第139話 起死回生の一手

 森を抜けた先は、小高い丘になっている。


 本来であれば生い茂る木々の枝葉によって遮られているのだが、今はA組の火炎魔法による追撃で身を隠すことは出来なくなるだろう。


 森からは無数の火の手と黒煙が上がり続けている。僕たちの姿はその煙と炎によってA組から隠されている状況だ。


 きっと煙が晴れれば演習場の全体が見渡せるだろうから、僕としては好都合なのだけれど。


「……追ってくるわけじゃなさそうだな」


 視界が遮られている分、兎耳族ヴァニーの耳を働かせたヴァナベルが安堵の息を吐いた。


「ヴァナベルとヌメリン、ファラは近接攻撃だからね。不用意に近づいたりはしないよ。そもそも、A組の作戦は、魔法科の生徒を中心とした遠距離攻撃主体の編成だ」


 これから話す作戦が伝わりやすいように、自分なりの分析を交えて答える。ファラが何度も頷きながら相槌を打ち、僕の背中をぽんぽんと叩いた。


「にゃはっ、さすがリーフ。良く見てるな」

「そのために後方に下がっていたからね」


 即戦力でもない自分は、A組からも見くびられているはずだろう。不用意に真なる叡智の書アルス・マグナを出さなかったのは、やはり悪くない判断だったようだ。


「……けどよぉ。てめぇの話の通りだとしたら、A組はこのまま魔法で攻めてくるってことだろ? そんな相手にどうやって勝つんだよ」

「そうだよ~。魔法が使えるのは、もうアルフェしかいないよぉ~」


 ヴァナベルの呟きにヌメリンも同意を示す。この状況を好転させるには、もう真なる叡智の書アルス・マグナを使うしかないのだと、僕も覚悟を決めていたので二人に向けて示した。


「魔導書……」

「そう。これがあれば、僕も魔法が使える。しかも、エーテル過剰生成症候群この病気のおかげで、魔力切れも起きない。もっとも、そのせいで身体の成長さえ止まってしまっているんだけどね」


