勇者と武闘家さん②
ムム・ルセッタは、勇者パーティーに所属していた武闘家である。そして、勇者の師匠でもある。
ムムは、勇者が出て行ったあとの、少女の横顔を眺めていた。ここまで、ずっと彼を頼りにしてきたのだろう。勇者が出て行ってからしばらくは落ち着かない様子だったが、少し時間が経って、少女はようやくこちらに視線を向けた。
「えっと、お師匠さん」
「ムム」
「はい?」
「ムム・ルセッタ。わたしの、名前。勇者はああいう呪いを受けているから、みんな気を遣って名前を使わない。でも、わたしと2人でいる時は、名前を呼んでいい」
「あ、ありがとうございます。ムムさん」
片手にパンを、片手に肉を持ちながら、ムムは少女に聞いた。
「あなたの名前は?」
「あ、はい。わたしの名前は……」
その名を聞いて、ムムは頷いた。
「そう。いい名前」
「えへへ、ありがとうございます」
「自分の名前、好き?」
「は、はい。わたし、自分のこと、これしか覚えてないので」
「そう。わたしも、好き」
「はい! ムムさんの名前も、とってもすてきだと思います」
「ありがとう。うれしい」
固いパンを咀嚼して飲み込んでから、ムムはさらに聞いた。
「勇者に、名前。呼んでほしい?」
少女の目が、ほんのわずかに見開かれた。
視線が下を向き、左右に揺れ動いて、それから前に戻る。
「そう、ですね。勇者さんは、とてもやさしい人なので、名前を呼んでもらえたら……きっとわたしは、うれしいなって思います」
「ふむ」
「でも」
「でも?」
「出会ったばかりのわたしなんかより、賢者さんや騎士さんや、お師匠さんの方が……ずっとずっと勇者さんに名前を呼んでほしいんだろうなって。そう思います」
「うん」
ムムは、食事を開始してからはじめて、パンと肉を机の上に置いた。布巾で指を拭いて、清潔にしてから、手を伸ばす。
「あなた、やっぱりとてもいい子」
なでなで。
ムムは目を丸くする少女の頭を、やさしく触り続けた。
「えっと……」
「ん?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ぴぃ、と。されるがままになっていた少女の手のひらの中で、小鳥が鳴く。
「あ! ムムさん!」
「なに?」
「この子のこと、診てあげてください!」
「診るって、なんで?」
「え、だって勇者さんが……」
「わたし、治癒魔術、使えない」
少女のやわらかな表情が、険しいものに変化した。
当然だと、ムムは思う。
「そんな……じゃあ」
「そもそも、この小鳥は、もう長くない。翼が、折れてる。絶対に、助からない」
「それ、は」
なんとなく、この子もそれをわかっていたのだろう。驚きよりも、失望の色を表情に出して、赤髪の少女は手のひらの小鳥をじっと見詰めた。
優しい子だと思う。勇者があれほど入れ込む理由も、うっすらとだが、理解できる。
「そもそも、死ぬって、そんなに悪いこと?」
だからこそ、ムムは少女に向けて問いかけた。
「え?」
「わたしは、ずっと生きてる。でも、自分が死ぬ時が来たなら、死んでもいいと思う」
「む、ムムさん……?」
か弱く、ちいさなちいさな小鳥に向かって。
無表情のまま武闘家は、その拳を向けた。
◇
思い出話を、一つしよう。
自分が年を取らないことに気がついたのは、10歳の頃。ただし、10歳の時に自分が10歳だったのか、少女は覚えていない。その頃にはすでに、少女の時間の感覚は狂い始めていた。
親は知らない。山の中で、気がつけば暮らしていた。その頃は、自身の魔法のコントロールもうまくいかず、死にかけることもあった。
水を啜り、肉を食み、今日を生きて、明日を考えずに眠る。ずっと、その繰り返しだった。
そんなある日、男に出会った。巨大な岩のような、あるいは熊のような、ひげ面の大男だった。
「なんだ、お前。1人か?」
「……?」
「なぜ、答えぬ?」
「…………」
「お前、言葉がわからんのか!?」
男は修行をするために山奥に来たようだったが、なぜか少女にかまった。
男は強さを求める武道家だったが、なぜか学もあった。
「強くなることと、学ぶことは表裏一体! よく学び、よく強くなれ! 少女よ!」
ある日はペンを。ある日は拳を。
少女は男から、様々なことを学ぶようになった。
ただ生きるだけなら、少女は1人でもできた。ただ生きる以外の全てを、少女は男からもらった。
「お前の名前を決めたぞ! 今日からはこの名と、わしの家名を名乗れ!」
その日から、少女はムム・ルセッタという名前になった。
「良い名前」
「おお! そうかそうか! 気に入ったか!」
「短くて、書きやすい」
「短くて書きやすい!?」
まあ、良いか。気に入ってくれたなら、なによりだ、と。
彼はまるで少年のように顔をくしゃくしゃにして笑って。
その日から、ひげ面の大男は、ムムの師父になった。
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