死霊術師さんは、殺されたい

 リリアミラが部屋に戻ると、やはりというべきか。賢者と騎士が不機嫌な顔で待っていた。


「遅かったですね」

「ええ。噂の少女にも会っておきたかったので」


 シャナの皮肉はさらりと流して、ガラス張りの扉を開く。当然のように、悪魔達の血の臭いが部屋の中に広がった。とはいえ、その程度のことで動じる女は、この場には一人もいない。


「うふふ。それにしても、勇者さまとお会いすると、体に活力が漲ってきますわね。やる気がぐんぐん湧いてきましたわ」

「はぁ……仲が良さそうで、なによりですよ」

「それはもう、わたくしと勇者さまの間には、切っても切れない絆がありますから」

「絆ねぇ」


 アリアの何か言いたげな視線はするりと流して、リリアミラは仕事の準備に入った。


「先ほども申し上げましたが、あまり意味はないと思いますよ?」

「承知の上です。それでも、何もしないよりはマシでしょう」

「そういうこと」

「まあ、お二人がそこまで仰るのであれば、わたくしもパーティーの一員として、力を貸すのはやぶさかではありませんが」


 蘇生の魔術は、複数存在する。

 例えば、ゾンビ、リビングデッドと呼ばれる動く死骸。これは、脳に魔術的な刻印を埋め込むことで、電気信号の代わりとし、術者が単純な行動を命令することができる最もポピュラーなネクロマンシーである。


「……では、はじめます」


 だが、リリアミラ・ギルデンスターンの魔法は、それらの魔術的な蘇生とは、根本から異なるものだ。


「ひとーつ」


 彼女の指が、肉片に触れる。


「ふたーつ」


 ゆっくりと。けれど確実に。物言わぬ肉塊となっていたそれに、命が戻り始める。


「みーっつ」


 バラバラになっていた体の部位が繋がり、滴り落ちるだけだった血液が全身を巡り回り、停止していた脳が活動を再開し、鼓動を止めていた心の臓が軽やかなリズムを刻みはじめる。


