赤髪の少女は、勇者を

 あー、すっきりした。マジですっきりした。

 クソ悪魔を殴り飛ばした手を開いて、軽く振る。外に出れたらとりあえずあのニヤケ面に一発ぶち込んでやろうと考えていたので、本当に清々した気持ちだ。吹っ飛ばした悪魔は、きれいに壁をぶち抜いて、外へすっ飛んでいった。これで殺せたとは思わないが、簡単には戻ってこれないだろう。

 とはいえ、敵を殴り倒したところで、泣いてる女の子が笑顔になるわけではない。暴力は問題を解決するための手段の一つではあっても、根本的な解決策には成り得ない。おれはそこそこ長い旅の中で、それを痛いほど学んでいた。なので、まずは座り込んでいる赤髪ちゃんに手を伸ばす。


「大丈夫?」


 声をかけると、彼女は驚いた様子で顔をあげた。

 ひどい顔だ。目元は真っ赤になっていて、腫れ上がっている。流れた涙の跡が筋になっていて、頬を汚している。べっぴんさんが台無しだ。


「……あの時と、同じですね」


 その返答には、少し間があった。


「あの時も勇者さんは、わたしに……わたしのことを、そう言って助けてくれましたね」


 しゃくりあげながら話す赤髪ちゃんの言葉選びはガタガタで。言われてみればそうだったかもしれない、と。はじめて会った時のことを思い返す。

 はじめて会った時も、随分ひどい顔をしていた。一緒に過ごす時間を重ねて、一緒に交わす言葉を重ねて、ようやく少し、笑ってくれるようになった。そう思っていた。


「勇者さんは、やっぱり勇者さんなんですね。こんなわたしを、何度も何度も助けてくれて……」


 違う。おれは勇者失格だ。助けたいと思った女の子に、こんな悲しい顔をさせている時点で、おれは勇者の風上にも置けない、情けない男だ。

 呼んでもらえる名前があったら、勇者という称号を今すぐにでも返上したい。穴があったら、入りたいくらいだ。


「でも、もういいです」


 女の子は、そんな情けないおれに向かって、それでも優しく微笑んでくれた。

 自分が一番つらいはずなのに、泣きながら笑ってくれた。


「わたし、魔王だったらしいんです」


 笑顔を添えないと、彼女自身が壊れてしまいそうな、残酷な告白だった。


「もう気づいているかもしれないですけど……わたしを生き返らせてくれたのは、死霊術師さんです。最初から、全部仕組まれていました。勇者さんと出会うことも、一緒にいることも、全部全部、あの悪魔に仕組まれていたんです」

「うん」


 予感はあった。違和感もあった。


 ────は、はじめまして。わたしは


 賢者ちゃんと会った時。


 ────でも、本物のお姫さまに会うなんて、多分はじめてですよ


 騎士ちゃんと会った時。


 ────えええええええ!? パーティーメンバー、四人じゃなかったんですか!? 


 師匠と会った時。


 赤髪ちゃんは、はじめて出会うおれの仲間に、いろいろな反応を見せてくれたが、死霊術師さんと会った時だけは、一言たりとも言葉を交わしていなかった。予感はあった。違和感もあった。だから、本来なら問い詰めるべきだったのだ。

 でも、おれはそんなことがあるわけないって、自分に言い聞かせて誤魔化していた。魔王の死体はもう残っていない。だから、死霊術師さんが関わっているわけがない、と。彼女の願いを果たせていなかったから、彼女を殺すことができなかったから、なんとなく負い目があったのかもしれない。でも、それは自分の不甲斐なさを言い訳にして、現実から目を背けて、死霊術師さんを信じているふりをしていただけだ。

 おれの甘さが、この子を、こんな風に泣かせてしまった。


、と言われたんです。あの悪魔に」


 絞り出された言葉が、なによりも痛かった。


「わたしが、魔王だった頃の一部は、勇者さんの中にあるから……だから、勇者さんと一緒にいて、好きになって、互いに心の結びつきが強くなれば、わたしはわたしに戻れるって。あの悪魔は言いました」


 視線が、おれから離れる。


「おかしいですよね。わたしは、魔王だったわたしなんて知らないのに。戻れるって言われても、昔の自分なんてわからないのに」


 俯いた顔の陰から、ぽたぽたと。また大粒の雫が落ちる。


「おかしいですよね。わたしには大切な思い出なんて一つもなくて、自分のものだって胸を張って言えるものは名前しかなくて。その名前が、絶対に伝わらない、聞こえない人を、好きになれ……なんて」


