で言ったけど、不安ならもう一度言うよ。何度でも、伝わるまで言う」


 それは、本来なら決して仲間に向けるべきではない言葉だった。

 人間の口から出たとはおもえない、悪魔のような一言に、ジェミニは耳を疑う。


「おれは必ずきみを殺す。殺してみせる」


 けれどそれは、なによりも熱に満ちた宣誓だった。


「だから、こんな悪魔に頼る必要はない。戻ってきてよ、死霊術師さん」


 それは、間違いなく。一人の女性に向けられた、たしかな愛の告白だった。


「……勇者さま」


 強張っていたリリアミラの表情が、ゆったりと。氷の塊が太陽の光で溶け出していくように、やわらかなものに変化していく。


「ふ、ふざけるな! 騙されるなリリアミラ! こんな、力を奪われた勇者なんかに、できるわけがないだろう? お前を殺すためには、魔王様のお力が……」


 必要だ、と。続く言葉は、しかし最後まで続かなかった。


「少し、黙って。そのまま、動かないで。今、勇者が、死霊術師と話をしている」


 武闘家が、ムム・ルセッタが、ジェミニの背後に忍びより、背中にそっと触れていた。


(こいつら……揃いも揃って!)


 動けない。武闘家の固有魔法の特性は、静止。触れた対象の、動きを止める。接近に気がつけなかったのは不覚だったが、そういう魔法である以上、その特性によって口の動きを含めた全身を止められているのは、理解できた。

 理解できたからこそ、勇者を名乗るその男に、魔法も使わず、何食わぬ顔で腕を止められたことが、なによりも悪魔の神経を逆撫でした。


「死霊術師さん」

「はい」


 艶やかな視線が、勇者に釘付けになる。


「そんなことは、ありえないと思うけど……もしも、もしもこのまま、この悪魔と手を組んで、赤髪ちゃんのことを魔王にしようとするなら」


 それは、心の内側に染み込むような、


「おれ、死霊術師さんのこと、きらいになっちゃうよ?」


 最悪の死霊術師に、ある意味相応しい、最悪の発言だった。


 脅しだった。


 ────は? 


 なんだそれは、と。

 口を挟むことすら、全ての動きを止められた悪魔には許されていなかった。


「ふぇ?」


 お前、その声どこから出した?と。

 疑問を口にすることすら、今のジェミニにはできなかった。


「わたくしのことを?」

「うん」

「きらいに?」

「うん」

「それはつまり」

「うん」

「わたくしのことを、殺してくださらない、ということですか?」

「そうそう」


 妖艶な美女の、絵画のような横顔が崩れて歪む。



「い、いやですぅー!?」



 両手を広げ、両足を広げ、涙目になって……じたばた、と。どうして見えてはいけない部分が見えていないのか、不思議になるような体勢で、リリアミラは地面に寝転がったまま、全身でいやだいやだと駄々を捏ねた。


「いやですいやですいやです! わたくし、勇者さまに嫌われたくありません!」

「うん、だよね」


 当然のように、勇者はそれを肯定する。


「じゃあ、戻っておいで」

「はい!」


 素肌を晒しているのも気にせず、リリアミラは勇者に抱きついた。

 ちっ、という深い舌打ちが背中から聞こえて、その冷たさにジェミニの背筋は凍るようだった。

 対照的に、最高に幸せを滲ませた表情で、リリアミラは銅像のように固まったジェミニを見る。


「申し訳ありません。悪魔さま」


 やめろ。


「あなたの提示してくださった条件は、とても魅力的だったのですが……」


 やめろ。


「勇者さまに嫌われてしまったら、わたくしの人生は、なんの意味もないので……」


 やめろ。


「あなたさまとの契約は、ここまでにさせていただきます。今まで、お世話になりました」


 やめてくれ!と。叫ぶことすら、全てを止められたジェミニは許されていなかった。

 パーティーの一角を崩す、という悪魔の勝利の目算が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。


「じゃあ、そういうわけなんで」


 まるで迷子だった仔猫を見つけたような気軽さで、勇者は言う。

 飛びついてきた死霊術師を抱きかかえたまま、剣を振り上げる。


「お前は、消えろ」


(転移を……)


 もうなりふり構ってはいられない。自分自身を魔法によって転移させようと、ジェミニは視線の先に意識を集中したが、


哀矜懲双へメロザルドが、発動しない!?)


「動かないで、って。さっき、言った」


 ムム・ルセッタの『金心剣胆クオン・ダバフ』は、触れた全てを『静止』させる。

 それが魔法であったとしても、同じ魔法であるのなら、例外はない。


 悪魔の肩に、大剣が食い込み、肉が裂ける音がした。

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