 病気のことを打ち明けると、ヴァナベルが気まずそうにヌメリンと顔を見合わせた。


「……そっか、病気か……」


 低く呟いたヴァナベルが自分に苛立った様子で、後頭部を乱雑に掻いている。彼女の美しく長い髪が乱れるのを、ヌメリンが宥めるように撫でて元に戻した。


 少しの間そうして気持ちを落ち着けたヴァナベルは、小さく低く「悪かった」と僕に呟いて、居心地悪そうにまた頭を掻いた。


「……でさ、気づいたんだけどよぉ。魔力切れが起きねぇっていうのは、地味に凄くねぇか? なんで魔法科じゃねぇんだよ」


 想定していた質問ではあったが、実は努力家らしいヴァナベルっぽい質問ではあるな。


「僕には魔法の才能がない。だから、これで幾つかの手順を省略しているんだ」

「マスターは、錬金術が専門です。その類い希なる技術で生み出された真なる叡智の書アルス・マグナをお持ちになれば、マスターの魔法戦闘力はアルフェ様に匹敵します」


 珍しく率先してホムが補足する。やっと僕の実力をヴァナベルに知らしめることができるとあって、喜んでいるのかもしれないな。


 とはいえ、ホムを真に喜ばせるためには、絶対に勝たなければならないのだけれど。


「んで、起死回生のアイディアとやらはなんなんだ? A組が魔力切れになるまでここで粘るってわけじゃねぇよな?」

「もちろんだ。それを今から説明する」


 A組に勝つためにはこれしかないと分かっていても、面と向かってこの作戦をヴァナベルに伝えるのは、少しだけ緊張するな。


 ヌメリンを囮にしなければ成立しない作戦を、果たしてヴァナベルが承諾してくれるだろうか。


「……まず、ヌメリン。出来るだけ前に出て、目立つように地面に戦斧を叩き付けてくれ。土煙を巻き起こしたい」

「あ~い」


 ヌメリンの目を見て、極力ゆっくりとした口調で話す。ヌメリンはいつもの間の抜けた返事をすると、微笑んだ。


「出来るだけ連続で続けてほしい」

「それで勝てるならぁ~」


 ヌメリンの快諾にホッとしたのも束の間、ヴァナベルが鋭い視線で僕を睨んだ。


「……なあ、それってヌメを囮に使うってことか?」

「ああ、そうだ」


 作戦には絶対の自信を持っている。これしか方法がないこともヴァナベルも薄々はわかっているはずだ。


「アルフェとお前の魔法じゃダメなのか? 土煙を上げるくらい出来んだろ?」

「僕が魔法を使えることがわかれば、作戦が機能しなくなる。アルフェには別のことに魔力を使ってもらう必要がある」


 A組の次の攻撃までの時間を稼いでくれている煙が、だんだんと収まってきた。あまり時間に猶予はないが、ここできちんとヴァナベルに納得してもらわなければ、どんな行動に出るかわからないな。


「ワタシだったら――」

「そのお考えには賛同しかねます、アルフェ様」


 アルフェがなにを言おうとしているのかいち早く察したホムが、その先を遮った。


「魔力切れを早めては、マスターの作戦を台無しにしてしまいます。ファラ様もヴァナベルも魔法を使えませんし、土煙を巻き上げるほどの力もありません。ヌメリン以外にこの役割を果たせるとは思えません」

「先陣を切ってそれなら、目立つだろ!」


 淡々と説明するホムに苛立ちを隠さず、ヴァナベルが声を荒らげた。


「A組には当然狙われるってわけだ。オレはそんな危険な作戦に親友を晒したくないから、諦めろって言ったんだぜ? それなのに――」

「ベル!」


 食い下がるヴァナベルの名を、ヌメリンが強く諫めるように叫ぶ。


「諦めるなんて言わないでよぉ! ベルはいつでも格好良くて諦めないベルでいて!」

「けど、お前が――」

「その魔剣はベルの不屈の精神の象徴でしょぉ~! 忘れちゃったのぉ~!」


 今にも泣きそうな顔のヌメリンが、魔剣を手にしたヴァナベルの手首を掴んで揺さぶる。


「忘れるわけねぇだろ! けど、勝つためとはいえ、親友を囮にして、犠牲にするって言われて従えるかよ!」

「ヌメのせいでベルが諦める方がヤダ!」


 ヌメリンはきっぱりと言い切り、ヴァナベルの両頬をがっちりと両手で押さえた。ヌメリンの手を離れた戦斧が地面に落ち、重々しい音を立てる。


「ヌメ、お前……」

「小さい頃、雪山で遭難したときもそうだったでしょ。あのときみたいに、『絶対大丈夫、オレに任せろ』って言ってよぉ~」


 ヌメリンの目からぽろぽろと涙が零れ始める。ヴァナベルは狼狽えた様子で魔剣を鞘に戻すと、手の甲でヌメリンの目許を拭いはじめた。


「ベル~~~」

「……わぁったよ! わぁったから、べそべそ泣くんじゃねぇ!」


 やれやれ、これでやっとヴァナベルを説得出来たようだ。


「……それじゃあ、続けよう。もうあまり時間もなさそうだ」

「だな。ヌメリンを囮にするのはわかったけどさ、あたしとヴァナベルは出番ナシってわけじゃないよな?」


 ファラが魔眼でA組の様子を見透しながら聞いてくる。瞳に浮かぶ紋章のような模様が消えたところを見ると、今すぐ危険な状態に陥るという状況ではなさそうだ。


「もちろん。ファラを先頭にして、A組を奇襲する。出来そうかな?」

「まあ、あたしにはこの眼があるからな」


 にっと笑い、ファラが目許をとんとんと指で叩いて示す。


「オレの俊足で突っ込んでやるよ。オレたちが目立てばヌメから気も逸らせるだろうしな」

「ベル~」


 先ほどまでとは打って変わって、力強く頼もしい声になったヴァナベルが胸を張る。そこにヌメリンが飛び込んだ。


「だから、お前は泣くなって言ってんだろ、ヌメ~!」


 良くも悪くも残っていたのがこの二人で良かった。お互いの強い信頼が互いを守ることに繋がるだろうし、かなりの時間を稼いでくれるはずだ。

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