第239話 暴風のコロッセオ


 意識が飛び、次に気がついた時には、アーケシウスの左脚が失われていた。


「一体どうなった……」


 体質のおかげで回復は早いのが救いだが、それでも頭を強く打ったせいで鼻や口が血の味に満たされている。鼻と唇を手の甲で拭い、視界を紅く塞ぐ顔面の血を擦り落とした。


「アルフェ……ホム……」


 エステアと交戦している様子はないが、近くに二人の機体も見つけられない。左脚を斬り落とされたアーケシウスは、もう動き回ることができない。辛うじて上体を起こし、大闘技場コロッセオの状況を把握するのが精一杯だ。


 あまりの威力に退避しているのかジョニーの実況も聞こえない。


 大闘技場コロッセオと客席はマチルダ先生の強力な結界により、隔てられている。観客のざわめきは聞こえるが、それもひそひそとした囁き声程度にしか届かない。


「……これがエステアの実力か……」


 これまでの戦いでは見せてこなかった技だ。大闘技場コロッセオは、地面だけでなく壁までも切り刻まれている。彼女が放った風の刃は幾重にも分岐し、大闘技場コロッセオの中心を基点として周辺を見境なく抉っているのだ。


「……アルフェ……」


 アルフェのレムレスは大闘技場コロッセオの壁にめり込んだ状態で沈黙していた。防御結界を展開したものの、魔装兵であるレムレスの軽装では衝撃に耐えきれなかったのだろう。


「……じょ、状況を報告します……。レムレス、操手気絶により――いや、まだ動いています! そしてぇえええ、アーケシウス、左脚破壊により有効判定――」


 アルフェが意地を見せてくれた。まだ起き上がって戦うことは出来ないだろうけれど、それでもいい。僕のアーケシウスも一箇所有効判定でもぎ取られてしまっているものの、まだ戦いの場に残っていられる。けれど、動けない以上、僕にはエステアの攻撃を防ぐ手段が限られている。


 真なる叡智の書アルス・マグナを使えば動けなくても攻撃を仕掛けることが出来る。ホムが残っているのならば、捨て身でなにか攻撃を食らわせるべきだろう。だが、肝心のエステアの姿が映像盤に映らない。


「仕留めきれなかったのは惜しかったけど、これで終わりにしましょう」


 エステアの冷たい声がどこからか響いた。


 ――負けるのか、ここで。


 勝利しか追いかけてこなかった僕の脳裏に、絶望が忍び寄る。


「させません!」


 その絶望を振り払ったのは、ホムの凜々しい声だった。


「伏せてください、マスター!」


 疾風のように噴射推進装置バーニアを噴かせて駆けつけたホムが、セレーム・サリフに打撃を喰らわせる。


「ホム!」


 アルタードは無事だ。機体に大小さまざまな切り傷を受けているが、有効部位は一つも破壊されていない。


「わたくしがお相手します!」

「望むところだわ」


 エステアがホムの打撃を刀で受け止めながら立ち回り始める。


「ここでアルタァアアアアドォオオオオオオオオ!!!! あの暴風をしのぎ切り、反撃に転じているぅうううううううううううううう!!!!」

「アルタード! アルタード!」

「エステア! エステア!」


 防御結界が解かれたのか、割れんばかりの歓声が再び僕たちを包み込む。そのなかで、ホムとエステアはほぼ互角の打撃と斬撃の応酬を繰り広げていく。


「アルタード、少しずつギアを上げて来たかぁああああっ!? セレーム・サリフが僅かに圧されはじめているように見えるがぁあああああっ!!」


 調子を取り戻したジョニーの実況に、大闘技場コロッセオが沸く。


 あの大技を出した直後というのもあるだろう。魔力を著しく消費したエステアは、恐らく技を繰り出すことができない。機体を維持出来るギリギリのエーテルを制御しながら、ホムと打ち合っているのだ。


「アルタードを仕留めるほどの技を、出せない……」


 僕は確かめるように呟いた。


 ――少なくとも今は。


 エステアが魔力切れで戦闘不能ということは絶対にあり得ない。ある程度体力を温存して、トドメの大技に賭けているはずだ。エステアがその技を繰り出す前に、ホムが仕留めなければならないのだ。だが、ホムの動きはなにかがおかしい。


「んんーーーー!? こ、これは……どうなっているのでしょう? 善戦していたはずのアルタードの動きが鈍くなってきているのかぁああああっ!?」


 数々の武侠宴舞ゼルステラの実況を務めているだけあり、ジョニーの指摘は正確だった。ホムは常人よりも疲労回復が早い。魔力切れになるような要素はなにもない。それなのに、なにが起こっているというのだろう。


「まさか……」


 機体に目を凝らしたところで、僕はアルタードの全身の至る所に付着している汚れが、単なる汚れではないことに気がついた。それは徐々に広がり、今や大闘技場コロッセオの床にこぼれ落ちている。


 ――黒血油こっけつゆだ!


 先ほどのエステアの奥義は致命打にはならなかった。だがあの無数の風の刃は、アルタードの内部に深刻な損傷を与えていたのだ。一見無事なように見える装甲の下、魔力収縮筋が損傷して黒血油こっけつゆが流出しているのだ。


 機兵は魔力収縮筋の中を流れる黒血油こっけつゆ――人間で言えば血液の動きによって筋肉状の繊維を収縮させて出力を発揮している。筋肉の中を流れる血が少なくなれば、当然収縮幅は減り機体の出力は落ちていく。そしてそのまま血液を失い続ければ、アルタードは機体を動かすだけの黒血油こっけつゆを失い、機体の失血死・・・を迎えるのだ。


「セレーム・サリフがぁあああああっ! 再びぃいいいい調子を上げて来たぁああああああああっ!! アルタード、華麗な刀の乱舞に翻弄されてしまうのかぁああああっ!!」


 エステアの回復が想像以上に早い。いや、それともアルタードの失血死を狙って攻撃を強化しているのか。


「援護しなければ……」


 動けないし立つことも出来ないが、まだ僕は戦える。


 大闘技場コロッセオの泥ですっかり泥濘ぬかるんだ地面にアーケシウスの左腕を立てると、粘度の高い泥が絡みついた。


 必死に戦い続けるホムは、絶対に諦めてはいない。ならば僕は親としてそれを信じて支え続けるのみだ。だから――


「この役目は、僕にしか出来ない」

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