死霊術師さんの昔話
愛とは、どこまで醜いものなのだろう?
とある少女の昔話を一つしよう。
リリアミラ・ギルデンスターンは、代々魔導師を輩出することで知られる良家の一人娘として、この世に生を受けた。親の愛情をたっぷりと受けて育ち、兄達は年の離れた妹をかわいがり、リリアミラは何一つの不自由なく、健やかに成長した。
家同士の繋がりを強固にするため。あるいは、より恵まれた才能を持つ魔導師が生まれることに期待して。リリアミラには、幼少の頃から結婚することを定められた許嫁がいた。家柄にも才能にも恵まれた彼は、しかし決してそれをひけらかすことなく、優しく穏やかで、誰よりも静かにリリアミラのことを愛した。リリアミラも、そんな彼のことが大好きだった。
「わたくしは、あなたのことを愛しています」
「ぼくもだよ。かわいいリリア」
ある日、彼が馬車に轢かれた。
瀕死の重傷だった。足は千切れ、血があふれ、どんな治癒魔術をかけても間に合わないと、それを見た誰もが確信するほどの、致命的な外傷だった。
あるいはもし、ここで彼が死んでいれば、リリアミラは普通の少女として一生を終えていたのかもしれない。だが、少女は心から愛する許嫁の死体を見て、泣き叫びもせず、錯乱するわけでもなく、ただひたすらに彼の治療を行うことを選択した。
「死なせません。絶対に」
そして、死ぬはずだった彼は生き返った。
奇跡だ。これが愛の力だ、と。誰もがリリアミラの治癒魔術を称賛した。祝福と称賛の中で、リリアミラと彼の愛は、ますます強固なものとなった。
ギルデンスターン家の誇る、最高の医療魔術士が誕生した。その噂は街中を駆け巡り、この事件以降、リリアミラは治癒魔術のみを専門とする、医療魔術士としての道を歩み出す。
しかし、リリアミラの治癒魔術の適正は、何故か恵まれたものではなかった。まったく適正がないわけではないが、精々が中の下といったところ。首を傾げた指導役の魔導師は、実験用のラットを使った指導の中で、少女の中に眠る特異な才能にようやく気がついた。
一度は完全に死んだはずのラットが、息を吹き返したのだ。
「お嬢様の才能は、魔術ではありません。あれは『魔法』でございます」
どんな天才魔導師が力を尽くそうと、研鑽を積み上げようと、その心身に刻まれなければ、絶対に手が届かない存在、魔法。
ギルデンスターン家はじまって以来の『魔法使い』の誕生に、両親は狂喜した。兄達もその才能に嫉妬するわけではなく、心からリリアミラを称えた。なによりも、その特別な力に助けられた彼が、リリアミラの秘められた魔法に惚れ込んだ。
「きみの魔法は、ぼくの誇りだ。リリア」
「それはわたくしも同じです。わたくしは、はじめて使った魔法で愛する人を救えたことを、生涯の誇りとして生きていきますわ」
リリアミラの成人を待って、結婚式の日取りが決まった。魔法の性質の研究と鍛錬も進み、日々が充実していた。それは間違いなく、リリアミラの生涯の中で、最も幸せな時間だった。
その矢先に、彼が倒れた。今度は外傷ではない。当時、治療の方法が一切見つかっていなかった、不治の病。その難病に、少しずつ彼の体は冒されていたのだ。誰もが彼の回復を諦める中、しかし少女だけは、目の前で病と戦う愛する命を救うことを、諦めていなかった。
「死なせません。絶対に」
一度は息を引き取ったはずの彼は、リリアミラが触れると、蘇った。
奇跡だ。これが愛の力だ、と。誰もがリリアミラの魔法を賛美した。あの時と同じ、惜しみない祝福と称賛の中で、リリアミラと彼の愛は、ますます強固なものとなる……
「……ごほっ」
「え?」
そのはず、だった。
結論から言えば、リリアミラの魔法は、彼を蘇らせることはできても、救うことができるものではなかった。たしかに彼は蘇ったが、蘇った彼の体は蘇る前と変わらず病に冒されており、リリアミラの力で根治できるものではなかったのだ。
「死なせません。絶対に」
それでもなお、リリアミラ・ギルデンスターンという少女は、諦めを知らなかった。
