武闘家さんは、とてもやさしい
ルール無用。武器の持ち込みは自由。どちらかが、倒れるまで。
それが、血と欲に塗れた地下闘技場の絶対の掟だった。
金が欲しかったわけではない。ただ、金払いが良い武闘会には、やはり強い人間が集まった。より強い人間と戦えば戦うほど、乾いた心が満たされる気がした。
年若い少年と、決勝で当たった。
他人の試合になど興味がなく、他人の試合を見なくても勝つことはできたので、何故そんな少年が勝ち上がってきたか、立ち合った瞬間は疑問に思った。
立ち合いの次の瞬間から、直感の疑問は確信の警鈴に変化した。
初手で、自分が持ち得る最大の打撃を打ち込んだ。その後も、打って打って打ち続けた。
こいつは、なぜ倒れない?
どうして、わたしの拳を受けても、平然と立ち上がる?
その少年の強さは、言うなればおかしな強さだった。積み上げてきたものは感じる。積み重ねてきたものは、間違いなく在る。けれど、デタラメでめちゃくちゃで、理屈が通じない強さ。底知れない、深い闇に少しずつ飲み込まれていくような、そんな強さ。
はじめて、だった。
無我夢中で拳を振るった。全力を尽くした。師父から受け継いだ技を否定させないために、師父から受け継いだ強さを証明するために、勝たなければならなかった。
しかし、ムム・ルセッタはそれまで生きてきた1000年という時間の中で、はじめて闘技場というリングの中で、背中を地面につけた。そして、もう立ち上がれなかった。
負けた。完膚なきまでに。
地下闘技場は、ルール無用。武器の持ち込みは自由。勝敗の決着は、どちらかが倒れるまで。
つまり、倒れた相手をどうするかは、勝者が自由に決めていい。
死ぬかもしれない、と思った。1000年という時間の中で、はじめて人に殺されるかもしれない、という恐怖を覚えた。
リングに、剣を突き立てる音が鳴る。ブーツの音が、死神の鎌のように近づいてくる。
そして、勝者である少年は言った。
「ありがとうございました。いい勝負でした」
差し伸べられた手を、ムム・ルセッタは信じられない面持ちで、ただ唖然と見上げた。
◇
殴られる。
彼女のただならぬ雰囲気に、赤髪の少女はそう思った。
「む。こわかった?」
だが、目を開けてみると、やはり無表情のままのムムが、少しだけ不思議そうな色を瞳に混ぜていた。
「?」
「こわがらせてしまったなら、もうしわけない。わたし、魔法を使う時、少し力んじゃう」
ムムの小さく細い指先が、小鳥に触れていた。
小鳥の、今にも消えそうな息遣いが、しかし今にも消えそうなまま、ゆったりと続く。鳥に表情はないが、それでも少しだけ、楽そうになったように見えた。
まるで、出血と傷の広がりが静止したように。
「これって……?」
「わたしの魔法。自分自身と触れたもの全てを静止させる」
ムムが歳を重ねても成長しないのは、彼女自身の体に対する時間の流れそのものが、止まっているからだ。
その体は不変。
その心は不動。
されど、その拳だけは不変にあらず。
歩みを止めず、新たな強さを求めて、一日を、一秒を積み重ね、弛まぬ進化を続けてきた。
決して変化しない体の中で、その拳だけは成長を続け、研鑽によって輝きを増し続けた。
それは、全てを永らえ、長き時の中、決して色褪せることのない誇り高き黄金。
『
この世界を救った、最高の武闘家にして、魔法使いである。
けれど、今は拳は必要ない。
人の手は、拳を握り締めるためだけに、あるものではないと。ムムは、師父と彼に教えてもらったから。
「わたしは今、この子の出血を止めてる」
「それって……じゃあ、この子は助かるってことですか!?」
「ううん。助からない」
抱かれた淡い期待を、しかしムムははっきりと断言の形で否定した。
「わたしは、この子の時間を止めているだけ。治療しているわけじゃない。仮に、この子の全てを『静止』させたとしても、ケガの状態は、変わらない」