 それを口にする度に、つらいのは自分のはずなのに、彼女はそれを言葉にすることをやめない。


「命令された相手を好きになるなんて、絶対にありえないと思っていました」


 下を向いて、彼女は思いを吐いて、吐いて、吐いて。堪え切れないように吐き出して、


「でも、好きになっちゃいました」


 それだけは、おれの顔をはっきり見て、言ってくれた。


「……」


 気の利いた言葉が出てこなかった。目の前で泣いているのに、声が出てこなかった。

 項垂れていたのがまるで嘘だったかのように、彼女は背筋を伸ばして立ち上がる。おれに背を向けて、歩き出す。


「……わたしの魂は、強引にこの器に入れられたもの。次に死ねば、元通りにはならないと、あの悪魔も言っていました」


 彼女の言っていることが、よくわからなかった。

 死んだら、もう元には戻れない。特殊な蘇生だからこそ、死霊術師さんの魔法を使っても、死んだら取り返しがつかない、と。


 だから、なんだ? 


「わたしは、みなさんを騙して、取り返しのつかないことをしてしまいました。これで、罪が償えるとは思っていません。でもせめて、責任くらいは負わせてください」


 大穴が空き、風が吹き抜ける壁だった場所の前で、彼女は足を止めた。

 くるり、と。振り返ったその表情に、おれの全ては釘付けにされる。



「ありがとう。大好きでした」



 笑顔だった。

 きれいな長髪が、風を孕んで大きく揺れる。羽のように広がった、その焼けるような赤と共に。

 止める間もなく、背中から落ちていく。彼女の体は、空の中へと消えて行った。



「勇者さんがどんな人か、ですか?」

「はい。お会いする前に、知っておきたくて」


 少女の質問に、死霊術師は首を傾げた。

 慇懃な態度の裏に、どこか少女を馬鹿にしているような態度が滲んでいた悪魔とは違い、死霊術師の態度には裏表がなく、話しやすかった。そもそも、目覚めてから最初に会った人間が彼女だったので、小鳥の雛の刷り込みのように、親近感が湧いていたのかもしれない。

 何一つ記憶はないくせに、思考を回していると知識が自然と湧いてくる。少女は、そんな自分の頭の中が気持ち悪かった。


「すてきな方です」


 口数が多いはずの死霊術師は、しかし質問への回答を、たった一言でまとめた。


「あの、それだけ……ですか?」

「あら、それ以上何か必要ですか?」


 死霊術師は、素知らぬ顔で少女の体に手を当てて、健康状態を細かくチェックする。しばらく考えてから、朱色が引かれた唇が、また開いた。


「男は、女性という花を落とすために、言葉を尽くして口説くものです。ですが、女は男性のために、言葉を尽くす必要はありません。言葉にしてしまったら、無粋なものもありますから」

「じゃあ、相手に好意を伝えるためには、何を言えばいいんですか?」

「簡単ですわ」


 死霊術師は、すぐに答えを示してくれた。


「大好き、と。ただそれだけを伝えればいいのです」


 とてもシンプルで、わかりやすい答えだった。


「……でも、わたしがその人のことを好きになるとは限りません」

「まあ、それはそうですわね。あの悪魔も乙女心がわかっていないと言いますか、二人いるわりには頭が回らないと言いますか……」

「リリアミラさん、意外とあの人達のこと、悪く言いますよね……」

「あら、当然ですわ。わたくしがこの世で心からお慕い申し上げているのは、世界でたった二人。勇者さまと魔王様だけですから」

「はぁ……なるほど」


 明日には、この場所を出発して、勇者に会いに行く。何の事情も知らない追手が手配されて、勇者に助けてもらう。そういう出会いができるような計画になっている。


「……わたくしは、あなたに酷いことをしています」


 尊敬と友愛と。それ以外にも様々なものが入り混じった表情で、リリアミラは少女の頬に手を添えた。


「恨んでくれて構いません。憎んでくれて結構です。わたくしは自分自身の想いを成就させるために、あなたを蘇らせたのですから」


 不思議と、不快ではなかった。何故か、彼女の言葉には少しだけ嘘が混じっているのを感じた。

 なんとなく、この指の感触を、少女は知っている気がした。


「……よく、わかりません。あなたのことも、勇者のことも」

「そうでしょうね」


 率直な気持ちを述べると、やはり死霊術師は薄く微笑んだ。


「それでもきっと、あなたは勇者さまを好きになると思いますわ」

「……魔王も、勇者が好きだったんですか?」

「さて、それはどうでしょう?」


 横になった少女の体に、死霊術師は優しく毛布をかけた。


「その答えはわたくしではなく、あなた様の心の中にあるはずですわ」

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