第120話 初めての学食

 食堂は入り口に近い厨房部分が長いカウンターになっており、出来たての料理の数々が湯気を立てていた。メインとなる料理を選んで注文し、あとは好みに合わせて付け合わせなどを自分で取っていくビュッフェスタイルのようだ。


 僕はこの身体なのであまり多くは食べられないが、代表的な帝国料理が学生向けにアレンジされて並んでいる。


 メインの料理は、家庭でも一般的なソーセージやハムを焼いたシンプルなものから、パスタ生地の中に挽肉や玉葱、季節の野菜を詰めたものをスープで煮込んだもの、大きくカットした牛肉を野菜とともに香辛料のたっぷりと入ったトマトスープで煮込んだものと、本日のおすすめというミルクチキンなる料理が揃えられている。


「どれも美味しそうだね、ホム」

「はい、マスター」


 カウンターに並ぶ付け合わせは、じゃがいもがメインだ。それも野菜たっぷりのポテトサラダや香ばしいスパイスを和えたフライドポテト、牛乳とバターで滑らかに仕上げたマッシュドポテトに、チーズと合わせて香ばしく焼き上げたベイクドポテトなど、多岐にわたる調理法で目にも楽しい仕上がりになっている。


 全部味見をしてみたいところだが、初日からそれをやるのは少々行儀が悪いだろうな。ホムと幾つか分け合って、味を見させてもらおうか。


 そんなことを考えながら食堂を見渡すと、アルフェとファラの姿が目に入った。


「リーフ! ホムちゃんー!」

「おっ、こっちだ、こっち!」


 僕とホムを見つけた二人が、立ち上がって大きく手を振る。二人のいるテーブルには、既に四人分のトレイが置かれていた。


「遅くなって申し訳ございません。アルフェ様にはお手数を――」

「ワタシの方こそ、勝手にごめんね。ファラちゃんがこれがおすすめっていうから、先に確保しちゃった」


 申し訳なさそうに頭を垂れるホムに、アルフェが僕たちの分のトレイを差し出す。トレイの上の大皿には、先ほど入り口のカウンターで見たミルクチキンと、付け合わせが少量ずつ盛り付けられていた。


「ありがとう。どれも美味しそうで迷っていたから、助かるよ、アルフェ」

「付け合わせもぜーんぶ美味しそうだよね。リーフが食べたいかなって、ちょっとずついただいちゃった」

「好きなものを好きなだけ食べて大きくなれっていうのが、厨房のおばさんたちのモットーだし、残さずたべれば文句は言われねぇよ」


 僕と同じでアルフェも行儀が悪くないかと気にしていたのだが、どうやらそのようなことはないらしい。先に入寮したファラがこうして教えてくれるのは有り難いし、心強いな。


 それにしても、このミルクチキンは、先ほどの兎耳族ヴァニーの生徒が話していたメニューだな。ミルクという割に、クリームソースがかかっている訳でもない。オーブンでこんがりと皮目を焼き上げた鶏ムネ肉にマスタードソースを添えているもののようだが……。


「……どうかした?」


 立ちっぱなしで料理のことを分析している僕を、アルフェが不思議そうに見つめる。


「いや、初めて見る料理だから、ついね」


 苦笑を浮かべながらホムを促して席に着き、僕はナイフとフォークを手に取った。食へのこだわりが強い地域からきたファラがおすすめするぐらいなのだから、余程美味しいのだろう。


「見ただけで色々わかっちゃうの、凄いなぁ。リーフのお料理のレパートリーが増えそうだね」

「冷めないうちに食べようぜ」


 アルフェが手を合わせて食事前の祈りを捧げている。ファラは空腹だったのか、僕たちを促しながらもう食べ始めていた。


 まずは冷めないうちにこのミルクチキンから食べるとしよう。こんがりと焼かれた皮にナイフを入れると、小気味よい音を立てて、ナイフが沈んだ。


「…………」


 ナイフを動かすたびに皮がパリパリと音を立てる。かといって身がかたいわけではなく、そちらはほとんど力を入れなくても、柔らかく分かれた。

 小さく切り分けた一切れを口に入れると、パリッとした皮の歯ごたえと、全くパサつきがなく柔らかい鶏肉の旨味が口いっぱいに広がった。マスタードソースも蜂蜜で酸味が和らげられて、鶏肉の下味の塩胡椒と抜群に合う。


「……んっ!」


 あまりに美味しくて、つい声が出てしまった。


「ふふっ、美味しいよねぇ」


 アルフェが相槌を打ちながら、嬉しそうにミルクチキンを頬張っている。


「なっ、あたしの舌は確かだろ?」

「鶏ムネ肉がこんなに柔らかく仕上がるなんて……。しかも皮目までパリパリなのに、パサつきがないのは魔法みたいだ。ミルク感をほとんど感じないのは、ミルクに浸して下味をつけて、それを拭き取って焼いているからなのかな?」


 ミルクも鶏肉もタンパク質同士で親和性が高いのかもしれないが、これは予想外だ。興奮のあまり、ついファラに早口で聞いてしまった。


「……にゃはっ」

 