「でも、お医者さんに見せれば……!」
「ここから治療して、治すのは不可能。勇者も、それをわかってた」
あの馬鹿弟子はいつもこういう面倒なことをわたしに預ける、と。ムムは口の中だけで溜め息を吐いた。
それは、目の前の少女に突きつける、残酷な選択だ。
生き物は死ぬ。だから、選ばなければならない。
「ここからは、あなたに質問。あなたは、この子をどうしたい?」
赤髪の少女が、伏せていた顔をはっと上げる。
躊躇いながらも、指が伸びた。少女が指先で触れると、傷の広がりが止まって楽になった小鳥は、嬉しそうにくちばしを持ち上げた。
きゅっと、形の良い唇が絞られる。
「……少しだけ、この子のことをお願いできますか?」
「わかった」
ムムは小鳥を受け取った。少女が、テントの外に駆けていく。
指先で小さな体温を感じている時間は、思っていたよりも長くなかった。もしかしたら戻ってこないのではないか、とムムは思っていたが、その心配は杞憂だった。赤髪の少女は十分ほどで、手の中に小鳥とは別のものを抱えて戻ってきた。
「お花」
「はい」
それは、湧き水の出るこの場所にだけ咲いている、小鳥と同じちいさなちいさな花だった。その花を、少女は短い時間できれいに編んで、円の形にしていた。
「……この子に」
「わかった」
テントの外に出て、軽く土を掘る。その下に編まれた花を敷いて、小鳥の体をそっと寝かせてあげた。
拾われてから、ずっと一緒にいた少女が戻ってきたことが嬉しかったのか、ぴぃ、と。短く鳴き声が響いた。
「もう、大丈夫?」
「はい」
「悲しい?」
「……はい。おかしいですよね。さっき、たまたま拾って、わたしが勝手に同情して……」
「そんなことは、ない。生き物の死に、涙を流すことは、心が豊かな証拠」
自分よりも高い肩に、ムムはそっと寄り添った。
失われていく温かさを、少しでも埋められるように。
「わたしも、同じ。勝手に同情してきた男が、勝手にわたしを拾った」
だからか、と。
ムムはどうして自分が、こんなにもこの少女に入れ込んでいるのか、今さら気がついた。
「でも、だからわたしはここにいる。勇者に出会って、あなたにも出会えた。人生は、そういう偶然の繰り返し」
命は短く、儚く、脆い。
ほんの些細なきっかけで、命は唐突に消える。ほんの些細なきっかけがなくとも、命はいつか消える。
「この子は本当は、荒野で1人で死ぬところだった。でも、勇者とあなたが来た」
それは運命のいたずら。様々な出来事が自然に噛み合って生まれた、偶然の出会いだった。
「だから、あなたに見守られて、お花の中で命を終えることができる」
歌うように、ムムはそれを少女に説く。
「死ぬことは、悲しいこと。悲しいけど、自然なことだから……その終わりを、幸せな形にしてあげることはできる」
ムムは、小鳥から手を離した。少女は小鳥に手を触れた。
小さな体が、少しずつ冷たくなって、やがて小鳥は動かなくなった。
懸命に生きようとした一つの命が、静かに終わった瞬間だった。
「お別れは、できた?」
「……はい」
「そう。よかった」
「ムムさん」
「ん?」
「ありがとう、ございました……」
声は、震えていた。
無理をしている、と思った。
「もう一つ。人生の大先輩から、お節介なアドバイス」
小鳥を抱いていた、両手が空いた。だから、できることがある。
背伸びをしたムムは、赤髪の少女の頭を、なるべくやさしく撫でた。
「泣きたい時は、泣いて良い」
成長しない身体に不満を覚えることは、もう随分少なくなったけれど。
こういう時だけは、小さな身体が本当に不便だと、ムムは思う。泣きじゃくる子どもに胸を貸すのは、とても大変だからだ。
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