少女と魔王

 人間とは異なる生態を持ちながら、人語を解し、魔術を操り、人に契約を持ちかける魔の存在は、悪魔と総称される。

 彼らの大まかな分類は、四種類。

 自身の名前を持たず、魔力量も力も貧弱な下級。

 己のアイデンティティとも言える魔術を確立した中級。

 一体で街を一つ滅ぼすと恐れられる上級。

 普通なら、人が遭遇する悪魔の頂点は上級で打ち止めである。だが、上級悪魔の中でも、極一部の個体だけが、自分にしか扱えない固有魔法を獲得し、翼と爪を備えた怪物から、人間の姿へと進化する。


「ふふ」

「はは」


 その悪魔は、乾いた笑いを漏らしながら、手元のキューブを見た。

 ジェミニが手を組んだ女に特別に用意させたその箱は、封印魔術が刻印された一種の監獄。小さな箱の中に作られた異空間に、対象を封じ込める。


「やったね」

「うん。やったね」


 自身の固有魔法によって、勇者をキューブの中に『転送』することに成功したジェミニは、勇者を完封したといっても過言ではなかった。

 魔王を倒した、あの勇者を、だ。


「「やったぁあぁあああああああああ!」」


 絶叫。

 全身で、手を取り合って、ジェミニは喜びを発露する。

 悪魔は、根本的に人間とは違う生き物である。しかし、今にも踊りだしてしまいそうなジェミニのその喜び様は、皮肉なことに人間らしさに満ちあふれていた。もっとも、それを指摘できる人間はこの場に一人としていないのだが。

 多くの悪魔にとって、世界を救った勇者とは、それほどの相手だったのだ。


「……ふう」

「うれしいね」

「うん。とってもうれしいね」


 勇者を封じ込めたキューブを大切に抱えて、ジェミニは歩き出す。


「じゃあ、ぼくたちの」

「わたしたちの主を、迎えに行こうか」


 悪魔の悲願まで、あと少し。



 つまるところ、リリアミラ・ギルデンスターンは、最初から他のパーティーメンバーに疑われていた。


「……はぁ」


 両手を挙げて、リリアミラはあっさりと降参の意を示した。


「参りましたわ。まさかわたくしが、ここまで信用されていないなんて。せっかく上級悪魔を三匹も潰して、それらしく振る舞ってみせたのに、全て無駄だったとは……悲しくなってしまいます」

「むしろどうして、何を根拠に、どんな理由で信用されていると思ってたんですか? このアバズレが」

「口が悪いよ、シャナ。もっとも、それについては完全に同意するけどね」

「二人とも、気持ちはわかるけど、リリアミラを締め上げて懲らしめるのはあとでいい。今は、目的を聞き出すことが先決」


 今にも怒りが沸騰しそうなシャナとアリアを、後ろで腕を組んでいるムムが、言葉で押し留める。

 リリアミラは手を挙げたまま、唯一自由な首で頷いた。


「武闘家さまはやっぱり違いますわねぇ。いつも理性的で素晴らしいです」

「伊達に、年は喰っていない」

「その落ち着き、他のお二方に見習ってほしいですわ」

「……リリアミラ」


 あくまでも一定のトーンで、ムムは会話を続ける姿勢を崩さない。


「わたしは、あなたが何の理由もなしに悪魔と手を組むとは思えない。あなたの目的は、なに?」

「わたくしの目的は、今も昔も変わりませんわ。勇者さまに名前を呼んで、殺してもらう。それだけです」

「イカレ女が」


 シャナが毒づく。


「なんとでも仰ってくださいな。愛のカタチは人それぞれですから」

「……質問を、変える」


 ムムは、組んでいた腕を解いて一歩前に出た。


「あの子は、誰? どうして、記憶がないの?」

「……本当にあなたは、一言で核心を突いてきますわね」


 それまで侮蔑と嘲りしか含まれていなかった声音に、ほんの少しだけ尊敬が混じる。


「お察しの通り、あの子は記憶喪失ではありません」

「記憶喪失じゃない……?」


 困惑の声をあげたのは、アリアだった。


「あらあら、騎士さまは鈍いですわね。記憶がない、と武闘家さまも仰っているでしょう?」

「でも、あの子は……」

「前提条件が、そもそも逆なのです。なぜなら──」





「──失ったわけじゃなくて、最初からわたしには、何もなかったから」


 その答えは、リリアミラが言ったものではなかった。死霊術師に向けられていた全員の視線が、声の主を求めて振り返る。


 少女が、いた。


 触れたものを火傷させてしまいそうな、赤い髪。瞳に写したものを燃やし尽くすかのような、赤い瞳。腰まで届く長髪を靡かせて、いつの間にか、その少女は部屋の入口に立っていた。

 まるで、全てを諦めたような表情で、そこにいた。


「……ごめんなさい」


 それしか、自分にできることはない。そんな様子で、赤髪の少女はただ、頭を下げる。

 シャナが、アリアが、ムムが。全員が呆然と少女の謝罪を受け入れる中で、唯一リリアミラだけが、彼女の言葉を拒絶した。


「おやめください。頭を下げる必要なんてありませんわ。あなた様は、汚れを知らぬ魂に、世界の美しさを刻んでいただけなのですから」


 背筋が、凍るようだった。

 リリアミラ・ギルデンスターンの、その恍惚とした視線と尊敬の声が向けられる対象を、シャナは知っている。アリアは理解している。ムムは覚えている。

 世界で、たった二人だけ。勇者と、もう一人。


「……説明、してください」

「は? まだわからないのですか?」

「答えろ! リリアミラ!」

「はぁ……やれやれ」


 一と一を足せば二になることを、幼子に教えるように。

 世界最悪の死霊術師は、その真実こたえを教えた。


「この少女の魂は、魔王様のものです。わたくしが、悪魔と協力して蘇生させました」

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