「よーっつ」


 最後に、肺が大きく膨らんで。

 文字通り、ソレは息を吹き返した。

 ゆっくり数えて四つ。それが、彼女の魔法が発動する合図だった。


「……あ?」


 困惑極まる、といった様子で、蘇った悪魔は周囲を見回した。

 つい先ほどまで死体だったものに触れていた指先を唇に添えて、リリアミラは微笑む。


「はい。おはようございます。悪魔さま」


 その様子を部屋の隅で眺めていたシャナとアリアは、顔を見合わせて溜め息を吐いた。


「いつ見ても本当にえげつない魔法ですね」

「生命の倫理に反してるよね」

「あらあら。ひどい言われ様ですわ。わたくしはお二人の指示に従って、貴重な情報源を生き返らせただけですのに」


 そこでようやく、自分の置かれている状況を正しく認識できたのか、悪魔はリリアミラを睨み据え、


「……一度は滅びたこの身、貴方様の神秘で蘇らせて頂き、誠に光栄です。リリアミラ・ギルデンスターン様」

「あら?」


 深々と、頭を垂れた。

 予想外の反応である。リリアミラは悪魔の全身を興味深げに眺めた。


「先ほどは言葉も交わさず殺してしまいましたが、わたくしのことをご存知でしたのね」

「もちろん存じ上げております。我らが王の、最も尊き四人の使徒。その第二位に、人の身でありながら座していた、稀代の魔法使いよ」

「あらあらあら! 聞きましたかお二人とも! わたくし、稀代の魔法使いですって!」

「悪魔に褒められてそんなに嬉しそうな反応するの、あなただけだと思いますよ」

「右に同意」


 体をくねらせて喜ぶ死霊術師を、シャナとアリアはやはり冷めた目で見ていた。


「しかし、だからこそわからない。一度は闇の頂にまで上り詰めておきながら、あなたは何故、あの方を裏切ったのか?」

「はい?」


 こてん、と。首を傾げたリリアミラの耳元で、イヤリングが揺れる。

 静と動。悪魔とリリアミラの感情の熱は、どこまでもすれ違っていた。


「あなた様さえ、あなた様さえ裏切ることがなければ……混迷の時代は終わることなく、人の世は魔が支配する楽園となっていたはず! あの方も、負けることなどなかった!」


 悪魔は人を騙す。悪魔は嘘を吐く。

 しかし、それは嘘偽りのない、悪魔の本心。彼だけではない、彼ら全体の本心の吐露だった。


「なるほど。あなたの葛藤はよくわかります」


 リリアミラは、同意した。

 跪き、悪魔の肩に静かに手を置いて、目線を合わせる。


「ですが……裏切った、というのは、少し違いますね」


 お互いの認識の相違を、改めるために。朱色の唇が、滑らかに言葉を紡いだ。


「わたくしは、惚れただけですわ」


 シャナとアリアが、黙って頭を抱えた。


「惚れ、た?」

「ええ」


 悪魔の困惑を他所に、リリアミラは胸の前で手を合わせて、思い返す。


「人生で、三人目でした」


 リリアミラ・ギルデンスターンは、その生涯の中で、三人の人物を愛している。

 一人目は、自分の魔法によって壊れてしまった哀れな男。

 二人目は、自分の魔法によって世界を壊そうとした、魔の王。


「わたくしは、一人の男に惚れたのです。価値感が根本から変わるのは、当然のことでしょう?」


 そして三人目が、自分の魔法によって世界を救おうとした勇者だった。


「惚れてしまった弱み、ですわねえ。だって、致し方ないと思いませんか? 大好きな男に影響されてしまうのは、女の本能のようなものです」


 リリアミラ・ギルデンスターンは、あの裏切りを恥だと思ったことは一度もない。何故なら、リリアミラの中で、その信念と行動の指針がブレたことは、一度たりともないからだ。


「昨日まで滅ぼそうとしていた世界も、救いたくなりますわ」

「き、貴様……」


 悪魔の翼が、尾が、肩が。まるで人間のようにぶるぶると震える。


「恥ずかしくないのか!? 人の身でありながら、あの方に拾ってもらった恩も忘れ、いけしゃあしゃあと生きる己を、恥じたことはないのか!?」

「ええ。これっぽちも」


 悪魔は叫んだ。


「貴様ァァァァァ!」


 絶叫と同時、リリアミラの首が貫かれ、切断されて、地面に落ちた。続け様に振るわれた爪がローブを引き裂き、汚れ一つないその白を血の赤に変えていく。


「恥知らずがっ! 恥知らずがっ! どこまでも浅ましい人間の、恥知らずめがっ!」


 肉を裂き、骨を割る音がひとしきり響いて、ようやく悪魔は爪を振るうのをやめた。怒りを鎮め、我に返ったように、この場に残る二人の人間に問う。


「……いいのか? 仲間が殺されるところを、黙って見ていて」

「べつに」


 腕を組み、その場から動く様子も見せないまま、アリアは言った。その反応を、悪魔は鼻で笑う。


「人間は、絆を重視する生き物だと思っていたが……貴様らにとってもこの女は、所詮その程度の存在でしかなかった、ということか」

「ええ、まあ。私、その人あんまり好きじゃないですし」


 フードの間から溢れる銀髪を指先でいじながら、シャナも気のない返答をする。


「ふん。世界を救ったパーティーの実態が、こんな有様だったとはな。ならば、次は貴様らをコイツと同じ場所に送ってやろう」

「いいんですか?」

「なに?」


 欠伸を噛み殺して、賢者は言葉を続けた。

 それは、悪魔に向けた、純粋な警告だった。



「もう、四秒経ちましたよ」



 ゆっくり数えて四つ。それが、彼女の魔法が発動するまでの時間だ。

 悪魔が振り向く前に、耳に吐息がかかった。


「おはようございます」


 艶やかな黒髪が、肩に落ちる。悪魔が切り裂いた衣服はそのままであった証拠に、豊かな胸が翼に当たる気配がした。

 それは、紛れもなく生の女の感触だった。


「あ?」


 自分が蘇生された時と、まったく同じ種類の声が、牙の間から漏れる。


「まさか、貴様……自分自身に、ネクロマンスを?」

「前提条件が、少し違います」


 死霊術師は、否定する。



「わたくしの魔法は、



 彼女に触れられたものは蘇る。

 彼女自身も、蘇る。

 彼女の前では、命の価値そのものが書き換わる。


 それは、生命を操り、魂の尊厳を意のままに弄ぶ、傲慢なる紫天。


 『紫魂落魄エド・モラド』。リリアミラ・ギルデンスターン。

 この世界を救った最悪の死霊術師にして、魔法使いである。


「そんな……そんな馬鹿なことがあるか! 貴様のように志のない者が、そんな力をっ!」

「ああ……やはり魔王様は、あなたのような徳の低い悪魔とは、器が違いましたわね。あの方は、わたくしを送り出す時も、いつもと変わらぬまま、言ってくださいましたよ?」


 お幸せに、と。少女は言った。

 その裏に秘められた真意は、おそらくこの悪魔には一生理解できないだろう。


「わたくしの魔法のことをわかっていないくらいですから、何も知らないとは思いますが……しかし、知っていることを絞り出すために、尋問の真似事はさせていただきますね? わたくしの心強い仲間も、ちょうど二人いることですし」

「……や、やめてくれ。殺さないでくれ。もう、死にたくない……死にたくない!」

「あら、何を言っているのでしょう? あなたは死んだのですよ?」


 死霊術師の左右に、賢者と騎士が、無言のまま並び立つ。


「一度死んだモノが、生き返ったらダメでしょう?」

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