黄金の武闘家は、勇者を愛している
ムムは、忘れ物を拾いに行ったままいつまでも戻ってこない勇者を、迎えに行った。
あまりにも遅いからまさか、と思っていたが。どうやら、心配は杞憂だったらしい。
「なんだ。出る幕、なし?」
「ああ、師匠」
勇者は、倒した敵の残骸を積み上げて影を作り、その下で涼んでいた。
そのゴーレムの数は、およそ10体。サイズは遜色なかったが、明らかに強い魔力の残滓を孕んでいる。大きさだけなら、自分が倒したゴーレムの方が格段に上だが、それぞれの強さはこのゴーレム達の方が上だったろうと、ムムは思う。
「赤髪ちゃんは?」
「泣き疲れて、寝た」
「子どもか?」
「あの子は、子ども」
「それもそうか」
足元に落ちている石を適当に拾って、ムムはそれをくるくると回した。
「この数、よく1人で倒した。えらい」
「師匠と赤髪ちゃんの時間の、邪魔をされたくなかったので。ああいうことを教えるのは、絶対に師匠の方が上手いでしょう?」
「またそうやって、師匠を便利に使う」
「すいません」
勇者は苦笑を交えて、服についた埃をはたいた。
「……会ったときは、腕が鈍ってるって思ったけど。勘が、戻ったみたい」
「どうでしょう。おれなんてまだまだですよ」
「懐かしい」
「え?」
「わたしに弟子入りした時も、同じことを言っていた」
「そうでしたっけ?」
「そう」
あの日のことを、思い出す。
勝者になった少年は、倒れ込んだまま動けないムムを担ぎ上げ、賞金も責任も何もかも放り捨てて、その場から全力で逃走した。このままリングの中にいたら、ムムが殺されてしまう、と思ったらしい。
あれだけ命を賭けて戦ったくせに、金も貰わずに一目散に逃げ出したことが、あまりにも信じられなくて。ムムは少年に聞いた。おまえは、何が欲しかったのだ、と。
────あなたが欲しかったんです
憎らしいほどけろっとした表情で、少年は言った。これから先も強くなるために、自分の体の使い方を見てくれる師匠が欲しかった。おれにとっての優勝賞品はあなただ。おれの師匠はあなたしかいない、と少年は熱心に語った。
控えめに言って、あきれた。
敗北した相手の師匠なんて、できるわけがないし意味がない。負けた自分に、教えられることは何もない。最初はそう言って断り続けたが、少年は頑なに引かず。とうとう、ムムの方が根負けした。
修行といっても、ムムは人に拳の振り方を教えたことはなかった。仕方がないので、師父の教えを頭のなかで思い返しながら、少年に自分がやってきたものと、同じ修行をさせた。
結果、少年は3ヶ月足らずで、ムムが割るのに一年かかった巨岩を打ち砕いた。
はじめての弟子が、本当に嬉しそうに振り返った時。胸の中に、何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。つい先ほどまで、固く握り締めていた拳を勢い良く広げて。笑顔で、拳を開いて、少年はやはり手を伸ばした。
────ありがとうございました。師匠
ムムも自然と、その手をとって強く握った。
温かかった。
思えば、あの時も同じだった。
ムムがはじめて岩を砕いた日、師父は馬鹿のように喜んだ。子どものように「その小さな体でよくやった!」だの「わしの時は3年かかったぞ!」などと、本当に馬鹿のように騒いで、ひとしきり騒いだあとに、静かに岩のような手を開いて、差し出した。
────それ、なに?
────む、そうか。お前はまだ知らなんだか。これは礼だ。
────礼?
────うむ。出会った時、別れた時。あるいは、相手に好意を示す時、相手の健闘を称える時。人はこうして、互いの手を握り合うのだ。
記憶の中の師父の笑顔と、少年の笑顔が、きれいに重なった。
拳とは、手を握って振るうもの。その硬さを以て、敵を砕くもの。
だが同時に、人と人が分かり合う時。その手を取り合うことを、人は『握手』と言う。
少年と手を繋いで、900年あまりの時間をかけて、ムム・ルセッタはようやくそれを見つけた。900年と少しの時間をかけて、ムム・ルセッタはようやく二度目の涙を流した。
師父があの日、自分に遺していったものは、ずっと変わらず、こんな近くに、
────ありがとう
自分の手の中に、あったのだ。
「もう行く?」
「はい。追手の追撃もこわいので」
「わかった」
また軽く、握手を交わす。
しかし、それだけでは物足りなくなって、ムムは勇者が積み上げていたゴーレムの残骸を、適当に打ち壊した。
「し、師匠?」
「少し待って」
もはやただの岩の塊になったそれを、また適当に積み上げて、ムムは自分が乗れる台座を作った。その上に立って、弟子を見る。なんとか、目線が彼よりも高くなった。
「うん。これは、良い」
すごく良い。これまでぴくりとも動かなかった表情が、自然に綻ぶ。
きっと師父も、こういう目線で自分のことを見ていたのだろう、と。ムムはそう思った。
勇者はいつも、賢者の頭を撫でていた。さっきはあの子の頭も撫でていた。撫でていてばかりでは、不公平だ。だからたまには、こうして撫でてやるのもいいだろう。ムムは、くすんだような赤色の勇者の頭に、そっと手を置いた。
「道中、無理はしないように。気をつけて」
「……師匠」
「なに?」
「師匠はやっぱり、笑ってる方がかわいいですよ」
「…………生意気」
なんとなく気恥ずかしくて、他の仲間がいる前では、師匠とそのまま呼ばせていた。
二人で修行をしていた半年間。彼が岩を砕けるようになるまで、ムムは自分のことを『師匠』と呼ぶのを許さなかった。岩も砕けない馬鹿弟子はいらない、と。意地を張っていたのだ。
ムムさん、と。
彼に名前を呼んでもらうのが、好きだったのかもしれない。
人の命は、いつかは尽きる。
人の命に、限りがあるように。愛は移りゆくもの。愛は、いつか消えてしまうもの。
それでも、もし。人を想い、世界を想う気持ちに永遠があるのなら。ムム・ルセッタは、彼とぶつけた拳ではなく、彼と交わした手のひらの中に、それを見た。
だから、愛そう。彼が思い出させてくれた大切な父の気持ちと、同じ愛を彼に注ごう。
彼女は、世界を救った勇者を愛している。
彼に好意を寄せる者が多いのはわかっている。
だからこそ、ムム・ルセッタは静かに思う。
愛は比べるものではない。愛の種類は一つではない。
久遠の時を生き続けるこの体にできるのは、彼を愛し、彼女らを愛し、彼と彼女らの行く末の、その幸せを祈ることだけだ。
故に。
────我が愛、永遠に不変。
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