 ミルクチキンの最後の一口を咀嚼していたファラは、小さく噴き出し、興味深げに僕を見た。


「ミルクって名前だけど、なんでもバターを作るときに出る余りの液体を使ってるらしいぜ。……けど、一口食べただけで凄い分析力だな。料理が得意なのか?」

「リーフはお料理上手なんだよー。ワタシ、リーフのオリジナルのお料理が大好きなんだぁ」


 僕が二切れ目のミルクチキンを口に入れていることに気づいたアルフェが、代わりに答えてくれる。僕はアルフェに甘えてゆっくりとそれを食べ終えてから口を開いた。


「まあ、錬金術と同じでアレンジのし甲斐があるからね」

「なるほどなぁ」


 ファラが感心したように目をぱちぱちと瞬かせている。


「あー、見てたらまた食べたくなってきた。今日はお代わりできっかな?」

「できるのですか?」


 静かに食べ進めていたので気づかなかったが、ホムもミルクチキンと付け合わせをすっかり食べ終えている。長旅だったし、大荷物を運んでいたこともあるし、きっとかなり空腹だったのだろうな。


「ああして選べるから、早い者勝ちだけどな」


 ファラが入り口のカウンターの方を指差したその時。


「はぁああ!? 売り切れだぁ!?」


 場にそぐわない叫び声がカウンターから響いてきた。


「にゃはっ、またヴァナベルか」


 思わず噴き出したファラが、身体を揺らして笑っている。見れば、あの兎耳族ヴァニーの生徒と蝓蝓つゆつゆ族の生徒が揃ってカウンターに立っていた。


「四人前はキープしてたってのに、ホントに食いしん坊だなぁ。まあ、あの親友のヌメリンも相当食うしな」


 ヌメリンというのは、どうやらあの蝓蝓族の生徒のようだ。だとすると、ヌメリンにベルと呼ばれていた兎耳族の生徒の名前はヴァナベルというらしい。


「……友達なのか?」


 ファラとは仲良くやっていけるだろうが、ヌメリンはともかくヴァナベルとは距離をおいておきたい。早めに人間関係を把握しておかなければ。


「いや、入寮が早かった者同士、顔見知りって程度だよ」


 僕の心配を余所に、ファラが快活に笑った。


「ただ、お代わりがなくなるとああやって大騒ぎするから、賑やかなヤツだなぁって」


 どうやらカウンターのあの光景は、日常的なものらしい。確かに良く見れば、ヴァナベルの言葉に耳を傾けている厨房のおばさんたちも、表情は和やかだ。


「こんな旨ぇもん出すなら、もっと作ってくれよ。育ち盛りだし、責任持って喰うからさぁ」

「ベル、そういうのは予算があるんだよ~」


 カウンターに身を乗り出して懇願しているヴァナベルの服の裾を、ヌメリンが片手で引いている。


「そんじゃあ、ヌメ、実家に頼んで寄付してくれ!」


 厨房に頼んでも仕方がないことは理解出来たのか、ヴァナベルは今度はヌメリンに手を合わせ始めた。


「ベルのお願いなら、いいよぉ~」


 ヌメリンは初めて見たときの調子と変わらず、のんびりとした口調で笑顔で応じている。その様子を食堂に集まっていた生徒たちは興味深げに眺めていたが、ヌメリンの快い応答に何故だか拍手が湧いた。


 実家に頼んで寄付、と言っていたのが聞こえたので、どうやらヌメリンは貴族階級ではないにせよ、裕福な家庭なのだろう。


 それにしても、食事に夢中で気がつかなかったが、こうして見ると、一般寮には亜人がかなり多いな。


 壁と通路で東西に仕切られているので気がつかなかったが、男子生徒もほとんどが亜人のようだ。


「……亜人、多いだろ?」


 僕の視線に気づいたのか、ファラが小声で言った。


「人間は大体貴族寮の方に入るからさ」

「そっか、寮は二つあるんだもんね」


 中庭を挟んで向かい側の貴族寮を視線で示され、アルフェが手を合わせて頷く。


「そうそう。明日の入学式になれば、亜人は少数派って感じになるぜ」

「入学式のこと、なにか聞いてる?」


 さすが早くから入寮しているだけあって、ファラはこの学校の実情に詳しい。アルフェが聞きたかったことを聞いてくれたので、僕も相槌を打った。


「あー……、ウルおばさんの話だと、新入生代表は、リゼルって貴族って話だったな」

「きっとすごく優秀な人なんだね」

「優秀? それはどうだろうな」


 アルフェの発言に、ファラが腕を組んで片眉を上げる。


「どういう意味だい?」

「ここは成績だけじゃなくて、家柄や階級が重んじられてるからなぁ」


 なるほど。寮が貴族寮と一般寮に分かれているのも、その建築物がはっきりと差別化されているのも意味があるようだ。


「そうなんだ……」

「もしかして、こういうの初めてか?」

「あ、うん。私たちの学校――セント・サライアスでは、そういうことなかったから、貴族の人たちも、グーテンブルク家の人ぐらいしか……」


 セント・サライアスの教育方針ひとつとってもそうだが、そもそもトーチ・タウンは階級による差別のようなものが極端に少ない。教育の機会はその優秀さに比例して与えられるべきであるという方針だったので、僕たちは家柄や学費のことを全く気にせずに特待生としてその恩恵に預かってこられたのだ。


「へぇ……。まあ、向こうにとっちゃ、こっちは空気みたいなもんだからな」


 ファラの声のトーンから察するに、教育の質はどうあれ、セント・サライアスのような平等さを期待すべきではなさそうだ。これは明日からの身の振り方を少し考える必要があるかもしれないな。

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