純白の賢者は、勇者を愛している

 殺したはずの相手が、目の前にいる。

 その理由をいくつか考え、悪魔は口にした。


「バカな……たしかに心臓を潰したはずだ。幻覚か? それとも、身代わりのゴーレムか?」

「冗談はやめてください。幻覚でも身代わりでもありません。だってあなた、たしかに私の腹を貫いて、心臓を握り潰したじゃないですか。とっても刺激的に、乱暴に」


 己の胸を、人差し指で示して。


「すっごく、痛かったですよ」


 悪魔が口にした可能性を、賢者は否定する。


「よもや、死霊魔術で生き返ったわけでもあるまい?」

「……ウチのパーティーには、たしかに最高に腕が良くて最高に趣味の悪いネクロマンサーがいますけど。蘇生されたのなら、わたしの死体がそこにあるはずがないでしょう?」


 くるくる、くるくる、と。その場で黒のローブが舞い踊る。



「私、ことができるんです」



 それは、どこまでもシンプルな答え合わせだった。

 悪魔の背後から、3人目の声がした。

 王国最強の賢者。シャナ・グランプレが、3人いた。


「……魔法、か」

「だいせーかいっ♡」


 病的なほどに白い頬が、高い声と共に紅潮する。

 人が解き明かし、魔力を用いて運用することができる超常の力は『魔術』と呼ばれる。これは、素質がある人間なら、誰もが平等に扱うことができる力だ。

 しかし、人々は魔の深淵を、完全に解明したわけではなかった。


 魔術とは一線を画す、異能力。選ばれた者だけが生まれながらに持つ、唯一無二の力。世の理を歪める異法。


 ────それこそが『魔法』である。


「分身する類いの能力とみた。あるいは……」


 悪魔は、冷静に賢者の力の正体を分析する。

 いや、その分析を口に出して述べてしまっている時点で、悪魔は既に冷静ではなかった。


「分身? この期に及んで、まだ寝ぼけてるんですか? ちゃんと教えてあげたでしょう。『増える』って。あなたのお粗末な魔力探知でも、もう答えは出ていると思いますけど」


 悪魔が人に嗤われる、その屈辱。

 歯噛みしながら、目を見開く。ありえない。そんなことは、ありえない。

 しかし、少女の言葉通り、悪魔の魔力探知は、一つの答えを明示していた。目の前に立ち並ぶ2人と、先ほど殺した1人。その魔力は、間違いなく全て同様のもの。


 つまり、


「ふざけるな。本当に、実体を伴って増えているとでも言う気か!?」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか」


 新たな1人が、顔を出す。


「私の魔法は、ものすごく単純ですよ。。ただ、それだけの力です」


 新たな2人が、魔導陣から現れる。


「増やしたものは、幻ではありません。現実に存在しますし、実体があります」

「食べ物を増やせば胃の中に収めることができますし、お金もやろうと思えばそっくりそのまま同じものが作れます」


 新たな3人が、空中から舞い降りる。


「理屈ではありません」

「ものを増やす。一つだったものが、二つになる」

「これはそういう力。そういう概念です」


 新たな4人が空中に浮かび上がり、悪魔を完全に包囲した。


「魔術を完全に封じる呪符。たしかに、とても厄介でした」

「私が1人だったら、完敗していたかもしれません」

「でもまぁ……そういう強いマジックアイテムを用意するのなら」

「人数分用意してくれないと、困るんですよね」


 最後に現れた5人が、魔力の充填を開始する。


「ちなみに、増やせる数は100まで。これは、明確に決まっています」

「べつに頭の出来が良くない私が、どうして天才だなんて呼ばれているかというと」

「これは本当に単純な話なんですけど」

「100人で学べば、効率は100倍になる」

「ただそれだけのことなんです」


 悪魔は、絶句する。

 想像を超えたその力に、ただただ言葉を失う。


 その魔導師は、触れた全てに神秘を与える。

 その魔導師は、存在そのものが神秘だった。

 恵まれない出自を跳ね除けて、たった数年で魔術の頂点に手を伸ばした稀代の賢者は、それでもなお満足せず、決して歩みを止めなかった。


 それは、万物の理を捻じ曲げ、手にした全てを咲き狂わせる、欲望の純白。


 『白花繚乱ミオ・ブランシュ』。シャナ・グランプレ。

 この世界を救った、最高の賢者にして、魔法使いである。


「……」


 たった1人の悪魔は、それでも居並ぶ最強を見上げて、不敵に笑ってみせた。


「……ぺらぺらと、よく回る口だな。そんなに自分の魔法の性質を語って、大丈夫か?」

「え?」


 しかし、もう数え切れない賢者達は、誰一人として笑わなかった。


「だってあなた、ここで死ぬじゃないですか」





 魔力が人間に宿る不可視のエネルギーであるならば、きっと人を想う気持ちにもエネルギーの総量があるのだろう、というのがシャナ・グランプレの持論である。


「一箇所にこの人数を集めたのは」

「ひさしぶりですね」

「まあ、いいでしょう」

「とりあえず、この悪魔をバラして、出所を探るところから」

「はじめよっか」

「こういう時、死霊術師さんがいたら楽なんだけど」

「でも絶対に頼りたくないですね」

「うん。やめとこやめとこ」


 ぐちゃぐちゃにした悪魔の死体をかき集めながら、シャナは昔のことを思い出す。

 幼い頃は、増える自分をコントロールできなかった。

 増えたり減ったり、彼には随分と迷惑をかけた。

 それでも、彼は優しく笑って、腕を目一杯に伸ばして、1人の自分も、2人の自分も、3人の自分も、たった1人きりの自分も、頭を撫でて抱きしめてくれた。


 ────私がたくさんいて、迷惑じゃないの?

 

 ────迷惑じゃないよ。もしもシャナが100人いたら、100回頭を撫でればいいだけだ。


 シャナ、と。

 彼に名前を呼んでもらうのが、大好きだった。


 愛は見えない。愛は可視化できない。

 それでも、もし。人を想う気持ちに総量があるのなら、彼ほど愛を持っている人間を、シャナは知らない。


 だから、愛そう。あらゆるものを増やすことができるなら、それら全てで彼を愛し尽くしてみせよう。


 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に好意を寄せる者が多いのは知っている。

 それでも、シャナ・グランプレは断言できる。


 ────私の愛が、最も多い。

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