彼が死ぬ度に、触れて治す。何度でも何度でも、たとえ何度死んだとしても、蘇らせる。並行して、病の原因を必死に探った。魔術だけではない。少しでも効果が期待できそうな薬草は大金を積んで取り寄せ、自ら調合して彼に飲ませた。常にベッドの横に座り、果物を切って食べさせ、楽しそうな本を持ってきては読み聞かせた。
「大丈夫ですわ」
リリアミラは、必死に言い聞かせた。
「必ず、あなたは良くなります。だってわたくしは、あなたのことを愛していますもの。わたくしがいる限り、あなたは絶対に死にません。死なせません!」
「リリア……」
固く抱擁を交わしている間は、安心できた。口吻を交わしている間だけは、安堵できた。
たとえ、その間に弱りきった彼が死んでしまったとしても、リリアミラが触れていれば、彼は蘇ることができたからだ。
リリアミラは、意志が強い少女だった。彼の肉親が病室に近づかなくなり、彼の存在が触れてはならないタブーになりつつあることがわかっていても、リリアミラは絶対に諦めなかった。
故に、先に限界がきたのは彼女ではなく、彼の方だった。
「もういい」
「え?」
「もういいよ。リリア」
「どうしたの、あなた。今日はね、東方で評判の薬草を煎じてみて……」
「触れるなっ!」
病人のものとは思えない、怒号が響いた。リリアミラは驚いて、りんごを切っていた果物ナイフを取り落した。
16年という人生の中で、怒鳴られたのは、はじめてだった。彼に拒絶されたのも、はじめてだった。
「ごほっ、げほっ……」
「……だめです。無理をしては」
「……すまない。怒鳴ってしまって」
さっきの声がまるで嘘だったかのように、彼は体を丸め込んで咳き込んだ。その背中を、そっと触れて撫でる。骨と皮しかない、病人の体。それ以上に何か大切なものが抜け落ちているような、蘇った死人の体だった。
「リリア。一つ、お願いがあるんだ」
「なんでしょう? なんでも仰ってください。あなたの願うことなら、わたくしは必ず叶えてみせます!」
「ありがとう」
およそ数ヶ月ぶりに、彼は心から安堵したやさしい笑みを浮かべて、
「ぼくを殺してくれ」
およそ数ヶ月ぶりに、彼女は彼の前で笑顔を保てなくなった。
「なにを、言っていますの……?」
「もう無理なんだ。こわいんだ。誰よりも、ぼく自身がわかっているんだ。この体は、もう治らない。蘇っても、生きることができない」
両手で顔を覆って、彼の言葉は止まらない。
「ぼくはもう、死にたくない。何度も何度も、何度も……死にたくないんだ」
愕然として、リリアミラは両手を見詰めた。
がんばれば、報われると思っていた。諦めなければ、実ると思っていた。自分の『魔法』は、神に愛された奇跡の力だと思っていた。
だが結局のところ、この力は、愛する人の命すら救えない。
「殺してくれ、リリアミラ」
「で、できません」
「ぼくの最後の願いだ。頼む」
「できません! 絶対に、いや!」
彼の体が、ベッドの上からずり落ちる。
まるで幼子のように、リリアミラはただ首を横に振って、床に膝をついた。
「……仕方ないな」
果物ナイフがそこに落ちていることに、気がついたのは鮮血が吹き出したあとだった。
「あ、あ、ああああああ……!」
彼にきっと似合う、と。せめて、病床でなるべく過ごしやすいに、と。選んだ白の服が、鮮血に染まっていく。
病人とは思えないほどに力強く、彼は自分の首筋にナイフをあてがっていた。
「待って、待ってください。今……」
「やめ、ろ。来るな」
彼は、即死できなかった。
口の端からこぼれ落ちる血に溺れそうになりながら、それでもなお、彼はリリアミラを睨みつけ、言葉を紡いだ。
「もう二度と、ぼくに触るな」
なぜだろう?
どうしてだろう?
こんなにも愛しているのに。こんなにも愛しているからこそ。
自分は彼に、指一本。触れることすらできないのだ。
「お前、なんか……」
聞いてはいけない、と思った。
それを聞いてしまったら、何かが壊れてしまうという直感があった。
しかし、リリアミラは目を見開いて、流れていく彼の血を見た。耳を手で塞がずに、彼の声を聞いた。
それが、愛する人の最期の言葉だったから。
「お前なんか、愛さなければよかった」
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